[1-6]四月十六日、出発の朝に


 結局のところ、父に全部を打ち明けることはできなかった。

 次の日から父はまた仕事人間に戻り、僕は始まったばかりの高校生活を必死にこなし、目まぐるしい一週間はあっという間に過ぎて、気づけば約束の日曜日が明日に迫っていた。


 胸の内側で、言葉が巡る。

 僕にとってCWFけいふぁんの世界は現実と同じくらいに大事な、居場所だった。あの子は家族――一応は四十路設定だったので娘みたいな距離感で接していたけど、内心では妹ができたように嬉しく感じてもいて。

 あの子にも中の人プレイヤーがいただろうし、その人は現実で生きているだろうけど、銀色の彼が言っていたのは現実世界の安否の話ではないのだと思う。


 世界は終わりにあらがい、生きようとしている――そう告げられた言葉が響いている。つまりき殺した白焔や街を破壊した呪い竜は、今も世界を蹂躙じゅうりんしているんじゃないのか。今日は無事でも、明日どうなるかなんてわからないんじゃないか。

 そう考えた途端、居ても立ってもいられない気分に陥って、思わず手の中のスマートフォンを握りしめていた。

 

「必ず戻るって約束したんだ」


 規約違反している自覚のあった僕は、アカウント停止の可能性を考えて住居の伝言板メッセージボックスに書き置きを残していた。

 あの混乱の後であの子がそれを読めたかはわからないけど、書き置きが頭にあったからこそ、最期の時に僕は「必ず戻って迎えに行く」と言ったんだろう。繰り返し見る夢はCWF世界のSOSというより、現実の僕を急き立てる向こう側の僕の執念かもしれない。


 外見も年齢もおそらく声だって違う僕を、あの子が家族と見てくれるかどうか。僕にあの子との約束を果たす資格があるのか……どうしても考えてしまう。でも心にうずく痛みとつのる想いは、間違いなく今の僕自身が感じているもので。

 あの子の涙に、伸ばした手に、触れることができれば、と。もう大丈夫、泣かないで、そう伝えられればと願ってしまう。


 向こうの僕にとって家族同然だった、掛け替えのない存在だったあの子。世界に希望をひらくなんて大仰なことは正直まだ想像もつかないけれど、この約束を握りつぶして現実に戻ったら、僕はこの先もずっと後悔を抱えて生きることになるだろう。


 これが正解かはわからない。

 この決断が道の先でどんな未来に結実するのか、今はまったく読めない。


 それでも。





 四月十六日、日曜日。今日から僕は十六歳になる。


 夕方には父と一緒に祖父母宅へ行く予定が入っていたけど、それも全部あの銀色の人に丸投げすることにした。

 予定をキャンセルして家族を悲しませたくないとか、自分勝手な理由だと解ってる。でも万が一にも異世界転移が無しになる可能性も考えれば……って、誰も聞いてないのに言い訳を考えてしまうところ、やっぱり僕はやましさを感じているんだろうな。

 ここに至ってなおもぐだぐだ考えてしまう僕だけど、心は決まっていた。迷いはない。


 と思ったけど、迷いならまだあった。何を着ていくか、決めてなかった。

 少し悩んで、まだ真新しい制服を手に取る。大人にとってのスーツみたいに、学生にとってのよそ行きは制服だ。白いワイシャツを着て、グレーのスラックスを履く。まだ肌寒さが残る季節なのでベストも着用し、ちょっとサイズ大きめのブレザーに腕を通して……。


「あっ、個人情報」


 縫い付けられた校章と高校名に焦る。名札は取り外せばいいけど、学生服はデザインで出身校がわかってしまうんだった。今からいくのは異世界だから、そこまで心配しなくてもいいのかな。でも、万が一ってこともあるし……。

 悩んだ末にブレザーは脱いで、代わりに量販店で買ったパーカーを羽織ることにした。春物なので薄手だけど、フードも付いて動きやすくてお気に入りのもの。いずれ現地で調達、になるかもだけど、ひとまずこれで。


 スマートフォンを手に取り、少し迷ってからパーカーのポケットに突っ込む。

 CWFけいふぁんの基盤が和製ゲームだとしても、僕が向かおうとしているのはいわゆる異世界。電気も電波もないだろうから役に立たないだろう。なのに手放せない僕はやっぱり依存症なんだろうな。まぁ、使えないっていう荒療治でスマートフォン離れができるかも。

 書き置きは残さない。何を書けばいいかわからないし、必ず帰るとも、二度と戻らないとも、今の時点では言い切りたくない。これもあの銀色の人に丸投げしてしまおう。


 革靴は一つ持ってるけど、旅行に行く時はき慣れたもの推奨すいしょうというので、スニーカーにしよう。これもまだ新しいもので、軽く履きやすいわりに靴底がしっかりしているお気に入りだ。

 当たり前のことだけど、服も靴もスマートフォンも僕自身のお金で購入したものは何一つない。好みはあれど僕に物の良し悪しはわからないので、選ぶのも買うのもずっと父頼りだった。誕生日を借りたことだけでなく、父が積み上げ築いてきたものに僕はずっと支えられて生きてきた。


 僕が選ぼうとしている道の先ではもう、父や祖父母に頼れない。一人暮らしどころか一人旅行もしたことのない僕が、本当に上手くやれるだろうか。壊れゆく世界を救うなんて――できるんだろうか。

 今は不安のほうが大きい。でも、あの子のためになら、人生をけてみたい。


 決意を飲み込むように深呼吸をして、愛用のスニーカーに爪先をじ込んだ。

 僕は、行こうと思う。

 向こう側の僕がのこした約束を、果たすために。



 

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