[6-2]よぎる過去、覚悟の時


 最初によぎったのは、ラノベの探偵が言いそうな台詞――という他人事な感想だった。遅れて文面の意味が頭に浸透すると、今度こそ全身の血が引く。待って待って、どういうことなの!?


「大丈夫? こーやんそういえばのろい竜にトラウマあるんだっけ、嫌なこと思い出させてごめんね」

「こーにゃん、お顔まっしろですにゃん。バス停の跡地で休憩きゅーけいしますかにゃ?」


 そうだった、僕ら今すごく重要そうな話の真っ最中だ。タイミングのせいか、僕が大崩壊の時を思い出して具合悪くなったと思われたみたい。全然そうではないんだけど、声は喉の奥に貼り付いたかのように出てこなかった。

 蛇に睨まれたカエルのごとく完全にフリーズした僕は、銀君に引っ張られて近くのベンチに座らされた。隣にイーシィが飛び降り、前脚を僕の太腿に掛けて覗き込んでくる。

 やわらかく伝わる重さと温もりに、ホワイトアウトしかけていた思考も徐々に落ち着きを取り戻してきた。


「……ごめん、話の腰を折っちゃって。呪い竜にトラウマあるわけじゃないから、大丈夫。ありがとう、銀君」

「それならいーんだけど。僕、近くで飲みもの買ってくるよ。ふたりは待ってて」


 遠慮を伝える隙も見せず、それだけ言い残して銀君は身を翻し駆けていく。相変わらずフットワークが軽くてすごい。そうして僕は自分の喉が渇ききっていたことにも気づいた。ここはふたりに甘えて、少し思考と心の整理をさせてもらおうかな……。

 父への返信は保留にし、ホーム画面へ戻ってチャットの吹き出しをタップする。文面に迷うけど――クォームなら全部を書かなくってもあくしてくれる、はず。


[さっき父からメールがありました。本当にオーストラリアにいるのかって聞かれました。僕、何と返したらいいですか?]


 文字を入力しているうちに事の重大さがじわじわと迫ってきて、最後は指が震えて大変だった。祈る気持ちで画面を見つめていたら、視界にいきなり雪豹頭が割り込んでくる。


「みゅ、妖精よーせいしゃんからなにか悪い知らせきましたのかにゃ?」

「ううん、悪い知らせじゃないよ。ちょっと……気にかかることが起きちゃって」

「ふみゅ」


 心配そうに僕を見上げる姿に僕はなんだかたまらなくなって、スマートフォンを隣に置き、イーシィを抱えて膝に乗せた。

 腕に感じるふわふわの毛並みは、不安で波立つ心にすごく効く。僕の動揺を感じ取っているのか、イーシィの爪にも少し力が込められている。

 しばらくそうして心を無にしていると、銀君が戻ってきた。まっすぐこちらへ来ると、スタバのタンブラーみたいな容器に入った飲み物を僕にハイと差し出す。


「何がいいか聞くの忘れちゃったから、ホットココアにしたけど良かった? コーヒーのほうが良ければ僕がココア飲むけど」

「ぼくもほっとココア希望ですにゃ」

「イーシィにゃんは猫舌でしょ。ミルクをどうぞ」

「みゅん」


 僕の膝に乗ったまま、イーシィは前足の肉球で上手にタンブラーを挟んで受け取った。銀君が返事を待っていることに遅れて気づき、僕も差し出されていたココアを受け取る。

 入れ物越しに感じる熱さとイーシィの温もりに、緩みかけた涙腺まで溶けてしまいそうだった。粉っぽくて甘い味は小さい頃に祖母が作ってくれたものとよく似てる。

 半泣きで熱いココアをすすっていると、ヴヴッと音がして隣のスマートフォンが震えた。画面のミニキャラが驚いた表情になっていて、こんな心境なのについ笑ってしまう。


妖精よーせいしゃんからお返事きましたにゃ」

「うん、見てみる」


 イーシィと銀君に見守られながら、また震え出した指で何とかウインドウを開く。あ、ちょっと長い。


[クォームに確認した所、記憶操作の魔法は継続中とのこと。現状、恒夜は国外(オーストラリア)に留学中となっていて、何か或いは誰かに魔法を看破された形跡も無し。ただし、記憶というのは区切れるものではないため、過去に何らかの情報を得ていた場合、それを手掛かりに推測することは可能と思われる。恒夜の父親は普通の人間か?]


 淡々とした文章だけど要点が絞られていてわかりやすい。書いたのは、クォームではなく技術担当さんかな。

 ここへくる前、入学式の日に交わした会話を思い出してみる。あの時お父さんは、僕の問いに何て答えたんだっけ。


[父は人間だと思います。人間以外の存在を『見たことがない』『見えない』と言っていたので。でもお母さんは『見える』人だった、とも言ってました。]


 そういえば、お父さんは「俺は、今を放り出して行くことはできない」とも言っていたんだった。あの時は一般的な人生論というか父の価値観の話だと思っていたけど、もしかして――何か深い意味があったのかな。もっと、ちゃんと聞いておけば良かった。

 黙考する僕と、黙って見守るふたり。静かに流れる朝の空気を揺らすように、スマートフォンが振動する。


[恒夜の母親は人間以外か、異界出身者だった可能性があるな。ごく稀にだが、異界から人が流れ着く事例もあるらしい。そういう話に心当たりは?]


 確かに、――そう思いかけてすぐ、僕は首を振ってその可能性を振り払った。


[母方の実家にも行ったことありますけど、たぶん違うと思います。母は僕が小さい頃に亡くなったので、詳しく知らなくって……すみません。]


 母は元々身体が弱くて、母方の祖父母は娘の結婚に反対だったらしい。二人は、僕を産んだから……母は命を落としたのだと言っていた。僕は二人に嫌われていたから、母の昔話を聞かせてもらうこともできなくて。

 喉の奥に塊が込み上げてくるのを、何とか飲み下す。腕にも指にも力が入らずココアを落としそうで怖かったので、タンブラーをベンチに置き代わりにイーシィを抱きしめた。パーカーに食い込む爪の感触から、彼女も僕を抱きしめてくれているとわかる。

 微かな振動音がしたので、何とか息を整えてからスマートフォンへ目を戻し、画面に指を滑らせた。画面のミニキャラが真面目な顔で腕を組んで僕を見ていた。


[これ以上嘘をつくのはお互いにとって良くなさそうだ。っつっても、オヤジさんが全部を知って理解してるとも思えないから、情報小出しに、出方をうかがいつつ行ってみ。帰還の話は今はしなくていい。大丈夫だ、悪いことにはならねーから!]


 あ、この文調はクォームだ。迫り上がるえつを無理やり飲んで頷き、文字を入力する。根拠があるかなんてわからないけど、今は彼の「大丈夫」が心強かった。


[わかりました。僕、やってみます。]





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