第三章 神獣と天使と、神様のかたち

[3-1]朝のひととき、踏みだす一歩


 あの子と出逢ったのは冬の終わり、よく晴れた日だった。いつものように店のプレートを『closed』から『open』に替えようと外へ出ると、夜の間にうっすら積もった雪に埋もれて、白っぽいいきものがうずくまっていた。

 大きさはおとなの猫ほどで、大きな黒っぽい物体を抱えている。白の間からちょこんと突き出す翡翠ひすい色の翼が、早朝の無彩色な世界で一際あざやかに見えた。


 今思えば不思議だが、私はあまり驚かなかったように思う。

 普通なら、生死の心配だとか危険の有無だとか、考えることはいろいろあったに違いなかったのに、なぜか私は疑うこともせずその子を抱え起こしていた。力なく開いた両目が蒼穹そうきゅうに似て美しく、息を飲んだのを覚えている。


 やわらかな毛に積もった雪を払って家に連れ帰り、火の入ったストーブの側で温かなミルクを提供した。あの子も私を怖がることなく、自分の生い立ちを話してくれた。

 それまで交流圏にいなかった『合成獣キメラ』といういきものの存在を、私はあの子の話で知ったのだった。



  ★☆★☆★



 夢とうつつの狭間にいた僕は、けたたましい鳥の声で意識を叩き起こされた。賑やかだけどスズメの声とは違う、コケッコケーって聞こえる甲高い鳴き声。

 ん? コケって、ニワトリ?


 一気に目が覚めて飛び起きると、スマートフォンが勢いよく滑り落ちた。手に取って時間を確認すれば朝の六時前、一緒の部屋で寝ていたはずの銀君はもういない。

 スマートフォンのカメラモードを鏡代わりにして、ぐしで髪を束ね革紐でくくる。寝起きのせいかシャツがよれっとしているけど、着替えは持ってないので仕方ない。申しわけ程度にえりを正し、パーカーを羽織って身なりを整えた。


 いざ出陣の気分でスニーカーに足を突っ込んだ瞬間、スマートフォンが振動して心臓が飛びあがる。今さら気づいたけど、通知のバイブレーションは機能してたんだね。

 と思ったけど通知ベルに数字はついてない。もしやと思ってチャットを見れば、ログが変わっていた。ゲームのギルドチャットみたいに、ウィンドウには最新ログが表示されて開くと全体ログを見れる仕様、らしい。


[要望に応えてチャット作ったので、確認よろしく。文末にスピーカーが表示されている時は、通話も可能だ]


 やっぱりクォームと一緒に誰か詳しい人……か悪魔かはわからないけど、誰かがいて、技術面でのサポートをしてるんだ。スピーカーのアイコン、最初に通話した時のあれかな?

 今は表示されていなかったので、ウィンドウをタップして返事を打ち込んだ。


[ログさかのぼれるのもいい感じです、助かります。今は時間がないので、後でアップデート詳細も確認します]


 書きながら、昨夜はお知らせをいくらも読まず寝てしまったのを思い出す。早起きして、ちゃんと読み直せばよかった。

 送ったメッセージに既読はついたけど、返事はすぐには返ってこなかった。スタンプが使えると便利なんだけどな……僕は小説もスマートフォンで書くから文字入力が早いほうだと思うけど、クォームは不慣れそうな印象だ。


 どうしよう、と思いつつ画面と入り口を交互に見ていると、しばらくしてから軽い振動と一緒に[よろしく!]の文字。特に指示などもないようなので、画面を落として外へ出ることにした。スマートフォンを胸ポケットに入れておけば、通知に気づくだろうし。

 昨夜、父がくれた言葉を頭の中で反芻はんすうする。この里の事情を考慮し、理解を深めて、今度こそラチェルの気持ちを尊重したい。難しいけど、頑張ろうと思う。

 




 暑い地域は早朝に活動を始めて日中は休むと聞いたことがあるけど、この時間から既に陽射しがれつだ。建物内から外へ出れば光の強さに目がくらみそうになる。腕をかざして日よけにしつつ辺りをさがせば、ラチェルは騒がしく動き回るニワトリたちに餌をやっていた。

 ニワトリ、自分で地面をつついて食べ物を掘り返すんだと思ってたけど、それだけじゃ栄養が足りないのかな。ニワトリの健康状態なんてまったく見分けられない素人だけど、羽も抜けてないし声も元気だし、よく世話されているなって感心する。


 でも、それを取っ掛かりにして会話を始めるのは難度が高かった。気まずくても、ここは僕から声を掛けなくては……と思うのに、いざとなると第一声が出てこない。距離があるとはいえ、そうやって見られていたら当然向こうもこっちに気づくわけで。

 かごをひっくり返し中身をすっかりばらいてから、ラチェルが振り向いて僕を見た。不機嫌そうな表情、怒ったような眉。僕が何も言えないでいるうちに、早足でこちらへ向かってきたので、僕は焦る。


「あっ、ラチェルおはよう! 朝から、ニワトリ? 餌やりご苦労様!」

「おはよう。あたしに、何か用でも?」


 思ったより落ち着いた声が返ってきて、安堵のあまり腰が抜けそうになるのを何とか踏みとどまった。やっぱり不機嫌そうではあるけれど、口も利いてくれないほど嫌われたわけでなくて良かった。

 心を落ち着けるため、軽く息を吸ってから笑いかけてみる。緊張のしすぎで不気味な笑顔になっていませんように。

 どう切り出したらいいか、迷ったけれど。


「昨日は、何も知らずに余計な口出しをしちゃってごめん。ラチェルやここの皆にとって大切な場所を、軽く見るような言い方をしちゃってごめん。反省してます」


 僕の発言が彼女を傷つけたのは事実だから、やっぱり謝るべきだと思う。それで許してもらえたなら、もっと話がしたい。欲を言えば、ちょっとだけでもグリフォンに触らせてもらえれば――なんて。

 いや、僕の超個人的な好奇心はどうでもいいんだけど! やっぱり気になってしまうよ、グリフォンが一緒に暮らしているだなんて。


 幸いにして僕の雑念がラチェルに伝わることはなかった。彼女は僕の言葉を聞き流すように視線をさまよわせていたけど、黙って返事を待っているとようやく口を開いてくれた。


「あたしも、怒鳴ったりしてごめん。移住はできないけど、昨日の話はあたしも……ちゃんと聞きたい」




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