[2-10]大切な場所、感謝と決意


 ラチェルが部屋を飛び出した後、真っ先に動いたのはレスター先生だった。

 先生は僕らに「すみませんな」と声を掛けてから、後を追って外へ。残された僕の頭を銀君がよしよしと撫でてくれたけど、衝撃が大きすぎて思考が麻痺まひした僕は、何も言えずただ固まっていた。

 無反応な僕に構わず銀君はバスケットと食器を片付け、それから僕を別室へ引っ張って行った。簡素なベッドが二つと、その上に置かれた薄い毛布が二枚。僕らがお茶している間にラチェルが準備してくれたのかもしれない、と思うとまた胸が詰まりそうになる。


「こーやん、今日はずっと頑張ってたし疲れたろ? 疲れてると頭が働かないし、気分も下がるから休みなよ」


 こんな時でも、銀君は僕を責めたり叱ったりしなかった。優しく背中を叩かれれば、喉の奥に詰まっていたかたまりが溶け出してしまいそうで、僕は固く目をつむる。傷つけたのは僕なのに、僕が泣いてどうするんだ。


「……ごめん、銀君」


 やっと、それだけ、声が出た。ベッドの上に毛布を広げていた銀君が、動きを止めて僕を見る。


「こーやんは、悪くないよ」

「僕は悪いと思う。ラチェルに、あんな顔をさせてしまった」

「こーやんは、ラチェのほうが失礼だって言わないんだね。優しいなぁ」


 そんなこと、考えもしなかった。なんて答えたらいいかわからず口をつぐむと、銀君はベッドに視線を落として、独り言のように淡々と語り出す。


「先生も話してたから察してると思うけど……ここのみんなは、龍都へ行けば今より暮らしやすくなることは知ってるんだよね」

「うん」


 足の力が抜けて、ベッドを椅子代わりに腰掛けた。涙は止まったけど、後悔と申し訳なさは消えそうにない。


「僕がここにはじめて辿り着いたのは、三ヶ月くらい前の話。先生と縁のある誰かがおいもの苗をくれたらしく、今から植えるんだってみんな張り切ってたよ。先生は農業経験者で、子供たちに畑造りや作物の育て方を教えてくれているんだよね」

「そうなんだ。水やりも、大変だろうに」

「畑を荒らしそうな動物をアズルに追い払ってもらいながら、水やりは当番制でしてるみたいだよ。大人は先生だけで年齢的に無理できないから、炎天下のきつい労働だけどみんな不満も言わず頑張ってる。いつかはここを昔みたいに、森と湖がある里にするんだってね」


 銀君の話を聞いていると、暑苦しい太陽の下で、子供たちが顔を真っ赤にしながら大きなバケツを運んでいる光景が目に浮かぶようだった。

 いつかは、昔みたいに、森と湖がある里へ。――それは、つまり。


「ここ、この場所じゃないと、駄目なんだね……」

「僕も、詳しくは知らないんだけどね。きっと、そうなんじゃないかな」


 それだけ言って、銀君はベッドに入り毛布を被ってしまった。僕も彼にならってスニーカーを脱ぎ、横になって毛布にくるまる。弾みで胸ポケットから滑り落ちたスマートフォンを取って、画面に指を滑らせロックを解除した。

 伝言板には通知が二件。開いてみると、一件は父からのメッセージで、もう一件はアップデートのお知らせだった。え、アップデート?

 なんのことかわからないので、先にメッセージを開く。僕の様子を尋ねる淡白な文面はいつも通りで、なんだか、すごく懐かしかった。自然と、指が返信の文章を打ち込んでいく。


[こちらの気候には慣れつつありますが、今は少し落ち込んでいます。僕の発言で、年下の女の子を傷つけてしまいました。明日の朝、ちゃんと謝ろうと思います]


 メッセージを送信してから、アップデートの通知を開く。謎文字でURLっぽいものが書かれているけど、これを開けばいいのかな。

 恐る恐る触ってみれば、数秒のローディングがあってからいきなり画面が暗転した。驚いて声が出そうになるのを何とか飲み込む。

 画面中央にはパソコンのアップデートでよく見る「◯%構成中、しばらくお待ちください」のアナウンスが書かれていて、ほっとすると同時に僕は一気に脱力した。


 何なの、これ。どこからダウンロードして、何をインストールしているっていうんだ。

 不安半分、期待半分くらいの気持ちで見守っているうちに構成が100%に達して、もう一度暗転した後に、再起動が始まる。

 明るさを取り戻したいつものCWFけいふぁんホーム画面を、僕は思わず二度見した。


 中央に世界地図、上部に総合メニュー、ここは大きな変化なし。でも、メニューアイコンが並んでいた下部画面が大きく様変わりしている。

 左下に大きなボタンで『エディターボード』、下に『ステータス』『ミッション』『フレンド』といったアイコンが並び、地図の左下に通知ベルが増えていた。新着が二件ある。

 地図の右下にはカメラボタン。

 え、ハイエナを脅すのに使ったから必要だと思われた……?


 そして、一番大きな変更点をなんて言えばいいだろう。パソコンやスマートフォンのナビゲーションキャラというか、ゲームのLive2Dというか……、デフォルメされた銀色の人が画面の右下にいた。

 吹き出しがあって「メッセージを入力してください」って書いてある。これ、クォームだよね?


「あ、もしかしてチャットアプリ?」


 斜め上の仕様で実装が来た!


 嬉しい反面、僕の中で中二心がうずいてちょっと恥ずかしい。イラストもすごく可愛いんだけど、まさかこれ喋り出したりはしないよね……?

 吹き出しをタップし、試しに「実装ありがとうございます」と打ち込んで送信してみたけど、ミニキャラの表情が変わったくらいで喋りはしなかった。

 少し安心、少しがっかりの気持ちで通知を開ければ、アップデートの詳細に関するお知らせと父からのメッセージが来ていて息を飲む。お父さん、返信早くない?

 怒られてるかもしれないと少しどきどきしながら、急いで開く。


[恒夜が反省しているのなら謝罪も大切だが、原因を見極めず謝ればさらに傷つけてしまう可能性もある。オーストラリアは公用語が英語、主たる宗教はキリスト教だが、信教の自由な国だそうだ。相手の背景、文化、宗教などを考慮し、理解を深めることで相手を尊重できるようになると思う。頑張れ]


 そっか。オーストラリア、季節は正反対だけど時差は少ないから……。

 父らしい相談の乗り方が嬉しくて、僕は心から感謝してメッセージを打ち込んだ。


[応援ありがとう、お父さん。そうだよね。ただ謝るのじゃなく、明日、その子とちゃんと話してみようと思います。おやすみなさい]

 



 第二章 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る