六、呼吸

 ブラシをかけ、オイルを塗布した部品たちを、元の通りに組み立てていく。ひんやりとしたコンクリートの床に胡坐あぐらをかいた光理は、相棒たるライフルの手入れ最終段階、祓魔術の動作確認へ移っていた。

 銃身に施されている、埋め込み刻印式の還元祓魔術回路は、通常なら見えることなく静かに起動する。が、光理が意図してグリップとハンドガードに触れて構えれば、漆黒を彩る螺鈿らでんのような唐草模様が現れる。

 野営した丘陵から十五キロほど離れた地点、廃倉庫が立ち並ぶ区画。薄曇りのため、弱い日光以外に照明のない廃屋内では、控えめな虹色をきらめかせる銃身がよく目立つ。先に手入れを完了した拳銃よりも広範囲を彩る曲線は、冷たい無機質の黒鉄にさえ、優美な華を添えてみせていた。


「ほへぇ……すごいんだね、何とか術を付与した銃って」


 確認を済ませた小銃の拭き掃除に入ると、間の抜けた感嘆が零れ転がっていく。相変わらず手錠をかけられたまま、ほとんど何もできない見学者の声だった。締まり切らない顔でぼけっとしている淳長あつながに、光理は何度目かも分からない呆れの一瞥を返す。


「還元祓魔術ね。一般市民とはいえ、還元祓魔術そのものは知ってないとまずいんじゃないかな。今の安全都市が成り立ってるの、還元祓魔術のお陰だよ?」


 言いながら銃をケースへ仕舞い、光理はようやっと淳長に向き直る。涼しさを求めてジャケットを羽織らず、上半身はタンクトップの黒シャツを纏うだけのため、いつもは見えないドッグタグのネックレスが揺れていた。


「それともあれか、変換祓魔術って言った方が馴染みある?」

「あー、そうだね。どっちにしろ、オレはそういう不思議な技術は使えないから、名前しか知らない程度だけど」


 大雑把な内容だけでも知っておいてほしいところだが、ほへーと耳から耳へ流されそうな気配しかしないため、光理は何も言わないでおいた。


 変換祓魔術は、資源として確保した異物を利用可能な形へ変化させるもの。還元祓魔術から発展した派生術式であり、光理たち傭兵のような掃討目的の者たちも使用する。光理が淳長と遭遇した廃棄市街へ向かっていた際、小型や中型の異物狩猟に役立てていたのも、正確にはこの術式だった。

 祓魔術の名称だけを借りたような魔改造技術は、使える者と使えない者に分かれる。その違いは、異物出現と時期を同じくして人体に見られるようになった、全く新しい循環器と神経系の有無。都市圏内であれば病院などを通して有無を確認でき、廃棄市街などでは祓魔術を付与された機材を扱えるかどうかで雑に確認できる。


「あれ、あらたくんこっち来るよ」


 座ったまま伸びをしていた淳長が、戸口へ向けた目を瞬かせる。光理と新がどちらも年下だったため、淳長から二人への呼び方は気安いものになっていた。もっとも、先に親近感ある呼び方をしていたのは光理だし、今さら淳長にかしこまられても違和感しかない。

 光理が視認するより前に、屋内へ足音を響かせた新もまた、自分の仕事を終わらせていた。内容は軍用トラックのメンテナンス、または追加の魔改造。屋外で作業をしていたのに、光理と違って白衣を着用しっぱなし。それにも関わらず疲労感は漂わせず、清涼感を保ち続けている。


「お疲れ様、草加くん。そっちも終わった?」

「はい。いつでも出発可能です。その前に道程の取り決めですが、さらに考慮を重ねる必要性が出てきました」

「……師匠たちも、第六都市近辺にいるの?」


 コンクリートの床に腰を下ろして膝を抱え、目線が同じ高さになった新へ、光理は探るような目つきで問いかける。新は穏やかな表情を崩すことなく、すぐに首肯した。


「どうやら、第六都市も卯木うつぎさんを捜索しているようです。軍を通して、改道さんのお師匠と炭田たんださんにも協力要請がかけられていました。それからもう一つ。卯木さんの身柄は、最終的には東丘総合研究所へ送られるようです」


 メンテナンスをしていても、当然のように無線を盗聴していた新の情報は確か。淳長はきょとんとしながら二人を見比べているが、光理の表情があまり芳しくないからか、不安げに顔を曇らせている。


「研究所がどうかしたの、光理ちゃん」

「あー、ええと。……研究所内にも、良くない派閥があるからさ。もしかしたら、卯木くんがまた、危ない目に遭うかもと思って」


 都市圏内の人間にとっては疑いたくない組織を悪く言うわけにいかず、できるだけ光理は言葉を選び、濁しておいた。それでも、じゅうぶん察することはあったのだろう。明るい茶色の面影はかげっていた。

 大きな組織団体や大きな権力を持つものが、一枚岩ではないことは世の習い。さすがの淳長でも、そのあたりは分かっているのだろう。分かっていないと困るというか、光理の心が休まらない。


「それにしても、なんで研究所が出てきたんだろう。検査をするだけなら病院で事足りるのに」

「え、オレ検査されるの?」

「そりゃあそうだよ。都市圏内よりずっと不衛生な場所にいたんだから、病院で検査を受けなきゃ。研究所でもできるだろうけど、あそこは下手すると、検査だけで解放してくれるような場所じゃないし」

「改道さんの言う通りかと。研究所が出てくるのなら、卯木さんご自身に原因があると考えるべきですね」

「記憶はちょっとあやふやだけど、なんもないってばー! オレはただの一般人ですー!」


 やや常識足らずの、と光理に内心で付け足されたことなど露知らず、淳長は後ろへ倒れ込んで寝そべった。記憶があやふやという自覚がきな臭すぎるものの、残念なことに、それだけでは狙われる見当が絞り切れない。


「うーん。……早めに送り返した方が、病院の検査だけで済む、って言ってもらいやすいかな。卯木くんも早く帰りたいだろうし」

「できるだけ早めに帰れると嬉しいです……」

「都市圏外は危険だしね。よし、じゃあやっぱり、このまま送り届ける方向で行こう。途中で師匠たちに引き渡す手もあるけど、私たちもろとも捕まっちゃいそうだから、変わらず避けて都市近辺に届ける。どうかな、草加くん」

「現在出揃っている情報を踏まえても、妥当な判断かと。では、引き続き第六都市を目指して進みましょう。先に車の準備をしてきますね」


 よろしく、と光理が声を掛ける頃には、新は尻についた土埃つちぼこりを払い、トラックの方へ歩いて行った。光理は自分の銃を腰と背に引っ提げた後、淳長が身を起こすのを手伝ってやり、のんびりトラックへ歩いていく。


「……光理ちゃんと新くんって、息ぴったりだね。阿吽あうんの呼吸ってやつ?」


 手錠を引っ張られることなく、自らの足で歩いていた淳長が、ふと思い至ったとばかりに光理へ問いかけた。光理としては何度も言われてきた言葉だが、何度言われても嬉しい。


「五年は付き合いがあるからね。私が前線に立って、草加くんが後方から的確な指示をくれる。そうやって異物を掃討してきたから」

「さっき言ってた、光理ちゃんの師匠って人たちも?」

「うん」


 けれど、嬉しさの鮮度は短かった。胸中へ一気に水銀を流し込まれたような感覚がして、肯定から先の言葉が潰れた。

 声を発するものだと開門していた口が、もにゅもにゅと引き下がっていく。今さら、憧れた二つの背中を自慢に語る資格などない。草加新との別れを拒否して、見苦しい茶番を始めてしまった瞬間、親にして恩師の二人へ泥を被せてしまったのだから。

 光理が黙ったことに何かを察してか、幸い、淳長は問いを重ねなかった。既にエンジンの鼓動で震えているトラックの傍へ到着したから、会話の切り上げにちょうどいいと判断したのかもしれない。


「じゃあ、卯木くん。くれぐれも、よく分からないものには触らないようお願いね」

「言われなくても触りたくないよ……」


 今までは助手席に乗せられていた淳長だが、今回は荷台へと乗せられる。荷台には銃器や精密機械が積まれているため、淳長はできるだけ助手席に乗るべきという結論が出ていたのだが、これから突っ込む状況を踏まえるとそうはいかない。野営していた丘陵地ではなく、離れた廃倉庫が並ぶ場所で銃とトラックのメンテナンスを行っていたのも、邪魔の入らない場所で態勢を整えるためだ。

 遭遇がこれで四度目になる追跡者との、銃撃戦へ臨むために。

 淳長が荷台の座席にきゅっと収まったのを確認する傍ら、光理は他の銃器とその弾を手に取り、外に出てから助手席へと乗り込む。新はもう前を見据え、出発の合図を待っていた。


「行こう、草加くん」


 振り下ろされるのを待つ白刃めいた横顔に、一瞬ひやりとさせられつつも、銃の重みが体の一部として沈み込んだ光理は怯まない。「了解」となぞる声の透明は変わらず、トラックは唸りを上げて、廃倉庫を後にした。






 もはや顔なじみの追跡者が近づいていると発覚したのは、丘陵地で朝食を済ませた後。野営場所に追いつかれ、防戦一方となる状況を回避すべく、光理たちは先の倉庫群へ一時避難することとなった。その道中、危機感が追いついていなかった淳長に、手短な説明も済ませて。


 態勢を整えた今は、わざわざ相手方と暗号化した無線でやり取りをし、指定した場所へ向かっている。薄曇りの風景は、かつての工場地帯へと変化していた。濃淡に何とか風情を見出せそうな曇天と違い、沈黙した工場の群れは、火災の名残でほとんど真っ黒。建物の他、巨大な重機も黒焦げになった骨格を晒している。

 工業地帯に入ってしまえば、目的地の廃工場へ辿り着くまで時間はかからなかった。門も駐車場も無意味になった工場前へ、トラックが堂々と停車する。周囲に敵影がないのを確認しつつ、光理はドアを開け、重みを増した体で黒土を踏み締めた。


「では、ご武運を。帰還をお待ちしています、改道さん」

「うん、行ってきます、草加くん」


 帰ってくるための、命綱とすら呼べないささやかな言葉を交わして、光理は単身で工場へ歩いていく。海が近いため、微風も潮の香りと湿気を含んで重い。冷たくはないため、くもりから雨になることはなさそうだが、どうなるかは分からない。

 ひしゃげた鉄扉の隙間をぎりぎりすり抜けて、がらんどうの屋内へ踏み入る。鈍く小さいミリタリーブーツの足音さえ響きそうな空間に、しかしそれより軽やかな足音が跳ねた。


「みゃ! みゃみゃみゃみゃーっ!!」


 二階部分から甲高い奇声が降ってきたかと思えば、蛍光イエローを纏った小柄な人影が飛び出してくる。高所から飛び降りて来たにも関わらず、回転して勢いを殺しつつ着地してみせたのは、突撃小銃アサルトライフルを抱えてニタリと笑う少女。


「みゃっはぁ……会いたかったにゃあ、ひーかーりーちゃぁーん」


 白いメッシュが目を引くも、光理のそれよりも真っ黒で短い髪、ぱっちり見開かれた黄色の目といった、黒猫が人の姿を取ったような追跡者。何度も光理を追いかけては、遊んでくれと銃を構えるイカれた少女。


「こっちは遭いたくないんだけど。きみは相手した方がさっさと手を引くから、付き合ってあげるだけだよ、ルゥナちゃん」


 言うや否や、光理は先んじて威嚇の一発を撃った。「にゃあ!」と嬉しそうな声を上げ、ぴょんと跳ね避けるルゥナは、歪んだ笑みを顔に湛えている。


「光理ちゃんってば、せっかちだにゃぁ。それに、早く済ませたいってキモチが見え見えにゃの、よくにゃあい! ルゥにゃはたっくさん遊びたぁいにゃあ!」

「いつまでも猫じゃらしを振るうほど、私は付き合い良くないよ」


 にべもなく切り捨てて、光理はライフルを自動に切り替え、還元祓魔術の回路を活性化させる。黒猫めいた少女もまた、にぃと口角を引き上げて、姿に全く似合わないライフルを構えていた。

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