三、飛ぶ

 廃棄市街に暮らす人間は様々な事情を持っているが、共通して「安全都市圏には暮らせない」という点を持っている。罪を犯したとか、感染する病気を患ってしまったとか、金銭が乏しくなってしまったとか。それでも、自らを殺すような選択をしない以上、生きていかなければならない。

 傭兵になって異物を掃討するという選択肢もあるにはあるが、決して容易い道ではない。多くは異物をやり過ごす方法しか取れなかった。幸いなことに、大抵の異物は自分から、目的を持って人間を襲うことはない。通過を待つだけで命は危うくならないが、歩くだけで毒素を振りまくような異物や、通りすがりに作られた瓦礫がれきに押し潰される危険はある。


 脅威に晒され続ける人々は、おのずと身を寄せ合う。どんな人間であろうとも、集団で活動すれば利益も多く得られると結論が出る。出せない場合は、よほどの強運か力がない限り、みじめに野垂れ死ぬだけだ。そうなりたくないからこそ、このような廃棄市街に人が集まる。

 光理が踏み入ったアーケード街もまた、行き場のない人々の貧民窟スラムと化していた。路上にも建物内にも人の姿が見え、多くは暇を持て余すような雰囲気をしている。けれど、どんな人間も目つきが鋭かった。何の情報も知れない余所者が入ってくれば、それも当然。挨拶代わりに銃を向けてこないだけマシな方だ。


 やせ細った人々、襤褸ぼろを着古した人々が生み出す雑踏の中で、時おり確かな重量と剣呑を感じさせる姿も見受けられる。治安維持を名目に銃を始めとした武器を所持している者たち、自警団だろう。不用意な行動をしない団体ならいいが、縄張り意識が強く厳しい存在なら、光理の相棒にも顔を出してもらわないといけなくなる。

 とはいえ、何事もまずは話し合いから。光理は早速、食用品を並べる店に目星をつけて歩み寄った。


「……失礼。ここの品は物々交換ができますか」


 くぐもった声で呼びかければ、缶詰やレトルト食品、保存食の容器を並べていた店主の男が、せこけた顔を緩やかに上げる。誰も相手にしないだろうから眠りこけていた、と言われても不思議ではない動きだった。ぼんやりと光理を捉えた目も、他の人々に比べて穏やかに見える。


「ああ、いいよ。見たところ、あんたは傭兵らしい。異物に関する品を持ってるんだろ」

「ええ。お気に召すものがあるかは保証できませんが」

「そんな期待を抱けるような場所じゃないよ、ここは。……そうだな、今は植物型異物の種が欲しいところなんだ、種を付ける奴なら何でもいいよ」

「では、第四はどうでしょう。食べられますし、解毒剤にもなります」

「葉っぱが黄色くて、花は紫のやつか?」

「そうです。この通り」


 言いながら、光理は胸ポケットに入れていた採集用ケースを取り出した。透明で清潔なケースの中には、まだ新鮮さを失っていない花が一輪。男が言った通り、葉や茎には黄色のうずがのたくっており、赤みのある紫の花が咲いている。痩せ細った男へ花を差し出す光理の手はグローブを嵌めていたが、素手で触れても問題がないよう処理済みだ。


「ありがとう。これなら三品だが、まだ交換するかい。また植物型をくれたら、同じように三品あげるよ」

「太っ腹ですね。ちゃんとした品なんですか?」


 ちゃんとしたも何も無い。訊いておきながら、光理は内心で自嘲した。ここは、安全のナンバリングを施され、保障された新興都市ではない。


「もちろん。品を流してくれる奴が太っ腹なのさ。傭兵ともコネがあるって言ってたしな」


 気だるげに笑う男もまた、自嘲しているように見える。見えるだけで、どうということもない。光理は取引に応じて別の植物型異物を渡し、食品が入った容器を六つ貰うと、次の買い物に繰り出すべく歩き出す。


 そこへ――一発。銃声が鳴り響いた。


 誰もが、弾かれたように音の出所へ視線を向ける。しかし、それ以上銃声がしないと分かるなり、興味を失って視線をばらけさせていた。住民たちにとっては、日常に混じる音の一つなのだろう。


「しくじったんだろうなぁ。どこのどいつか知らないが」


 未だ視線を留めている光理に宛ててか、取引をしたばかりの男がつぶやいた。呟いただけだから、光理は男を振り返らず、淡々と歩き出す。不審と思われそうな行動も、長居も控えるべきだろう。情報収集も諦める。素性がバレるのはもちろん、面倒事にも巻き込まれたくはない。

 追加の食用品と薬用品、医療用品も無事に交換を済ませ、光理はアーケード街の出口へ真っすぐ歩いていく。手に入らなかった物もあるが、それはまた別の廃棄市街で調達するか、自前で何とかするしかないだろう。耳につけっぱなしの通信機を用いて、迎えに来てもらう信号も出した。何もかも順調だ。


 が、そういう時こそ、横からぶち壊してくる乱入者が現れる。


 出口に近づいて空いてきた道に、人影が転げ出て来たかと思えば、目の前で倒れ込み障害となる。爪先をぎりぎりかすめるほど間近で道を塞がれた光理は、順調の終わりを悟った。映画のお約束として何度も見たことがある、面倒事の始まりを悟りもした。それで絶望に身を任せてしまうのは簡単だが、あいにく光理の頭は即座に切り替わり、気持ちなど跳ね退けてしまっている。

 光理は、窮地に陥っている人を見捨てることができない。自覚済みな短所にして長所は、ライフルよりも腐れ縁な相棒だった。無視すると後ろ髪を引っ張るため、顔を出された以上は応じなければならない。


 肩口を押さえ、光理が落とす影の中で倒れうずくまった人物は、同年代か少し上のように見える男。影に気付いて見上げた途端、明るい茶色の垂れ目でばっちり視線を合わせた男は飛び上がり、光理の肩を掴んですがりついてきた。


「ごめんお兄さん、助けてくれない? オレいま追われてるんだ」

「だろうね」


 頭から追いやられた嫌な気分を声に滲ませつつ、光理は男の頭からつま先までをざっと流し見る。ふんわりとセットされた茶髪や、薄汚れつつも瀟洒しょうしゃを失わない半袖シャツにスラックスという服装は、廃棄市街ではひどく浮いていた。どこかの風俗市街から流れてきた……いや、それにしては清潔感がありすぎるような気もする。

 不自然だからもっと詳しく、とかたむく意識を制止して、光理は相棒より先に腰の拳銃リボルバーを掴んだ。こちらも還元祓魔術を利用するため、人へ発砲しても負傷させることはない。少しの間、気絶してもらうだけだ。


「市街を出ても走るけど、行ける?」

「えっ、助けてくれるの」

「行けるかどうか訊いてるんだけど」

「行ける!」


 軽めな笑顔に声で即答されたが、行けるのなら連れて行くだけ。光理は拳銃を引き抜くと、漂う軽薄で洒脱しゃだつを駄目にしている男越しに、前方へ現れていた人影を正確に撃ち抜いた。


「じゃ、撃たれないよう頑張ってね」


 今度は返答を聞くより先に、光理が先行して走り出す。狼狽と文句で揺れる声もちゃんとついてきた。

 追いかけてくる気配や、銃口を向けられるひりつきも、外套やプロテクターを貫通して光理の背を刺してくる。銃声も耳を穿うがったが、どうやら威嚇射撃だ。相手は今のところ、光理と軽薄な男を射殺してまで仕留めるつもりはないらしい。

 巻き込まれまいと、道行く人々は波が引くように素早く身を隠してくれたため、光理と男は一気に出口まで駆け抜けられた。相変わらず、青空と対照的な鈍色にびいろの廃墟群が寝そべる中へ、しかし光理は走っていかない。拳銃をベルトへ戻しつつ急停止したかと思えば、追いかけて来ていた軽薄な男の背をすれ違いざまに押して、先へ行くよう促す。


「え!? 止ま――」

「らない! きみは走る!」


 左手が男の背を離れるのと同時進行で、光理は右手でスリングを緩め、体の回転に引きずられたライフルを受け止めていた。返答とばかりに遠ざかる足音を聞きながら、左手は次の仕事へ動く。ズボン脇ポケットからマガジンクリップを取り出し、埋め込んである還元祓魔術の即席回路を起動させながら装填、相棒の目を覚まさせた。

 両足を開きライフルを構え、立射の姿勢を整える。後方風景にはアーケード街の出口と、銃を構えた荒くれ者たちの群れ。光理たちと距離を詰めるべく、追跡者たちは軒並み銃口を下に向けていたが、光理が振り返ったことで急な姿勢の変更を迫られる。そのもたつきによる数秒こそ、光理が狙い撃つ絶好の的。


 沈黙を保っていた相棒の引き金に、指を掛けて曲げる。西洋式ふう術を付与した弾丸が、消音器の一手間で比較的お淑やかに仕上がった出立を迎えた。


 半透明の一発は、何も無い地面へ着弾すると共に、突発的な竜巻を生み出す。人を巻き込まず、ただ砂埃すなぼこりを舞い上げての妨害に留める目くらまし。発生を視認するなり、光理はきびすを返して再び走り出した。洒脱で軽薄な後ろ姿はもう見えない。面倒事を持ってきた男は、しっかりどこかへ逃げられたのだろう。


「――改道光理から草加新へ。応答願います。ごめん草加くん、銃撃沙汰が起きた」


 廃墟群に入ったことで物陰が多くなっても、光理は足を止めないまま、通信機を起動して手短に言葉を伝わせる。たちまち体を支配した熱気や、あちこち鮮明な視界から隔絶された涼しい息遣いが、雑音となって耳に挨拶のノックをしてきた。


『こちら、草加新。改道さんの現状を把握しました。西洋式風術による撹乱は成功しています。追跡者と思わしき人物群は、廃棄市街方面へ撤退しました』

「良かった。これから待ち合わせ場所に向か……ああ、一ついいかな」

『ええ、どうぞ』

「妙に小綺麗な男性と接触した。素性は全くの不明だけど、廃棄市街に住んでる人じゃないと思う。都市圏からの追っ手かもしれないから、気をつけて」

『了解しました。改道さんもお気をつけて』


 穏やかに通信が途切れ、光理の意識は周囲へとがり張り巡らされる。瓦礫で塞がれた道も飛ぶように駆け抜けていく様は、装備の重さを感じさせないほどだ。

 異物との遭遇も無く、光理は待ち合わせに指定していたポイントへ余裕を持って到着。手放さずにいた小銃と共に、廃墟内の日陰で涼みながら新を待った。


 まだ覆面や変声機は外せないが、適度に緩めて涼を取る。警戒も少しは緩められたため、考察に割ける余地もできていた。結局、あの軽薄な男は何者で、どこから来たのだろう、と。善人だったか悪人だったかの答えについては、都市圏外では考えるだけ無意味だ。

 一番引っかかるのは、やはり男の身なりと雰囲気。廃棄市街にいながら薄汚れた様子もなく、染められたと思わしき柔らかな茶髪はしっかりセットされてもいた。水商売の割合が高い廃棄市街に入った新顔が、手違いで別の場所へ来てしまった線が濃厚ではあるものの、そういう仕事へ踏み込むにしては清潔感が残り過ぎてもいる。まるで、今日初めて都市圏から出てきたかのような――。


「……誘拐、とか」


 まだざらついた声での呟きは、崩れた天井から覗く青空にぷかりと浮かんで消えていく。猫さえ殺す好奇心を持っているが故の雰囲気と考えれば、あの軽薄さにも納得がいった。興味の赴くままに都市圏から出たところ、廃棄都市と繋がっている黒い組織に誘拐されるという事例は数多ある。健康な肉体という点さえ満たしていれば、いかなる人間にも利用価値が発生する、都市圏外の常識だ。相手がそれなりの地位に属している、あるいはその関係者であると分かれば、身代金の要求にも発展する。

 と、考えを巡らせたところで、光理はもう無関係。茶色の面影をシャットアウトするとともに、青空からも視線を下ろす。新と合流して立ち去る時まで念入りに、覆面も作り直しておいた。


『――改道さん、こちら草加新。現在、改道さんの近辺に人がいるようです。武器などは所持していない模様。改道さんが接触した男性である確率が高いです』


 再び通信機から、涼やかな声が入り込んでくる。締め出した直後にこれだ。そんな気はないと思いたいが、どうしてもこちらに引っかかって来るらしい。出そうになったため息を押し戻して、光理は二重の機械を通した返事を送り出す。


「まあ、順当に考えてもそうだろうね。どうしよう。廃棄市街より都市圏と繋がりがありそうな人だったけど」

『このまま見捨てるか、都市圏へ自力で辿たどり着けるところまで送り届けるか。そういった問いかけであれば、おれは後者を選択すべきだと思います。その方が、改道さんへの精神的負担も軽減されるかと』


 腐れ縁で迷惑な方の相棒は、もちろん新にも知られている。苦笑しつつ、光理は新に感謝した。


「ご配慮どうもありがとう。……そうだね、私もそうしたいな。先に私一人で再接触しようか、それともトラックの到着が早いかな」

『おれを待っていただく方が、効率的で安全でしょう。既にポイントの視認もできていますので、十分以内に到着します』

「了解。よろしく」


 通信を切り、戸口付近の壁に背を預けたまま、屋外をざっと見回す。今のところ人影は見えなかった。時おり風が立てる音以外に、耳を打つ響きもない。その風は間もなく、トラックの走行音を運んできた。

 ライフルを手にしたまま、光理は廃墟を出る。同時に、真向いの物陰から、小綺麗の中に軽薄を交えた茶色の面影も現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る