[0-3]白焔、最期の約束


 呪い竜は確かに、神様が与えた戦争の兵器だ。しかしこれを召喚できるのは国家を持たない者だけ。それが神様の定めた規約ルールであって例外はない。

 革命を扇動する団体や戦争を仕掛けようとする国家が、国に属さぬ個人を雇って呪い竜を召喚させることは今までもあった。その場合でも仕様システム上、住民でない者は城壁の内側に入れない。だから呪い竜が現れるのは必ず城壁の外――住民の生活圏外であるはずなのだ。


「これは、……戦争とは違っ。私にも、何が、何だか……っ」

「うみゅ」


 少し走ればすぐ息が上がる私を気の毒に思ったのだろう、イーシィはそれ以上尋ねはしなかった。その代わりのように、いつもふかふかの毛皮に隠している小さな爪を私の肩へ食い込こませた。

 何度目かの地鳴りは大きな揺れを伴ってきて、足元をすくわれバランスを崩す。咄嗟とっさにイーシィを抱え込んで受け身を取ったが、頭上から落ちる影に背筋がぞくりとあわだった。恐る恐る見上げれば、うつろな眼窩がんかと腐りかけた巨大な口腔こうこうが私たちを見下ろしている。

 やはり、おかしい。

 猛獣が小動物を見るように、猟師が野鳥に狙いを定めるように。

 ただの兵器が、人を――おうとする、なんて。


「起きろ! 立って、走って逃げるんだ!」


 突如、雷鳴のような声が萎縮いしゅくしかけていた私の心を叱咤しったした。思わず跳ね起き、震えるイーシィをクジラごと抱え直して足を踏み出す。

 直後、二メートルはあるかと思われる黒狼が呪い竜の眼前へ滑り込み、その場で刀を携えた獣人男性へと姿を変えた。直接の知り合いではないが、私でも知っているほどの人物。国家運営にも関わる長官で、王の片腕とも言われる武器と魔術に長けた軍人だ。


 呪い竜の頭が揺らぎ、黒狼の青年へと関心が移る。このばけものはあくまで破城兵器であり、巨大なだけで動きは鈍重、知性などない存在だと、手練れの戦士にとって敵にもならないと聞いていたが、果たして本当にそうなのか。

 一瞬だけ青年がこちらを振り向き見、その金色の目に急かされた私は再び走りだす――つもりだった。不意に大きな地響きがして、真横にあった建物が崩れ瓦礫がれきが飛散する。そのいくつかは回避しようもなく、無情にも私の視界を覆い尽くした。




「……にゃん、こーにゃん、しっかりするですにゃ」

「気をしっかり持ってください、今それを退けますから!」


 一瞬、意識が飛んでいたようだ。耳鳴りがひどく、起きようとしても身体が言うことをきかない。

 崩れ掛けた道路にうつ伏した状態で、私はどうやられきに埋もれているらしい。不思議と痛みはなかったが、ブルーの両目に涙を溜めたイーシィの悲愴ひそうな表情に胸の奥がうずく。

 首を断たれ横たわる呪い竜の身体から白いほのおが流れ出し、辺り一面に広がっていった。奇妙なその現象にめ尽くされた場所はあっという間に、真っ白な灰へ変質してゆく。それを視認すれば漠然ばくぜんと、自分自身の終わりをも悟る。


「……無理だ。私を助けていたのでは逃げ遅れてしまうだろう。どうか、この子を連れて早く安全地帯へ」

「しかし、これさえ動かせれば!」

「そんな時間はないよ。貴方だって、わかっているはずだ」


 黒狼の彼――名前までは思い出せない――が悲痛な表情で私を見、それから鋭い視線を空へと向ける。と同時に不気味な鳴動めいどうが響き、どこかにまた呪い竜が発生したのを察した。


「嫌ですにゃん、ぼくはこーにゃんと一緒がいいですにゃ」


 イーシィの目に溜まっていた涙がポロポロとこぼれ出す。私にすがりつこうとする彼女を、黒狼青年はもう躊躇ためらわずに抱え上げた。前脚を伸ばして私を呼ぶイーシィに、私は精一杯の笑顔を作って向ける。


「私はここで終わったりしないよ。必ず戻ってきみを迎えにいく。だから安全な場所で待っていなさい」

「でも、こーにゃん、ここにいたら呪い竜の焔ににゃ……!」

「力になれずすみません! この子は私が、責任をもって王の元に保護しますので!」


 白焔はくえんが迫る。黒狼の青年はけてゆく私の姿をイーシィに見せまいと考えたのだろう、たくましい腕と胸に彼女を抱え込んできびすを返した。ひとり残された私は大きく息を吐き、ひんやりした地面に頬を預ける。

 私の存在いのちが、自我いしきが、ちりちりとしたほのおの熱さとともにほつれてゆくのを感じる。ここに至っても不思議と痛みはなく妙な気分だが、自分という存在が消えることだけは妙にはっきり確信していた。

 白い焔は規約ことわりを踏み越えたものに下される粛正デリートの神罰だから、呪い竜を遣わしたのは神様だろう。粛正がこんなにも無差別に下されたということは。


「世界の終わり、か――?」


 穏やかに過ぎてゆく日常の裏側にいつでもその予感が貼り付いていたことを、今さらながらに痛感する。戦争好きの神々が膠着こうちゃくした世界情勢に飽き飽きしていただろうことは、私のような一般国民ユーザーでも薄々気がついていた。


 最期におもったのは、泣きながら私に手を伸ばしていた大切なあの子のこと。

 たとえ神様によって手段を断たれ、ここへの道が閉ざされたとしても。私は、必ずあの子との約束を――。




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