[1-3]約束の向こう、きみの涙を想って


 心底驚き戸惑ったときって、本当に口がぽかんと開くものなんだなって。僕はしばらく間の抜けた顔で、人外を称する謎のひとを見つめていたかもしれない。

 さっきから感じていた違和感の正体がようやくに落ちた気がする。そもそも彼は初めからなんてしていなかったんだ。

 人ならざる存在が、扉を開いてへ渡る、と表現する意味。あの夢は僕の妄想なんかじゃなく実際にあったことなのだ、とでも言わんばかりに。


 思考ではそう結論づいたものの、十五年間ごく一般的な日本人として生きてきた僕には、彼のいう『生身で』のイメージが掴めない。

 VRMMOみたいにフルダイブするってこと? でも、CWFけいふぁんはブラウザゲームだったし、フルダイブ技術は創作の中でしか見たことがない。


「あの、今さらですけど……お兄さんが話してるのはCWFけいふぁんのこと、で合ってます?」


 恐る恐る聞き返してみる。彼はきょとんとした顔で両目を瞬かせ、その後で「あぁ!」と手を打った。


「人間たちの用語で言えば箱庭ゲーム……っていうのか。沢山の人間が想いや感情を寄せればおのずと世界は成長し、存在を確立してゆく。なにせさ、生々しすぎたんだよ。喜怒哀楽も、愛憎も」

「それは、なんかわかります」


 ライトに遊びたい気持ちの受け皿となるには向いていなかった、と僕も思う。RPなりきり交流特化の仕様でありながら、CWFけいふぁんの本質は戦争ゲームだった。王がいて、国があって、国土や施設があって……それを奪い奪われ、時には破壊され。

 機能システムが備わっていたとしても、自分たちが所属するコミュニティを外から破壊されるのは面白くない。

 戦争を回避するため上層部間で同盟や条約みたいなものが交わされ、王や行政官の称号を持つ人たちが夜遅くまで国家運営のために動いていたのを覚えてる。それでもしばしば戦争は起きたし、革命や襲撃みたいな形で国家が攻撃されることも多かった。


 プレイ経歴は短めの僕も、敗戦を一度だけ経験したことがある。ローカルチャットに集まった同国の皆と最後まで見守り、落城の瞬間は本気で泣いた。

 生々しさ、なるほどそうかもと納得できる。一般国民だった僕があんなに悲しかったんだから、現実を犠牲にして働いてきた人たちの虚脱きょだつ感は相当だったんじゃないかな。

 実際には彼の話をどこまでちゃんと理解できているのかわからないけど、彼は頷いて、話を続けてゆく。


「生まれたからには生き続けたい、それは世界だって同じさ。今もあの世界は『終わらせようとする意向』にあらがい、内側に抱えた住民たちを守ろうと、存続しようとしている。向こう側に約束つながりを遺したおまえがみる夢は、向こう側からのSOSかもな」

「でも、僕は王様でも称号持ちでもなかったです」

「ぜんぶ壊れて無に帰した世界で今さら神様カミサマとやらが寄越よこした肩書きに意味あるかよ」


 胸をえぐるような宣告だった。途端に、夢で見た崩壊の光景がまざまざとよみがえってく。空を裂き地上をめ尽くしてゆく白焔と、おぞましいのろい竜。あの子の――イーシィのキラキラした目と、向こうの僕を呼び続けていた涙声も。

 あの全てはやはり、運営かみさまがもたらしたものだったんだ。

 向こうの僕が気に入って住んでいた、竜の王様が治めるあの国はどうなったんだろう。

 黒狼の人に託したあの子はちゃんと生き延びられたんだろうか。


「あの子は……無事ですか」


 尋ねるのには、勇気が必要だった。最悪の可能性を頭の隅に置いて、知らないと返されることを期待しつつ、でもやっぱり僕はいていた。その答えいかんで行きたいかどうかが変わってしまう自分は利己的だなと呆れつつ。

 少しの沈黙を挟んで、彼が頷いた。ただそれだけで心に張り詰めていた緊張がゆるみ、喉の奥に固まりがり上がる。自室だったら号泣していたかもしれない。


「いいじゃんか。人間って、そんなもんなんだろ」

「……意味、わかんないですけど。僕に何かができるとも思えないですけど、でも……行きたい気持ちはあります」

「約束は導きに、願いは力になる。おまえなら終わるだけの世界に希望みらいひらけるかもしれないが、生身で渡るってことはこちら側と決別するってことでもある。つまり一方通行の異世界転移ってやつ――かな」

「異世界、転移……」


 呪い竜にも瓦礫にも対抗できなかった僕が、今さら何をなせるだろう。

 異世界転移ってことは、向こうでうっかり死んでしまった場合はこっちでも本当に死んでしまうってこと、なんだろうか。そうでなくても、僕がいなくなったら父はショックを受けるに違いなくて。


 いろいろなことを考えてしまえば、行きたいなんて軽々しく口にできるわけもない。

 いいじゃんか、なんて簡単に思うことはできない。


 異世界転生モノが流行るのもわかる、なんて場違いなことを思った。よそ世界の神様に選ばれ、もしくは何かの要因で死んでしまって、――それは本人が選択するわけじゃない。

 誰かに勝手に決められるっていうのは嬉しいことではないけど、楽でもある。なし崩しの始まりならこんな風にあれこれ悩むことも、決断を後悔する余地もないだろう。


「すみません、すぐには返事、できないです」


 こんな奇跡を差し伸べられながら残念な返答だよね。そんなヘタレはらないって言われるんじゃないかと思ったけど、彼は僕の言葉に頷き、優しく微笑んでくれた。


「そりゃそうだよな。行くなら記憶操作とか辻褄つじつま合わせとかはオレ様やってやれるけど、おまえの気持ちに無理強いするつもりはないし。二週間、時間をやるからじっくり考えてみろよ。それでも渡ると決めたら、ここに来い」


 二週間後、四月十六日の同じく日曜日。その指定にどきりとして、胸に渦巻いていた感傷がすうっと引いてゆく。

 しくも――あるいは仕組まれたかのように、その日は僕の誕生日だった。




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