第一章 ただ、その約束を胸に

[1-1]春の小径、桜の樹の下で


 追い立てられるような感覚に飛び起きる。全力ダッシュした後のように心臓がどきどきしていて、喉もカラカラだ。

 胸に手を当てて深く息を吸い、吐き出してみる。あれは夢で、これは現実。僕は四十路の古書店主ではなく、五日後に高校の入学式を控えた十五歳で、怪我もしていなければ消えてもいない。今日は二〇二三年四月二日、日曜日だ。

 そこまでちゃんと自覚しているのに、あの生々しい感覚と記憶がまだ全身にまといついているみたいで。ここ最近はこんな夜を何度も、繰り返している。


「顔……洗って、起きようか」


 意識的に吐き出した声が聞きなれた僕の声だということに安心し、思い切って上半身を起こした。弾みでスマートフォンが胸の上から滑り落ちる。どうやらSNSを眺めているうちに寝落ちたっぽい。

 拾い上げ、ロックを解除すれば、いつものタイムラインが目に飛び込んできた。ネット民の朝は遅い。特に今日は日曜、ぽつぽつと流れていくのは、サービス終了したゲームの知り合い同士がオフ会するらしいという情報くらいだ。


「もう半年になるんだね」


 憂鬱ゆううつなため息と一緒にこぼれた自分の言葉が、ささくれ気味の心を逆撫でする。仮想世界の関係性を現実リアルに移行しつつある大人たちのようにはなれず、僕はいまだあの世界へ執着しているらしい。だからきっと、あんな夢を何度も見るんじゃないのかな。

 SNSを閉じ、惰性だせいのままに画面をスクロール。ほとんど無意識に指を止めたアイコンをタップし、ローディング画面を見守る。自分でもひどい依存だと思うけど、もしかしたら何かの奇跡でゲームが起動するんじゃないかって、ありえないことを願ってしまう。

 当然ながらそんな奇跡が起こるはずなく、画面に映る無情な「お知らせ」を眺めて僕はため息をついた。こんなことしていても意味がない、いい加減起きて朝ごはんを食べよう。


 僕がどハマりしていたオンラインゲーム「ケイオスワールドChaos WorldファンタジアFantasìa」は、昨年九月末日をもって全てのサービスを停止した。

 最近はサービス終了後もオフラインモードで遊べるゲームや、集めたキャラやカードを眺められる閲覧モードに移行できるゲームもあるけど、CWFけいふぁんではそのいずれも提供されることはなく、十月以降はオープニング画像の代わりにサービス終了のお知らせと返金手続きの案内が表示されるだけ。

 豪華なアニメーションや3Dグラフィックがあるわけでも、重厚なストーリーが楽しめるわけでもなく、CWFけいふぁんRPなりきりと交流に特化したオンラインゲームだった。設定の自由度が高く実質何でもありなところが一次創作民に受けて、僕みたいにどハマりしリアルに支障をきたすユーザーも多かったらしい。

 その割に課金要素は少なかったので、サ終の噂はたびたび浮上していたのだけど。


 サービス終了からの三ヶ月間ほどは現実に帰りきれないユーザーたちがオンラインでグループを作って交流を続けたり、撮り溜めたスクリーンショットをSNSに載せて懐かしんだりしていて、年末にはオンライン同窓会がすごく盛り上がっていた。

 けれど時間が過ぎるに連れてその熱も段々と静まってゆき、今では記念日ハッシュタグなどで話題が浮上するくらい。社会人ユーザーたちは休日を利用してオフ会を開いたりもしているようだけど、お金も行動範囲もままならない学生にリアルイベントへの参加はハードルが高い。

 とにかく起き出し、顔を洗って着替えを済ませ、階下のキッチンへ。父は海外出張中で来週まで帰ってこないので、家の中はしんと静まりかえっている。冷蔵庫からシリアルとヨーグルトを出して適当に朝食を済ませれば、特に予定もない週末の始まりだ。


「図書館にでも、行こうかな」


 独り言に返る声なんてないけど、いい案じゃないかな。静かな空間で人の存在を感じながら読書や執筆するのに、図書館はすごくいい。家でぼうっとしていたら、無限にCWFけいふぁんを開いては閉じてという虚無を繰り返しそうだし。

 食べている間もずっと眺めていたSNSを思い切って閉じ、スマートフォンを胸ポケットに突っ込んだ。せっかくだから昼ごはんも外で食べてこよう。




 午前の時間を図書館での執筆に費やし、コンビニで昼ごはんを済ませた後、近所にある公園へと向かった。自転車を使えば早いけど、特に予定もない週末だしのんびり歩くのも悪くない……というのは建前で、ネット依存症の僕に自転車は危なすぎるので。

 遊具や砂場が設けてあるエリアに子連れの家族がひしめいている光景は、ザ・日曜日という感じだけど、樹林エリアのみちを抜けた場所はいつもひとがない。ここのベンチに座ってスマートフォンで読書するのが最近のマイブームだった、のだけど。


 寝不足の自覚もあったので、一瞬――白昼夢を見ているのかと思った。


 四月に入ったばかりでまだ肌寒い春風が、満開を過ぎた桜の花びらを吹き散らして舞わせている。その真下に、不思議な人物がたたずんでいた。

 日本……いや、海外でも見ないような髪色――金属そのものみたいな銀色の長髪を風に流した、スラリと背が高い、どう見ても日本人ではない容姿の、おそらく男性。何かのコスプレというより、まるでゲーム世界からそのまま抜け出てきたかのようで。


「おまえ、向こう側のこころが残ってるんだな。珍しい」


 唐突すぎる、それでいて的確すぎる指摘だった。




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