そして、平戸から

 慶長けいちょう二十年(1615)、長崎県の北に位置する平戸の港町では大西風が海を煽らず吹いていた。それを一望できる陸地は平屋の木造建築が列を成し、戦国時代の余韻を残す衣服を纏う人々が街道を行き来している。

 そこに馴染むのは切った髪が肩に届き始めた金髪碧眼の少女、オフィーリア・ハリソン。西欧風女性服の上に水平線の色を染めた羽織りを着るという異質な組み合わせだが、不思議と調和して見える。そんな彼女の背にある丘には、煤焼けた姿の平戸城が世界の玄関口を見守っていた。


明日みょうにちの出航となったな、オフィーリアよ」


 オフィーリアが港の帆船を遠目に見ていると、松浦寧森まつうら やすもりが畳んだ扇子で肩を叩きながら話しかけてきた。密命の江戸参府で徳川家康と会ってから二ヶ月が経過し、ローガン一行は無事に平戸へ帰ってきた。そして季節は秋の暮れ、小さな商館に身を置く二人の視線の先には、日本の輸入品を積んだイギリス行きの大型船が停泊している。


「ところで、オフィーリア。日本の名産品についてだが——流石に【饅頭】はイギリスへ到着する前にあかびてしまう、良い提案とは言えぬな」

「……ですよね」

「異国までの航海日数、不潔を避けられぬ船内を踏まえれば持ち込みが難しい事も、貿易の均衡を保つに相応しい品であるかどうかも、少し考えれば分かるはずであろう?」

「……名産品については、私の考えが浅はか過ぎました。申し訳ありません……」

「だが、四日市の土産物については商において契機になるやもしれん。非常に、興味深い」

「はい、きっと人と品を繋ぐ文化になってくれると……信じています」

「饅頭は的外れであるが、こちらの羽織りは非常に良い出来だ。これであれば、向こうでも喜ばれるだろう」


 松浦はオフィーリアが着用している羽織りに注目した。今、彼女がマントの代わりに着用している御召御納戸おめしおなんど勿来関なこのせきに身を潜める緋櫻が織ったもの。罪滅ぼしにはならないが、誠意の風合ふうあいはイギリスへ羽搏くには十分。職人が集う伊東での暮らしが薫る縮緬ちりめんに松浦も高く評価しているが、やはり貿易商の玄人プロは視点が鋭い。


「しかし、今の貿易は希少価値より数が求められる。次は、一定量を保って輸入出来るものを仕入れてくることだ」

「はい! 精進いたしますッ」


 ふぬッとオフィーリアは両手拳で気合いを入れた。それを真横から見た松浦はフッと笑い、目の前に広がる海と集まる大型船を見る。


「暫くは貿易船でせわしく、言い逸れてすまないが……江戸参府の命はご苦労だった。稲葉と高墨は引き続きイギリス商館の奉公人として働く事になっている」

「そうですか! 良かった……心強い御二方なので、これからも一緒で嬉しいです」

「道中は色々あったと、三浦様からお聞きしている。全員無事に平戸へ帰還して何よりだが、重ね重ね辛い思いをしただろう?」

「不安な事ばかりでしたが、先生が平戸で待ってくれている。それだけで長い道のりも、苦ではなかったです」

「そうか。——しかし平戸は、本当に帰る場所とは言えぬだろう」

「え?」

「此度の輸入船で生まれ故郷へ戻るが良い。時間は掛かってしまったが、現地商人の理解を得る手筈は整えている。今、帰還すれば身内全員の働き先と安定した生活を約束されるだろう」

「でも、私は商館長次席ヘトルらしい働きを全然していません……!」

「日本は大航海時代に出遅れている。その焦りに某はオフィーリアを二年間も縛り付けていた。弟子が手元から離れ、漸く思慮の浅さが見えるとは、なんと無様か」

「先生……」

「これ以上、日本の時代に振り回される事はない。すくなくも生まれ育った地で、天寿を全うして貰いたい」


 自身の野望に巻き込んだ事を詫びて、松浦は深々と頭を下げた。尊敬する師の低姿勢にオフィーリアは反応に困って、目や指先の動きが混乱している。どう返すべきか冷静な判断は出来ないが、彼女の本心は迷いの無い言葉を紡ぐ。


「先生、私はまだ……日本から離れるつもりはありません」

「無理をするな。平戸ですら、異国人の立場が悪くなってきている。このままでは激動の渦に身を置く事になるのだぞ」

「それはイギリスだってそうです。私が幼い時にスコットランド王がイングランド国で戴冠されまして、これでは対立戦争がいつ起きてもおかしくないですよ〜」


 やれやれ顔で軽口を叩くオフィーリアに、松浦は呆気を取られる。すぐさま彼女は調子に乗りましたと苦笑いで謝罪し、吹き付ける潮風に対して離れたくない思いを吐露する。


「私、どうしても平戸に薬膳レストランを作ってみたいんです」

「浮ついた言い訳にしか、聞こえんな」

「先生のおっしゃる通りですね。とても図々しくて、ワガママな目標でしかありません。でもこれは——日本でなければ、叶わないんです」

「日本でなくても、実現出来るものであると某は思うが?」


 商人の師から畳み掛ける、静かで厳しい声。聞き入れたオフィーリアは、海から松浦に視線を向けると真っ直ぐな笑みで反抗した。


「先生の目標も、日本でなければ実現出来ないものではないでしょうか?」

「……ほう」

「平戸の決まり文句は『商人は利益が無ければ動かない』ですよね?」


 日本で夢を実現したい、ただそれだけ。オフィーリアは決心ある気の抜けた顔を松浦に向ける。若者の暖気のんきを浴びて不覚にも参ってしまったのか、松浦は愛用の扇子を引っ張り出すとパンッと広げ潮風をあおぐ。


「平戸は世界への入り口。未知と可能性を繋ぎし場所にて新たな野心を実現するならば、海路は辛く険しいものであるぞ」

「私は平戸イギリス商館、影の商館長次席ヘトル……、理不尽は承知済みです。それに、チエという時々頼もしい女中が側にいますから」

「日本に残り、商館員となるならば、後に博多や琉球……日本各地だけでなく海を渡り、異国に赴く事もあるだろう」

「博多! ……あ。コホン、ジャックス商館長と先生のご期待に応えられる働きをしてみせます」


 将来を語る二人は背後から、革靴の足音が近付いてくる事に気付く。合わせて振り返ると、見慣れた剽軽者の笑顔が見えたが————それを出迎えるにはあまりにも時期が早い。大航海時代の貿易船ならばオランダと日本の航海日数は一年近くはかかる。新たな目的の為に数ヶ月かけて引き返し、この場に姿を見せるのは、エデュアルト・オールト。


「えッ、なんで……⁉︎」

「何故、日本に戻られた——?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る