第5話 白雪姫の思惑 ―side白雪姫―

「ねえ狩人さん、私の事好き?」


「……ああ」


 小人さん達と暮らす森の中、背中合わせに座った落ち葉の上で、愛しい人はぶっきらぼうにそう返事をした。

 

あたしは大きな背中にもたれながら、わざとらしく不満げな声を漏らす。


「んもーっ、もっとちゃんと返事してよねっ。こうなんていうか「愛してるよ」とか、「勿論だろう、決まってるだろ?」とかっ」


「……んな事言えるかよ」


 触れた暖かい背中越しに、低い重低音が響く。それに嬉しくなりながら、私は振り返ってその背中に思いっきり抱き付いた。

 ふわりと鼻孔に感じる香りは、彼が持つ男の人独特の体臭と、そして、森と太陽の匂い。


 暖かくて、優しい人。

 この森みたいに。


 素敵な香りを堪能したくて抱き付いたのに、しかしその人は、大袈裟にびくりと震えて静止していた。


「お、おま……な、何、して」


「んー? 狩人さんに抱き付いてるの。だって大好きだもの。甘い言葉が無くても、ご機嫌取りなんてしてくれなくても」


 硬直しつつごにょごにょ言っている彼を無視して、あたしは彼の背中に目一杯胸を押し付けた。


 後ろから見える狩人さんの茶色い髪に半分隠れた耳が赤い。

 笑っちゃうほど真っ赤になっている。


 それがすごく嬉しくて、幸せだった。


 今―――この時が、幸せだった。


「ねえ狩人さん」


 大きな体躯、鍛えられた筋肉、あたしよりも年齢を重ねた空気。


 それを感じながら、彼の背中にこつんと額をくっつけて、あたしは呟く。


「何だ」


 狩人さんが―――あたしがこの世界で初めて愛して、今も愛しすぎて仕方のない人が、静かに答えてくれる。


「やっぱり、あたしを殺してはくれないの?」


 彼の身体にまた震えが走った。

 と思ったら、ばっとこちらを振り向かれて、見えぬ速さで両肩を掴まれた。


 狩人さんの髪と同じ茶色い瞳が、哀し気に歪んでいる。


 茶色い短髪に、無精ひげ。

 太い眉に、濃い目の顔立ち。


 三十五歳という年齢にしては、ちょっと若く見える。

 それでもまあ、十九歳の私に比べれば大分大人なんだけど。


 くたびれた服の下には、鍛えられた身体が隠されていて。その逞しい胸は、いつもあたしを温かく包んでくれる。


「お前はまたっ…そんな事言ってるのかっ」


 ……あーあ、また怒られちゃった。


 焦りと怒りで顔を顰めながら、あたしを叱りつける狩人さんの顔には、苦悩が滲んでいた。

 そんな顔をさせたかったわけじゃない。


 だけど、言えばそうなることは判ってた。


 それでも、言いたかった。


 あたしが好きなのは、愛しているのは、貴方なのだと。


 違う男―――『王子様』では無いのだと。


 愛してもいない男の花嫁に、例え物語でもされてしまうのは、あたしには死にたくなるほど耐えられない事だった。


 あたしが生まれた当初は、こんな性格をしていなかったと思う。だけど、あたしは変わった。


 自分を初めて助けてくれた人に恋をして、彼を愛して。


 幾千、幾万、幾億回愛した人とは違う男と結婚させられて、あたしは変わってしまったのだ。


「ごめんね狩人さん。あたし、貴方が好きよ。王子様じゃなくて、貴方を愛しているわ……」


 あたしの告白は、哀し気な狩人さんの口付けと共に、深い森の中へと溶け込んだ。



◇◆◇



『それは奇遇だね。僕も、君みたいな女は全く好みじゃないんだよ』


 あいつが言った。


 黄金色の髪をした、見た目は小綺麗な王子様を気取った、あの悪魔の様に腹黒な男が。


 あいつがあの人を好きな事には気付いてた。

 だってあいつはあたしとの結婚式の間ずっと、あの人のいる部屋を見つめていたから。


 焦がれて焦がれて、焼け死んでしまうみたいな瞳をして、ずっと見ていたのを知っているから。


 物語の外では、あたしたちは基本的に自由に動いていられる。

 だからあたしも狩人さんと、愛の逢瀬を重ねる事が出来ているのだ。


 だけど、あの人だけは違う。


 『お妃様』だけは、物語の外まで絵本の意思に縛られていて、誰も彼女の部屋に近づくことすら出来なかった。

 

 彼女はたぶん、自分が他の人々に嫌われていると思っているのだろう。


 だけど違う。


 皆―――いや、少なくともあたしは知っている。


 あたしに毒林檎を食べさせる時の、彼女の瞳にある絶望の色を。


 自分が咎人であるかのような苦悶に満ちた表情を。


 彼女を手に入れる為には、あいつはこうするしかなかったんだ。


 愛しい人を……守る為には。


 物語の最後、お妃様は真っ赤に焼けた鉄靴を履かされ、死ぬまで踊らされてしまう。


 それを見る時のあいつの顔は―――あたしが知っている言葉では、たとえるものが無いほどだった。


「さてと、そろそろいいかな」


 あたしは、自分が入れられていた硝子の棺の蓋を思いきりよく明け放した。

 正しくは、蹴り飛ばしたと言うべきか。


 周りを囲んでいた小人役達が、ぽかんと呆けた顔で固まっている。


「アンタ達も、もう好きな事していいのよ。大丈夫、世界は壊れたりしないから」


 あたしは立ち上がって笑いながら、間抜けな顔を可愛く晒している小人達へ、ウインク交じりにそう言った。

 

 そして森の大地を踏みしめて、愛しい人の元へと駆けて行く。

 あたしを助け、そして愛してくれた、狩人さんの元へ。


 ―――ねえ、王子様。


 あんたは物語の中でヒーローだけど、やっぱりそれは合ってるわ。


 あの人を救い、この世界を変えたあんたは確かにヒーローよ。


 だけど、あたしはあんまり認めたくないのよね。


 だって『悪魔のヒーロー』なんて、誰も良い顔しないでしょ―――?

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