四、アクアリウム

「――お兄さんじゃん! うわ、良かったぁ、また会えた」


 とぼとぼ出てきた洒脱にして軽薄な男は、光理に気付くなりパッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。助けたとはいえ、銃を持っていると丸分かりの相手に無警戒が過ぎる。隠しているのをいいことに、光理は存分な呆れ顔でため息をついた。


「……あのさ。これ、見えてるよね」

「え、お兄さんが持ってるやつ? 銃でしょ。それがどうかしたの?」


 きょとんと首を傾げられ、またため息が出そうになる。いくら還元祓魔術が浸透したとはいえ、鉛玉が消えたわけではない。それを向けられるかもしれないという恐怖はないのだろうか。

 そこまで言ってやるほど、光理はお人好しではない。お人好し云々というより、呆れてものが言えなくなってしまった。新の運転するトラックがすぐ傍まで来たことも、口をつぐむ一因だったが。


「あ、やっぱりトラックだ! お兄さんもこの音が聞こえたから来たんでしょ」

「そりゃあね。僕が乗るトラックだし」

「そうなん!? え、じゃあオレのことも乗せてくんない? いやぁ変な人たちに袋被せられてさ、気付いたら元々いたところとは別の場所に……」


 運転手がフード付きの外套で顔を隠しているにも関わらず、表情も口もよく回る男に、光理はライフルの銃口を向けてピタリと定めた。さすがに男もひるんだらしく、安堵の笑みを引きつらせ、目を泳がせ始める。


「え……なに、お兄さん。オレなんか悪いことした?」

「きみは僕たちに何もしてないけど、僕たちは悪いことの真っ最中なんだよね。だから色々、物騒なことをしないといけない。ひとまず殺すつもりはないけど、妙な行動を取りそうだなって判断したら、きみを撃たないといけなくなる。最悪、鉛の実弾で」


 変声機のお陰で、光理の脅しは重みや凄みを増している。すっかり笑顔を失った男は、ゆっくりと両手を上げたのち、緊張の面持ちで光理を見つめ返していた。瞳を震えさせながらも視線を逸らさないあたり、胆力はあるらしい。

 何となく察してはいたが、図太かったのは胆力があったから、という側面もあるのだろう。一人で納得しつつ、光理は銃口を向けたまま、次の質問へと移る。


「とりあえず、きみの情報を知りたい。まずは名前と出身地を教えてくれる?」

「……名前は、卯木うつぎ淳長あつなが。出身は第六都市」

「卯木くん、ね。さっき言ってたことから推測すると、きみは第六都市の圏外に出て、そこをさらわれてしまったのかな」

「たぶん。圏外って言っても、防壁の近くだったからさ、攫われるなんて……」


 本当にショック、と言わんばかりの顔をする淳長だが、光理としてはよく聞いたことのあるパターンだった。安全都市圏の前線にいる人々が、暗闇と繋がっているなどよくある話。光理には苦々しい現実だが、金銭で雇われている傭兵であればなおのこと。


「……で、次に見た景色がさっきの廃棄市街だったと」

「うん。目隠しされた後に袋被せられてたんだけど、どっちも取られたら銃持った怖いオジサンたちに見張られてて、椅子に縛り付けられてた。よく分かんないけど、オレのことはまたどこかに渡す、みたいな話してたな」

「誘拐された原因、身に覚えはない? 実家が太いとか、最近なにか入手したとか」

「ええー……ないなぁ。オレ、普通の社会人だし」


 一般的な社会人なら恐怖が鈍間のろまだし、世間知らずでは……という指摘を呑み込んで、光理は浮かべていた推論に斜線を引いていく。健康体で若い男性だったから、臓器や実験、そのほか理解しがたい趣味目的で誘拐されたのだろう。身なりが崩れず綺麗なのは、手荒に扱われる前だったから。あるいはその方が手間をかけず売れるから、といったところか。

 気分の悪くなる風景が呼び起こされそうになって、光理は一度、ゆっくりと瞬きをして切り替えた。よどみなく答えているが、まだ緊張を解いてはいない淳長に、再び別の質問を投げる。


「ちょっと話を戻すよ。きみは、どうして防壁の外へ出たの?」


 安全生活都市圏の内外を分かつ都市防壁。それは、光理たちのような傭兵や廃棄市街へ流れる人々と、保障の恩恵を受けられる人々を隔てる壁でもある。要は、危険と安全の境目。安全の側にいる人間が、越えようなどとは到底思えないはずだ。まともな判断力を行使していれば。

 光理の疑いは覆面越しにも表れたのか、淳長の目が分かりやすく右往左往した。馬鹿な理由は軽く五つほど予想できるが、果たしてそのどれか、また別の理由なのか。


「……、……好奇心に、負けました」


 五つのうちの一つ、真っ先に浮かべた理由だった。何度目かも分からない呆れが訪ねてくるも、光理の目はそこまで白くならなかった。好奇心由来の動機など馬鹿としか言いようがないが、馬鹿にしても無視はできない。生きるものを動かす原動力なのだから。


「そっか。ま、それで危険な目に遭っても、今のところは生きてるから幸運じゃないかな」

「おっしゃる通りです……」


 銃口を向けられた状態は安全と呼べないが、下手に動きさえしなければ、光理に撃つ気はない。何なら、まだ言っていないだけで淳長を助けるつもりでいるから、幸運と評しても間違ってはいない。


「答えてくれてありがとう。我々にとって、きみは脅威ある存在ではない。あっても対処可能と判断した。これから我々はきみを人質の名目で保護し、第六都市近辺まで送り届ける」

「……、え? 人質?」


 ぱちぱち、まん丸くなった茶色の瞳を瞬かせる淳長に、トラックから降りた新が歩み寄る。お利口に挙げっぱなしだった両手は、新たによって丁寧に錠を掛けられ、諸共に降ろされた。


「言っただろう、僕たちは悪いことの真っ最中だって。でも、きみを悪事に巻き込むつもりはない。その傍らで、きみを出身都市まで送り届ける。妙なことをされると困るから、基本的には手錠をしてもらうけど」


 光理もまた、ライフルを下げて背中へ回す。そのまま、覆面を構成していた品を一つ一つ外し、瞠目して固まった淳長に素顔を晒した。彼の後ろでは、新もフードを取っている。


「改めて、こちらも自己紹介をしようか。わたしの名前は改道光理、そっちの運転手は草加新。先月頭から逃亡中の、犯罪者と道連れの二人組だよ」

「……そんなことある?」

「あるある。人生、何が起こるか分かんないもんだよ」


 にっこりと光理が笑いかけると、淳長は途方に暮れた顔で「そんなことあるかよぉ」と繰り返した。

犯罪に巻き込まれながらも逃げ出せたかと思いきや、犯罪者から手錠を掛けられた流れには同情を禁じ得ないものの、都市圏外は無法地帯。犯罪に手を染めず生き残ってきた人間を探す方が難しい。淳長のいう「そんなこと」は、珍しくもなんともない。


「じゃ、卯木くんは草加くんの隣、助手席に乗ってね。わたしは荷台に乗るから。好きなラジオかけていいよ」

「ラジオかけられるんだ……」

「状況によってはかけられませんが、逃亡を続けるための情報収集や、精神を安定させる音楽鑑賞は必要です。改道さんはもちろん、卯木さんのストレスを軽減するためにも」


 前方からは勝手知ったる家の住人がごとく、後方からは丁寧に穏やかに言葉を掛けられ、淳長は負荷のかかったパソコンよろしく理解に時間をかける。その間に促されるまま助手席へ乗せられていたため、エンジンがかかるなり我に返ったとばかりに跳ねていた。


「では、これより最優先目的地を第六都市に定め、走行を開始します。よろしいですか、改道さん、卯木さん」

「オッケー。よろしく草加くん」

「よ、よろしくお願い、します?」

「了解しました。あ、卯木さん、先にこちらの水筒で水分補給を。その後にシートベルトを装着してください。揺れますので」

「草加くんは基本的に安全運転だけど、悪路だとそんなの関係なしに揺れるからね」


 荷台から覗き窓越しに運転席へ声を投げる光理、武骨な運転席から水筒を差し出し涼やかに微笑む新。どちらも魔改造済み軍用トラックと似つかわしくなさすぎて、なんとも言えない不安を覚えさせる。淳長は恐る恐る、ぎこちなく言われた通りにしたが、じれったそうにうなるエンジンがさらに不安をあおり立てた。


「あ、安全運転、なんですよね?」

「もちろん。ただ、このトラックは速度が出る改造もしてありますので、慣れるまで少し時間がかかるかもしれません」

「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ、大丈夫。それじゃ、しゅっぱーつ、しんこーう」


 雑な光理の合図に、分厚いタイヤが一斉に雄叫びを上げる。シートベルトをぎゅっと握った淳長を横目に、新は容赦なくアクセルを踏み抜いた。






 三時間後、夕暮れの気配が迫る十六時。魔改造軍用トラックの洗礼を浴びた淳長は、野営予定地に到着するなり助手席を離脱し、べしゃりと地面に倒れ込んだ。

 たちまち、全身がひんやりとした草と土の香りに包まれ、凄まじい揺れの残響がしずめられていく。休憩を挟んでいたとはいえ、よく気絶せず自力で外にも出られたものだ。淳長は一人声もなく、しかし盛大に自分を賞賛しておいた。


「今日も時間通り、無事故の安全運転だったね。さすが草加くん」

「ありがとうございます、改道さん。カーブが少なかったこと、障害になるような異物がいなかったことも幸いしました」


 満身創痍の淳長に反して、光理と新はのんびり談笑しながらトラックを降りてくる。運転を担っていた新は当然平気だが、荷台にいた光理は途中で寝てさえいた。激流のような前線を潜り抜けてきた光理と新、アクアリウムのように整美な環境で育ってきた淳長では、体の頑丈さも適応の速さも違う。


 未だ放心状態の淳長は新に任され、光理は周辺の見回りに出かけた。


 今夜の野営予定地は、緩やかな丘陵の上。登るまでに見えていた、崩れ倒れた建物たちは、かつて群れを成していた一戸建て住宅らしい。車道や歩道も残っているが、地面には草の姿が目立ち、伸び伸びと背を高くした樹木が廃墟を占拠している。

 樹木は、光理がやって来た方向と反対の斜面にも続いていた。まだぎりぎり林と言える木々の隙間には、先ほどと同じ住宅の名残以外にも、錆び付いた滑り台が垣間見える。こちらには公園があったのだろう。道の痕跡を辿り下っていくと、他の遊具やベンチも姿を現した。


「緑地が売りの住宅街だった、ってところかな」


 誰に言うでもなく呟いて、光理は広場へと踏み入っていく。子どもの声は過去に埋もれ、野生生物や異物の気配さえ聞こえてこない静寂が、久しぶりの来客を物憂げに包んだ。一周するべく歩き出せば、蜂蜜レモンあめの色をした夕方が、ノスタルジックを染み込ませてくる。少しずつ、少しずつ。

 ブランコ、滑り台、砂場のオブジェ、ジャングルジム。荒れ果て、つたに這われかしいだ遊具たちは、どれも光理には馴染みがない。高校へ入学し、第三都市の安全圏内を歩き回って、そのとき初めて公園を目にしたほどだ。遊んだことは皆無といっていい。


 一周し終えてしまうと、光理は入った場所から、改めて公園全体を見渡した。色鮮やかな熱帯魚は戻ることなく、テラリウムや箱庭でさえなくなった廃園。光理が去れば、また眠りに就くこの場所は、いずれ誰からも忘れられるのだろうか。

 ひと時の感傷は、光理を長く引き止めなかった。微風に混じって頬を撫で、それっきり。光理もするりと踵を返し、見回りを終わらせ、野営場所へ戻っていった。

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