[1-5]入学式、掛け替えのないひとならば


 夢の中で女神さまから天啓を受ける、なんてドラマティックな展開は訪れず、月曜日からの一週間はとても目まぐるしかった。

 特にやりたいこともなく受験し合格した高校だけれど、新生活ともなれば気が張り詰めてくる。週末に控えた入学式へ向けてか、父は仕事をリモートに切り替えて珍しく家にいたけど、僕自身も高校入学の準備に追われてゆっくり話をする時間は取れずじまいだった。


 中学生の頃から、僕は新学期が苦手だ。クラスのメンバーが大きく変わり、皆が友人やグループを作るため声を掛け合ったり自分をアピールする時期。

 できれば集団の隅っこで目立たず生きていきたい僕には声を掛けるのも掛けられるのもハードルが高く、仲良しグループに入れる協調性もない。小学校から地続きの中学でさえそうだったんだから、高校生活も期待より不安のほうが強かった。

 こんな性格なので一人行動は苦にならない。学ぶことも好きなので授業は楽しいし、記憶力だって悪くない……はず。先生方と良好な関係を築くのは得意だったので、きっと高校生活もこれまで通り無難にやり過ごして終わるんだろうと思ってた。


 あの日、銀色の彼から誘われなければ。




「おつかれ、こう。制服、よく似合ってるな」

「うん。お父さんも、仕事忙しいのに調整してくれたんでしょ? ありがとう」

「それは……入学式、だからな」


 緊張のせいで先生方のありがたい話はさっぱり覚えていないけど、大仕事を終えた気分だった。本日金曜、平日。父は珍しく休みをとって、入学式後の説明あれこれが終わるくらいに車で迎えにきてくれた。

 そのまま昼ごはんを食べて帰ろうという流れになり、近所の和食店に来ている。予約なしでも個室に案内してもらえる場所で、どうやら父のお気に入りらしいと今日知った。


 こうやって二人で食事するのはずいぶん久しぶりかも。

 今なら話を切り出せるという思考と、こんな日にそんな話を持ち出さなくてもという思いが、胸に湧き上がってせめぎ合う。悩んだ末に口から出たのは全然関係ない話題だった。


「ここ、前にも来たことあったっけ。なんだか懐かしい気がする」

こうは記憶力がいいな。よく来ていたのはお母さんがいた頃だから、おまえはまだ三歳くらいだったのに」

「え……それは覚えてない」

「そうか」


 ちゃんと記憶があるんじゃなく、雰囲気が懐かしいって感じだ。でも、案外そういう空気感みたいなものの方が長く心に残るものなのかもしれない、とも思いつつ。

 父の口に母の話題が上るのは珍しい気がして、つい聞き返していた。


「お母さんもこの店が好きだったの?」

「気に入って……いたと思う。あまり量を食べられないひとだったけど、和食が好きで」

「そっか。僕も、和食が好き」

「不思議だな。おまえの作る料理はばあちゃん仕込みのはずなのに、好みはお母さんに近い気がする」


 眼鏡の奥で目を細めて、懐かしむように父が言う。母のことは本当に覚えていなくて申し訳ないと思うけど、父が僕に母の面影を感じてくれたことが嬉しかった。

 母方の親族からは心無い言葉を浴びせられたこともある。自分という存在は父の負担になっているんじゃないかと、思い悩んだことも。母の記憶は遠すぎて、不安を自力で跳ねのけられないのが情けなかったけど、父の表情を見ていれば安心してもいい気がして。


 今なら聞けると思った。


「お父さんは、ここではない世界とか、神様とか竜とか、そういう存在を信じるほう?」


 口に出した瞬間に脈絡がなさすぎると気づいたけど、もう遅い。当然のように父は驚いて目をみはり、僕を凝視した。

 何か言い添えるにも上手い言葉が見つからず、気まずさから僕は視線を卓上へ逃す。しばらくして、父がふふっと笑いをこぼした。


「なんだ急に。そうだなぁ、俺は見たことはないが存在するかも、と思っているな。恒夜は、ほうなのか」


 思いがけない答えに、思わず視線を戻して父を見る。眼鏡の奥で細められた目はやっぱり懐かしげで、口元はやわらかく微笑んでいた。妙に慣れたような反応にピンとくる。


「もしかして、お母さんも」

「ん、俺は見えないので何とも言えないが、木の精だとか風の精だとかの話をよくしていたよ。そういうときのお母さんは、とても楽しそうだった」


 実はほんの少し、僕自身の妄想からくる白昼夢だったんじゃないかと思い掛けていた。

 あの日、桜公園で銀色の人と交わしたやりとりが、父の言葉で再びあざやかに色づいてゆく。反面、思いがけず父の心に触れて僕の中の迷いはますます大きくなる。

 膝に置いた手を握りしめた。行くなと言われたならあきらめがつくかもしれない。何を言い出すんだ、そう一笑に付されても構わない。ただ答えが欲しい一心で僕はいていた。


「もし……大事におもうひとに違う世界から助けを求められたら、今の生活を投げ出してでも向かうべきかな」


 父の表情が、笑顔から真面目なものへと変わる。視線を落とし、あごに手を添え考え込んだ後、父はゆっくり息を吐き出すように言った。


「どうだろう。俺は、を放り出して行くことはできないが……。そうだな、人生におけるチャンスは逃せばまず、二度と巡ってこない。おまえが何に悩んでいるのか俺にはわからないが、恒夜にとってその人が掛け替えのない相手なら、人生をけてみるのも悪くはないんじゃないか」




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