五、琥珀糖

 還元祓魔術で生成された弾ではなく、なまりの弾を装填する。

 一つずつ、一つずつ、命を奪う小さな重みを積んでいく。

 弾倉を嵌めると、躊躇ちゅうちょが削ぎ落される。

 引き金に掛けた手が、最後の良心として留まる。


 人を殺すにはそれ相応の手間がかかり、それ相応の重みがある。だというのに、人差し指が境界線を押し潰せば、全てが呆気なく終わる。


 消音器の歌唱指導を受けていない拳銃リボルバーが、荒々しい咆哮ほうこうを上げた。研ぎ澄まされて揺るぎない無彩色に落ちたそれは、男の手中に熱を残す黒鉄くろがねや、役目を終えて背負われた軍用小銃と全く同じ色をしている。

 ささやかな冷房の風に押されて、鉄と硝煙の臭いが鼻腔を撫でた。青白い電灯で照らし出された地下室には、ただ立ち尽くす艶美な男と、倒れ伏したみすぼらしい男たち。それから、空になった薬莢が少々。


 いつもなら伊達眼鏡を通すオパールグレイの双眸は、裸眼のままで亡骸たちを見下ろしていた。ルージュが引かれた唇は沈黙し、吐息の音すら静謐に響かない。

 首から下、軍用作業服とプロテクターで包んだ体をひるがえし、男は鉄板の階段を上がっていく。アイスピックで氷を穿うがつように、ミリタリーブーツが沈黙を砕いていく。


 金属製の分厚く重い引き戸を開けると、いくらか物音が耳を打った。いずれも人が立てるものではなく、通りすがりの風や、踏み潰せる程度の異物がこそこそ逃げていく音。気に留めるようなものではない。

 プラチナブロンドとブルーグレイを組み合わせたツーブロックが、生温い風に煽られる。モノクロームに薄く輝く色彩ながら、武骨な装いや廃ビルに似合わない洗練をまとった男は、タイルの剥がれた壁に背を預けて息を吐いた。


「――センチメンタルか? それともメランコリック?」


 鈍い足音と共に、からかうような声が転がってくる。西部劇の回転草タンブルウィードが立てる音にも似た、年季と乾きで構成された声。オパールグレイの目がじろりと睨みつけても、平気そうに笑っている声の主は、軍用散弾銃を抱えていた。年老いても衰えない体格は、洗練された男と同じ軍用作業着とプロテクターに包まれているが、若い男よりもずっと似つかわしい。


「そんな繊細さがあるように見える?」

「見える見える。けいちゃんまだ若いんだからさァ、葛藤くらいするだろ?」


 口の片端を上げて不器用気味に笑う老兵は、ヒッヒッと肩を震わせてもいた。悪気はないと分かるものの、反骨精神をちくちく刺激されて、金銀を髪と目に宿した男はため息をつく。


「あとはぽっくり逝くだけのジジイは、余裕があってよろしいことで」

「いつおっ死ぬかも分かんねェくせに、いつタマ落っことすか分かんねェ現場から離れないジジイには、迷ってる暇なんてねェってだけよ。そんなのは未来ある若い奴の特権なの。三十になったばっかの啓一郎けいいちろうちゃんは、思う存分に悩みなさいな。ま、直にここはうるさくなるから、続きは車の中でやってくれ」


 一仕事終えたとばかりに寛いだ声で言い、老兵が先に歩き出す。壁に背を預けていた男も、銃は仕舞わないものの、いくらか警戒を緩めて後に続いた。

 古い様式の廃ビルは、廃棄市街と化してはいない。安全都市圏内へ異物を違法に売り捌く、犯罪組織グループの根城となっていた。しかし、そうだったのは数分前まで。地下室で最後の一人が絶命した後は、建物含めて死骸となった。


 雨雲が垂れ込めるような屋内から出れば、燦々さんさんと降り注ぐ夏の日差しが、老若の男二人を焼く。若い男は顔を顰めていたが、老兵と同じく事も無げな風体を保って、小型軍用車に乗り込んでいた。

 運転を担うのは若い男の方。老兵は散弾銃を片付けて後部座席に置いてから、助手席に座り煙草をふかし始めていた。途端、「げぇっ」と運転席から不愉快を示す声が上がる。


「窓開けてから吸いなさいよヤニカスジジイ!」

「へえへえ、いま開けますよっと。……ったく、神経質な息子を持つと大変だなァ。光理は全然うるさくしないのに」

「あの子はお淑やかだから、アンタに遠慮して文句言えないだけ!」


 本当にヤダ、とブツブツ文句を言い連ねる男は表情まで歪めていくが、それは煙草に対してではない。先月から、尻尾も掴ませず逃げ続けている身内に対してだ。そう簡単に野垂れ死ぬような女ではないことも、見知った相手と一緒であることも分かっているが、心配は日々募るばかり。自ら捜索していても、完全に心が休まったことはない。

 二倍の経験を重ねているが故に、落ち着き払っている老兵への八つ当たりも含めて、男は乱暴に水筒を傾けた。ルージュが取れるのも構わず口を拭い、車のエンジンを入れる。同時に、肩に装着していた通信機が震え、よく通る女の声が響いた。


『――渡貫わたぬき千衣ちえより改道啓一郎へ。応答願います』

「……こちら改道啓一郎、通信は良好です、どうぞ」


 深呼吸をしてからの応答に、『アンガーマネジメントができて偉い』と褒め言葉が返される。旧知の間柄、何度も仕事で組んだことのある千衣相手だと、啓一郎は自然と肩の力を抜けた。車内に冷房が効いてきたことも、苛立ちの鎮静に一役買ってくれている。


『まずは任務お疲れ様。直に第五都市の直轄傭兵部隊が後片付けに行くから、そのまま離れても問題ないよ』

「ええ、予定通りね。ところで、次はどんな雑……任務が入ってきたのかしら。通信を入れて来たってことは、そういうことでしょ」


 首に巻かれたチョーカーを軽く引っ掻いて、啓一郎はため息交じりに問いかけた。隣の老兵にも巻かれているこれは、装着している人物を遠隔操作で気絶、爆殺が可能な代物。第三都市守衛軍の駒として扱われる元犯罪者、またはその関係者であることを示す悪趣味な身分証。

 改道光理の師であり後見人の改道啓一郎。啓一郎の養父であり、同じく光理の師を務めていた老兵、炭田たんだ重満しげみつ。二人は現在、第三都市守衛軍所属の渡貫千衣中佐による監視のもと、改道光理の捜索および追跡を行っている。その傍ら、守衛軍の要請に従い、都市圏外に蔓延る犯罪組織の殲滅を手伝わされてもいた。


 支援を受けて光理を探せるとは言え、穏やかではない汚れ仕事に身動きを制限されるのは鬱陶しい。それでも、仕事を前にした啓一郎の頭は凪ぎ、冴えていく。


『第六都市から要請が入った。都市防壁の外へ出た際に誘拐された二十三歳男性を捜索し、生死を問わず保護してほしいと。その後は第三守衛軍に引き渡し、第六都市へ送還することになっている』


 千衣も分かっているため、単刀直入に任務内容を告げる。次は捜索すべき男性の特徴だと、啓一郎の耳は準備を整えていたが、『でも』の二音で止められた。


『好奇心に駆られた一般人の誘拐事案にしては、少し引っかかるの。第六都市へ送還するように言われてはいるけど、その後は東丘ひがしおか総合研究所へ送られるみたい。職員でもないのに』

「ほーお」


 片眉を跳ね上げた啓一郎の隣で、重満がくわえていた煙草を携帯灰皿へ押し付け、名残の煙を吐いた。

 東丘総合研究所は、ナンバリングされた新興都市に必ず設立されている、組織運営の研究所。第三都市にある研究所は、正確に言えば第三研究所となる。異物対策や還元祓魔術の研究および兵器開発といった、現在求められる安全と守護に直結する要素を取り扱っており、各都市の守衛軍とも深く関わっている団体組織の名称でもあった。


「あいつら、いつまで経っても臭いが消えねェからなァ。今度はどんな奴が出てくるのやら」


 にやりと口の端を跳ね上げる重満に、啓一郎は嫌そうな顔をしつつも、内心では同じようなことを考えていた。学問や技術の最先端は、時に常識や倫理を置き去りにする。視線が合わなくなった研究者や、融通の利かない人工知能といった存在は、何人何体も見たことがあった。


「異物じゃなくて人間を求めるところがまた臭う。渡さない方がそいつのためなんじゃない? ま、目を付けられちまった以上は、どこにも逃げられねェだろうけど」

「そうね。誘拐されてる時点で、もうろくでもない目に遭ってるけど。それで、これから探す男の特徴は?」


 同情はするが、それだけだ。啓一郎は光理に心を傾けているし、重満に関しては本当の同情もしていない。千衣もそうだからこそ、逸れかけた話は任務内容伝達へ戻っていく。


『男性の氏名は卯木淳長あつなが。髪と目は明るい茶髪で、無地の半袖白シャツに紺色のスラックス、赤茶色の革靴を着用。身長は一七三センチ、体格は普通または細身』

「一般的な新卒社員って感じね。都市圏内ならともかく、圏外だったらすぐ目に付きそうで助かるわ」

『啓一郎の端末に写真も送ったけど、まさにそんな感じ。髪と目は生来のものだって』


 するり、啓一郎のポケットから、重満が携帯端末を取り出す。パスワードも容易く打たれて表示された画面では、すいすいとメールが開かれ、添付画像も開示されていく。


「おー、若いねェ」

「自分ばっか見てないで、こっちにも見せてよ」


 重満の双眸から近づいたり離れたりしていた啓一郎の端末が、くるりと持ち主を振り返った。縦長の画面いっぱいに、硬い表情の若い男を映して。

 まぶしいを通り越して微笑ましいとばかりに、老爺が目を細めていたのも納得なほどの初々しさ。啓一郎はしっかり眩しさに目を細めた。新品の輝きを放つ証明写真は、かつての自分や千衣、淳長と同年代の光理が撮ったものとも全く違う。


「この薄汚れた世界じゃ、漂白剤落としたみたいに分かりやすそうね……」

「死体で転がっててもすぐ分かりそうだなよァ」

『死体にはなってほしくないところだけど。ともかく、卯木さんの捜索も、よろしくお願いします。まずは第六都市近辺へ向かって』

「了解。じゃ、切るわね」


 通信を切ると共に、長らく待たせていたアクセルを踏む。数分前に到着し始めていた第五都市の傭兵部隊を尻目に、老若の男二人を乗せた軍用車は、第六都市方面へと走り出した。


「……って、ジジイ、私の端末返してくれる? それとも、卯木淳長って人の写真に、何か気になることでもあった?」

「んー、いんや、特にはねェな。会えば何か分かるかもしれねェけど」


 言い終わるより先に、啓一郎のポケットに重みが戻ってくる。さほど長く起きていなかったため、布越しに熱が伝わることはない。


 ――探したいのは、別の人なのに。


 保つ必要のなくなった冷静が、本音を覆いきれなくなる。まっさらな若者の姿を比べたせいもあってか、本当に探したい身内の面影が、より鮮明に脳裏へ浮かんだ。

 傭兵の装いを纏っていても、そう簡単に死にはしなくても、瓶詰めの琥珀糖みたいな側面を持っているところは変わらない女。大切な人のためならなんだってすると、危なっかしいことを言ってしまえる女。そんな内面を知り尽くせるほど、一緒の時間を過ごしてきた大切な弟子で、家族。


 光理は今、何をしているだろうか。道連れにした草加新と、まだ、逃げ続けるつもりだろうか。


 変化に乏しい廃墟の風景を睨みながら、ハンドルを握る手に力を籠める。内部の冷涼を保ったまま、武骨な車両は次の目的地へと、迷いのない走りで進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る