[3-2]神獣のふしぎ、風樹のありか


 ラチェルの返答にほっとして、またも涙腺がゆるみそうになる。移住はともかく、水源の必要性については考えてくれていたんだね。

 思い入れを大切にしつつ良い形で活用できれば、最善だと思うんだ。それが、施療院の病院長が望んだことでもあると思うし。


「うん、ありがとう」

「お礼を言うのはこっち……だよ。あたしたちだって、わかってるんだ。でも、この里は、みんなが、」


 何かを飲み込むように言葉を止め、ラチェルは足元に視線を落とした。僕は何と声を掛けていいかわからず、黙って続きを待つ。

 与えられた餌をあらかた食べ尽くしたニワトリたちが、別の食べ物を求めて散っていくのを見送ってから、ラチェルは小さな声でぽつんと言った。


「消えてしまったみんなが、命懸けで守ってくれた場所だから」


 消え入りそうな声は涙で湿っていたけれど、彼女は泣き出したりはせず。この里についての話を聞かせてくれたのだった。





 風樹の里は、グリフォン使いを輩出はいしゅつする里だったという。ここのグリフォンはいわゆる神獣で、乗り手の資質がある者と絆を結び、生涯を共にするのだとか。


「あたし、親の顔を知らないんだ。拾われっ子で、五歳くらいからここで暮らすようになって。アズルともその頃に出逢ったんだよね。アズルもまだひなだったから、あたしたち兄妹みたいに育ったんだ」

「そっか。ラチェル、しっかりしてると思ったけど、小さい頃から頑張ってきたんだね」

「これくらい……普通だもん」


 照れ隠しか、ラチェルは目をさまよわせて足元の小石を蹴飛ばした。そうは言うけど、十五歳で年下の子たちの面倒を見てるってすごいことだと思う。

 僕が五歳の時はどうだっただろう。母が亡くなって間もなくだから、父方の実家で暮らしていた頃かな。祖父母に甘やかされていたような気がする。

 でも、そっか。ラチェルにとってアズルが兄弟みたいなものなら、グリフォン使いの先輩たちも兄や姉……もしくは親みたいな存在だったのかも。ここの子たちはみな、お互いが家族のようなつながりなのかもしれない。


「グリフォンが神獣ってことは、あの建物はやっぱり神殿なの?」

「そうだよ。風樹様は枯れてしまったから今はグリフォンが生まれることはないけど、いつか、新しい樹が育てば」


 その先をラチェルは言わなかったけど、何となくわかる。今を生きるのに必死なラチェルや子供たちにとって、の希望なんて口にするには遠すぎるんだろう。

 大人たちや他のグリフォンたちがどうなったのか……、予想がつくだけに尋ねるのを躊躇ためらってしまう。消えたという言い方は、こちら側の僕をいたあの白焔はくえんを想起させた。きっとのろい竜は、この里にも出現したんじゃないのかな。


「グリフォンは、風樹……樹から生まれるの?」


 少し迷って、気になることを素直に口にすることにした。茫洋ぼうようと空を眺めていたラチェルが驚いたように目をみはり、僕を見る。


「コーヤ君、知らないの!? 風樹様の枝にはグリフォンの卵がるんだよ!」

「えっそうなの! すごいね!」


 そんなグリフォンははじめて聞いたけど! いや、以前に読んだ本でそういうのがあった気もする。何て本かは思い出せないけど、ここでは全く関係ないから別にいいか。

 僕のリアクションが嬉しかったのか、ラチェルの表情がみるみる得意げになった。かごを左手に持ち替え駆け寄ってきた彼女に、ぐいと腕をつかまれる。ようやく至近距離で見た目は明るいオレンジ色で、さっきまでの不機嫌が嘘のようにキラキラ輝いていた。

 その勢いとあつに思わず身を引きそうになるけど、頑張って踏みとどまる。せっかくラチェルが心を許してくれたんだから――。


「コーヤ君にも見せてあげる、来て来て!」

「うわっ!? ラチェル、ちょっと引っ張らないで!」


 悠長に構えている場合じゃなかった。興奮したラチェルに引きずられるようにして神殿へと向かう途中、僕らの上にさっと影が落ちる。風を巻かせて降りてきたのは、予想を裏切らずグリフォンのアズルだった。ラチェルの姿を見つけて飛んできたのかも。


「アズル、そこで待ってて! あたし、コーヤ君に神殿の中を見せてくるから」


 ふいぃぃん、とも聞こえる、高い口笛のような鳴き声が、青い空に響き渡る。何だっけ、覚えのある何かに似た声。ピーヒョロって鳴くあの猛禽もうきんは何ていうんだっけ?

 答えを思い出す前に神殿へ到着してしまい、そのまま昨日借りた部屋を通り過ぎて奥へと連れて行かれた。ラチェルの靴も僕のスニーカーも靴底が柔らかいからか、静まり返った建物内でも足音はそれほど響かない。

 ラチェルに握られた左手と、すぐ側で聞こえる彼女の息遣いに、僕は再度この世界がことを実感させられた。


 彼女や里の子供たちを守るため、きっと大人たちは戦ったんだろう。

 その結末を、僕は知らない。尋ねていいものかもわからない。でも、ラチェルも子供たちも生き延びて、れつな太陽に負けず生きようとしていて、消えた人たちの代わりに里を守り育てようとしていて――その事実が、胸に満ちてゆく。


「ここだよ! あっ、先生」


 僕が勝手に感傷的になっているだけで、建物内に反響したラチェルの声はすごく楽しそうだ。部屋の仕切りのように下げられたカーテンの先に、レスター氏が大きな如雨露じょうろを抱えて立っていた。

 その向こう、大きくそびえる白い何かに僕の目はきつけられる。


 部屋の中央にそびえ立っていたのは、樹齢何百年もあっただろう太さの、真っ白な――枯死樹だった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る