[2-5]伝えたいこと、遺したいもの


「こーやん、大丈夫か!? しっかりしろー」


 ぐらぐらと身体を前後に揺さぶられ、はっとする。真正面から僕の両肩を掴んで、銀君が心配そうに覗き込んでいた。

 不可抗力とはいえ、僕はまた彼に心配をかけてしまったみたいだ。


「あ、うん、大丈夫。ごめん、ちょっとトランスしてたみたいで」


 何度か瞬きし、深く息を吸う。情報の海に深く沈む感覚だったけど、実際に放心していたのは数分だったのかな。時間を確認しようとスマートフォンを見れば、液晶画面の上で踊っていた銀の光がすぅっと吸い込まれていくところだった。

 クォームの言う、表層の心理が聞こえてしまうって、こういう感じなんだろうか。いやでも今のは、表層の記憶どころではない。


「無理するなよ? もう一本お水飲む?」

「本当に、無理はしてない。でもちょっと混乱はしてる……かも。お水も、今はいい。ちょっと集中して作業するね。終わったら、たぶん水回りは修復できると思うから」


 脳内のアニメーションを文章に起こすのは得意分野、とまでは言い切れないけど、好きな分野だ。

 床に座って壁に背中を預けてから、スマートフォンのロックを解除して、エディターボードを起動する。文字化けした記述を思い切って消去し、親指の先を滑らせて新たな文字を打ち込んでいく。

 文体に少し迷って指が止まった。小説では、過剰にじょじょう的になってしまう。だからといって箇条書きでは、足りない、伝えきれない。

 日記形式にしようかと思ったけど、ルポタージュ形式のほうがもっといい気がしたので、不慣れながらも挑戦してみることにした。


 クォームの話によれば、打ち込んだ文章は何らかのプログラミング言語に変換されるらしいから、たぶん形式は何でもいい。箇条書きでも効力があると思う。

 形式にこだわるのは自己満足というか、小説書きとしての見栄みえみたいなものだけど、サイトに公開するわけじゃないし好きに書いたっていいよね。


 ――この病院は、のろい竜の実装によって世界の勢力図が大きく変化した直後に建てられた。

 落城によって王が変わり、変化した国風についてゆけなくなった者。新体制とそりが合わず愛する祖国を追放された者。身内や友人の出国や追放によって居心地が悪くなり、後を追って国を出た者、など。世界情勢の変化は多くの難民を生み出したという。


 迷い歩く旅人が立ち寄れる場所、国に馴染めず無国籍を貫く者でもいこえる場所が必要だとして神様に願いを奏上したのが、ここの管理者――院長となった人物だ。

 元は自然豊かな農業国の内務官だったが、彼の国は敗戦して軍事国家の属国となり、農業施設を解体され、森は切りひらかれ、湖も埋め立られて、軍事国家のエネルギー供給国に作り替えられた。

 国土一面に敷き詰められた発電施設ソーラーパネルを見た彼は、もうこの国ではやっていけないと思ったらしい。家族を連れ、中央聖堂エリアに移り住んで慎ましく暮らしていたが、下の息子が病弱だったこともあり病院の必要性を痛切に感じたのだという。


 神様は願いにこたえ、大聖堂エリアに病院を与えてくださった。役職経験のあった彼が管理者として推薦され、病院長として就任した。

 呪い竜の威力と戦争の恐ろしさを痛感していた彼は無国籍エリアだからといって油断するようなこともなく、地下に倉庫やシェルターを作り、職員に周知して避難訓練を欠かさず、備蓄品のチェックも定期的に行なっていた。

 けれども、災いは彼や大人たちの想定を超えた規模でこの地に降り掛かり、神の加護があったはずの中央聖堂をかいさせ、病院を含む周囲の施設をも崩壊させた。人々が呪い竜の出現に混乱し逃げまどう中、彼は――。


 ここまで打ち込んで、ひどく視界が悪いのに気づく。不思議に思って顔を上げた途端、スマートフォンの画面にぱたぱたと雫が落ちてびっくりした。反射的にシャツの袖で顔を拭い、それが自分の涙だと知る。


「無理するなって」


 茫然ぼうぜんとしていたら、銀君に濡れタオルを押し付けられた。どうやら僕はすっかりトランス状態に入っていて、無意識に泣いていたみたいだ。


「無理は、してないよ。ほんとだよ」

「だとしても、ずいぶん長く集中してたみたいだし、少し休みな。お腹すかない? 保存食料少しもらって、毛布もあるし、もう今夜はここで寝ようよ」


 銀君の言葉で、ずいぶん長い時間文章を打っていたことを知る。時計を確かめれば、もうすぐ十九時だ。僕はともかく銀君はお腹が空いてるんじゃないか。


「ごめん、僕、集中するといつもこんなで。銀君は、僕に構わず何か食べて」

「だめだめ、そういうの過集中っていうんだからな! 保存パンとレトルトおかゆ、どっちがいい?」


 目をつり上げた銀君に手の中からスマートフォンを抜き取られた。待って、それまだ最後の数行は保存してない。


「ごめん、わかった、僕も食べるから返して! あっ、画面には触らないで、お願い!」

「……もう、しょうがないなー」


 よほどそうな顔でもしてたのか、あっさり返してもらえてほっとする。急いで下書きの文章を保存して、一旦画面を閉じた。開いたままだと無意識に触ってしまうし、続きを書きたくなるので。

 二人で缶詰パンとお水という質素な夕ごはんを食べながら、僕は、ここで避難生活をしていてその後に助けられた兄弟へと思いをせる。

 病院長だった彼の家族――大崩壊を生き延びてここに隠れ住んでいた息子二人を助けた人物こそが、空飛ぶクジラを連れた魔女、つまり銀君のお姉さんだったんだ。




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