2. 予言の勇者


「……迷ったとは?」


「おれは三日前に冒険者登録したばかりでね。まだこの森には慣れてないんだ」


 よく見ると確かに装備品がどれも真新しい。いかにも感がプンプンする。


「今日はもう暗くなる。ここで野営をしようと思うが君も一緒にどうかな?」


 そう言ってザアラはいそいそと荷物から簡易テントを引っ張りだした。どことなくウキウキしてるように見えるのは気のせいだろうか。


「あの~こんな見通しのいい場所で大丈夫でしょうか?」


 彼は手を止め周囲を見渡す。そして親指を立てるとルウナに向かってニカッと笑った。


「素晴らしい景色だな! 初めての野営にはもってこいの場所だよ」


 初めて……しかも採取依頼で野営って。不安を感じながらも彼女も野営の準備を手伝った。



 テントを張り終わると、彼は薪を取ってくると言い残し森の中へと消えた。刻々と沈みゆく太陽はその身を水面へと近付けていた。茜色に染め上げられた大河と空に残る薄い蒼と碧が織り成す景色は、まるで一枚の絵画のようだった。


「ほんと……綺麗な夕焼け」


 彼女は暫しその光景を眺めていた。雄大な自然を見ていると、今日起こった事なんてちっぽけなものに思えた。

聖教会へ来てから十年間、毎日のように祈りを捧げ、催事では聖女の力を民衆へ披露し、寝る間を惜しんでは妃教育を受け、時には無駄に豪華なパーティに、時には治癒のため戦場いくさばに。


 いつしか彼女は心が擦り切れて、ただの傀儡くぐつと成り果てていた。


 時折吹く緩やかなそよ風が彼女の髪をさらりと撫でる。いつしか涙が頬を伝っていた。だがその顔は穏やかにほころんでいた。ルウナは十年振りに心から笑えた気がした。


「ザアラさんが言うように、ここはもってこいの場所ね」



 茂みがガサゴソと揺れザアラが薪を抱えて戻ってきた。慌てて頬を拭うと彼女は笑顔で出迎えた。


「おかえりなさい。随分たくさん拾ってきましたね」


「ああ、夜は冷えるかと思ってね。あとこれ。美味しそうにってたから」


 彼が渡してきたのはスポポラの実だった。優しい甘さとかすかな酸味のこのオレンジ色の実は彼女の好物でもあった。


「わぁー! スポポラの実ですね。私大好きなんです! 久し振りに食べるな~」


 ザアラから袋ごと受け取ると、早速皮を剥いて頬張った。みずみずしい果肉が口の中にじゅわーっと広がり彼女は思わず頬を両手で押さえた。


「おいひ~い。幸しぇでしゅ」


「たくさん食べてよ。まだいっぱい生ってたから」


 彼はニコニコ笑いながら焚き火の準備を始めていた。ルウナは黒い種をプップッと飛ばすと。もう次の実の皮を剥いていた。彼女が夢中で食べているとザアラが木の棒と板で火起こしを始めた。


「そうやって火を点けるんですか?」


「おれは魔法が使えないからね。気長に待っててよ」


 彼は必死に棒を擦っているが煙すら起こる気配はない。見かねた彼女は彼の元へと駆け寄った。


シンティアーナ火花よ


 彼女が指を鳴らすように親指と中指を合わせるとそこからパチンと火花が出た。枯草がボウッと燃え、ザアラは慌ててそこに小枝をべた。


「今のは火魔法かい?」


「いえ、光魔法の応用です。私が編み出しました」


 えっへんと彼女は僅かに胸を張った。ザアラは目を丸くして彼女を見た。


「君は光魔法が使えるのか! それにしても光魔法で火が出せるなんて初めて聞いたよ」


「実は工夫次第で光魔法もいろいろ出来るんですよ~これは光の密度を上げて、高速で光同士をぶつけると摩擦で一瞬火花が出るんです。まぁ火花程度の火しか出せないですけど」


「……よくわからないけど助かったよ。それじゃあ夕飯の準備をしよう」


 その言葉を聞いて彼女は目を輝かせた。思えば朝から何も食べてなかった。スポポラの実で空腹は少し収まったが体はまだまだ栄養を欲している。一体どんな冒険者料理が食べれるのかと彼女は唾をごくりと飲み込んだ。

するとザアラは亡骸なきがらとなったサルトルチェラの方へと歩み寄った。水辺へと引きずるとナイフを使い解体を始めた。


「それを食べるんですか!?」


「もちろん! うちの村ではこいつはご馳走だよ。祭りの時しか食べられなかったからね」


「で、でも……魔物って食べても平気なんですか?」


「村では子供の頃から食べてるからね。小さい頃はよくお腹を壊していたけど」


 彼は笑いながら慣れた手つきで解体していった。


 それって耐性がついてるから平気なんじゃないのかしら……


 魔物は体内に「魔血まけつ」と呼ばれる血液が流れている。それは人間にとっては毒と同じで口にするのはもちろん、魔物の中にはその魔血に触れるだけで死に至るような強い毒性を持つものもいる。

確かにサルトルチェラは弱い魔物ではあるが……不安を感じたルウナは解体中の魔物に手をかざした。


ディジントーレ解毒せよ


 白く淡い光が魔物の死体を包み込む。次第に紫色に変色した光の粒が空中に浮かんで霧散していった。


「今のは?」


「魔血を解毒する光魔法です。それほど強い毒性がなければ大丈夫なはずです」


「へー凄いね! じゃあ早速焼いて食べよう」



 細かく切り分けた肉を枝に刺して火のそばで炙る。ザアラが持っていた塩を振りかけてくれた。ジュージューという音と共にこんがりと肉の焼ける匂いが鼻をくすぐる。


「食べる時にこれを絞って掛けると美味いよ」


 そういって彼はチェドラという果実を切って渡した。パリッと焦げ目のついた肉に、爽やかな香りのチェドラを絞り掛ける。


「いただきます」


 ルウナはパクッと一口かぶりつくと目を大きく見開いた。


「美味しーーい!」


 サルトルチェラの肉は意外と脂が乗っており、口に入れた瞬間その肉汁が溢れ出した。少し臭みがあったがチェドロの実の香りがそれを打ち消してくれていた。

彼女はむさぼり食うよう次々に焼けた肉にかぶりついた。その光景を見たザアラは引きつった笑いを顔に貼り付けていた。



 ようやく満腹になったお腹をさすりながらルウナがげぷっと一息ついた時、唐突にザアラが口を開いた。


「ところで君は何者なんだい?」


 そういえばお互い碌な自己紹介もせず食事を共にしていた。彼女は居住まいを正すと全て包み隠すことなく話し始めた。



「聖女って、あの聖教会の聖女様かい!?」


 一通りの話を聞いたザアラが彼女に訊いた。追放されたの今日の事だ。彼が驚くのも無理はない。


「ええ。でもそれも今日の昼までの話です。今はただの光魔法使いですよ」


 彼女はにこやかな笑みを浮かべながら答えた。聖女という重い肩書きがなくなった今、その心は澄み渡る青空のように晴れやかだった。


「ザアラさんはどうして冒険者に?」 


「話せば長くなるんだけど――」


 と彼は今日までの経緯いきさつを語り始めた。




 ある日、彼が住んでいたカンパッソ村に一人の預言師が訪れた。その女曰く、


「この村に勇者となり得る者がいる。の者は今すぐ村を出て魔物の根源を打ち崩す旅に出よ」と。


 その言葉を聞いて村人全員が集まり話し合いが行われた。旅に出れそうな年頃の者は三人。今年十八歳になるザアラと、同じく十八歳のブルーノ。そして十七歳の少女リタ。勇者だからきっと男だろうという理由でまずリタが候補から外された。そして残ったのは二人。


 ザアラは村では狩人として暮らしていた。幼い頃から父の元で狩りを学び、剣や弓の腕も確かだ。一方ブルーノは村長の一人息子で将来は村を治めるべく父の手伝いをしていた。結論は一目瞭然だった。ザアラの婚約者であったリタは泣きながら反対した。だがその決定がくつがえることはなかった。


「どうしてあなたが……」


「仕方ない事さ。預言師の予言はこの村では絶対だ」


「なら私も一緒に!」


「リタ……旅はきっと危険なものになる。君はここでおれの帰りを待っていてくれ」


 ザアラの旅の準備は着々と行われた。街から取り寄せた武器や防具。村の財源から旅の資金も渡された。出立しゅったつの前夜、ザアラの元をリタが訪れていた。


「ザアラ! 私はいつまでもあなたを待ってる! 必ず生きて帰ってきて」


「ああ、絶対に戻ってくる。愛してるよリタ」


 そして二人は初めての口づけを交わした。いつか必ず結婚することを誓って。



 旅立ちの時は村人全員で彼を見送った。リタは涙を浮かべ彼に手を振る。その横に立つブルーノは少し申し訳なさそうな顔で彼を見ていた。


 ザアラは気付かない。その二人の手が見えないとこで繋がれていることに。


「じゃあ行ってくる!」


 ザアラは手を上げ前を向いて歩き始めた。その胸にはリタから貰ったお守りのペンダントがどこか寂しげに揺れていた。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【食メモ】


 『スポポラ』はビワに良く似た果実です。

 

 『チェドラ』はレモンのような果実です。というか完全にレモンです。



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