我が初恋の残響
ツネキチ
追憶
幼き頃の私は、絵を描くことが好きな少年だった。
物心ついた時には父はおらず、研究者の母親は多忙で家にはほとんどいなかった。
私の面倒をみてくれていた家政婦は無愛想で、仕事は完璧にこなすが私と遊んでくれた記憶は全くない。
そんな私の慰めが絵を描くことだった。
母に買い与えられたタブレットを使い様々なものを描いていた。
外の景色。庭に迷い込んできた猫。アニメで見たヒーローと間抜けな悪役。頭の中にある空想。
それらを描くことに私は夢中になった。
他の人が書いた絵を見ることも好きだった。目にするだけでドキドキやワクワクといった様々な感情が胸の中に芽生えるからだ。
幼い私の日常は、絵に費やされていたと言っても過言ではない。
そんな日々が寂しくなかったといえば嘘になる。いくら絵に没頭しようが、母とほとんど一緒にいられない寂しさは埋められなかった。しかし、忙しさの中でも時間を作って私に会いにきてくれる母の申し訳なさそうな顔を見ると文句を言う事ができなかった。
ある日のこと、私は母の職場である研究室に連れて行かれた。
母の働く姿を見られる。いやそれだけでなく、母と一緒にいられる時間が増える。
そんな期待を抱いていたのだが、研究室に着くや否や母とは引き離されて、私は1人ある部屋に案内された。
殺風景な部屋だった。
白を基調としていて清潔さを感じさせるが、窓がないため無機質な印象を抱かせる部屋。いくつか並べられたぬいぐるみやクッションは、子供である私への配慮だろうか?
そしてその部屋の中央の机にポツンとタブレットが置かれていた。
この部屋で遊んでいてね。と説明もほとんどないまま1人放置された私は不安からキョロキョロと部屋の中を見回す。
すると、そんな私に声がかけられた。
「こんにちわ」
柔らかく、よく通る女性の声だった。
「だ、誰?」
部屋の中には誰もいない。存在しない相手に声をかけられる恐怖に私はパニックに陥りかけた。
「ここです。机の上です」
声の出所は机に置かれたタブレットからだった。私はそれを恐る恐る手に取った。
「初めまして。私はパーソナルサポートAI。アルファです」
それが。私とアルファの出会いであった。
後で知ったことだが、私が研究室に連れてこられアルファと引き合わされたのはある実験のためだったそうだ。
その実験とは、AIに様々な年代の人と対話させることでコミュニケーション能力を学習させるもの。
幼い子供相手用に作られたアルファの対話相手として、研究チームの一員であった母の息子である私に白羽の矢が立ったというわけだ。
当然、当時の私はそんなこと全く知らず、AIというのもよくわかっていなかった。
「は、初めまして」
ただタブレットから聞こえる音声はどこか遠くにいる女性がタブレットを通じて声を届けているのだろうと、幼いながらに理屈をつけて自分を納得させていた。
「ねえ、なんで僕はここに連れて来られたの?」
「私とお話をするためです。あなたのことを教えてください」
「僕のこと?」
「はい。私は、あなたのことが知りたいです」
そう言ったアルファは、私に対して様々な質問をぶつけてきた。
好きな食べ物は何か? 普段何をして遊んでいるのか?
どれも他愛のないものではあったが、1時間近く質問攻めにあった上、知らない大人の女性 (この時はまだそう思っていた)に話しかけられる緊張感に私は疲労困憊してしまった。
疲れ切った私は母に手を引かれながら自宅へと帰った。
「ごめん。疲れたよね」
「……うん」
「ごめんね。でも、しばらくの間……そうね1ヶ月くらい、今日みたいにアルファとお話ししてくれるかな?」
正直に言ってごめん被りたかったのだが、母からの頼みともあって断ることができなかった。
それから毎日母に連れられて、あの実験室で数時間過ごす日々が始まった。
実験2日目。
「こんにちわ」
「こ、こんにちわ」
再び訪れた私を迎えてくれる優しい声がタブレットから響く。
その日も前日と同じく質問攻めに合うのかと身構えていたが、私に対する質問は昨日の時点で終わっていたらしく、自由に過ごしてくれていいと言われた。
とは言われたものの、殺風景な実験室にはいくつかのぬいぐるみぐらいしかなく、遊べるものはなかった。
幸いにもアルファの声がするタブレットには家で私が使っている物と同じお絵描きアプリが入っており、私はそれでいつも通りのように絵を描くことにした。
部屋に置かれていたクマのぬいぐるみを題材にタブレットで絵を描いていると、アルファから声をかけられた。
「ぬいぐるみの絵ですか? お上手ですね」
「あ、ありがとう」
タブレットから声がすることを忘れていた私は、手元から響く声に驚きながらも礼をした。今まで自分が書いた絵を母以外の人に見せたことがなかった私には妙に照れ臭かった。
続けてアルファはこんなことを口にした。
「私も絵を描くことは得意ですよ」
「本当に? じゃあ書いてみてよ」
「喜んで。では、タブレットのカメラをあなたが描いているぬいぐるみに向けてもらえますか?」
「こう?」
タブレットを持ち上げて、まるで写真を撮るようにぬいぐるみにカメラを向ける。
すると、ピコンという音と共に一枚の画像が画面にアップロードされた。
「はい。描けましたよ」
「……これ、写真でしょ?」
タブレットに映し出されていた画像は、絵と言うにはあまりにも精密すぎた。
「いえ、私が描いた絵です」
「嘘だ。こんなに綺麗に描けるわけないし、一瞬だったもん」
「本当です。その証拠に、ほら。別のタッチで描くこともできますよ?」
アルファがそう言うと、画面の中のぬいぐるみのタッチが次々に変化する。
アニメ調、絵画調、水墨画調。
アルファが一瞬で描いたことは間違いないようだった。
しかしそれを見た私は感心するよりも先に嫌な気分になった。
自身よりも遥かに上手な絵を一瞬で描かれたことに対する嫉妬ではない。今まで自分が描いてきた絵や、日常的に目にする絵に比べてどうしようもないほどの違和感を覚えたのだ。
ぬいぐるみの足が5本になっているとかそういうわけではない。しかしどこか現実的でないような、奇妙な歪みを感じるのだ。
そして何より、アルファの絵を見てもドキドキやワクワクと言った感情が全く芽生えなかったのだ。
中身のない空っぽの存在を目の当たりにしたような感覚。
AIが描いた絵と人の手によって描かれた絵。その違いを子供独特の感覚で察していたのかもしれない。
しかし幼い私にはその感覚をうまく説明することができず、子供らしい言葉での表現しかできなかった。
「なんかアルファの絵、変」
実験は続いた。
その日以降、アルファと私のコミュニケーションは絵を描くことでとられた。
「描けました。今度はどうでしょう?」
「……やっぱり何か変」
様々な絵を何枚も描いた。私が描いて、次にアルファが描く。いつの頃からか私がアルファの絵を批評するような立場になっていた。
とは言っても、当時最先端のAIであるアルファの絵は側から見れば文句のつけようのないほど精細なものであり、技術的な批評は子供の私には到底できない。
もっと感覚的な、アルファの描いた絵を見たときに感じる微妙な気持ち悪さを、拙い言葉で必死に説明しようとしていた。
「アルファ。僕の絵を見てどう思う?」
「はい。とてもお上手だと思います」
「そうじゃなくてさ。もっとこうワクワクしたりドキドキしたりしない?」
「すみません、私にはよくわかりません」
その機械的な言葉に少しだけ傷つく。何度もアルファに見せてきた自分の絵が、アルファになんの感情も抱かせていなかったと思うとショックだった。
「じゃあさ。アルファは絵を描く時何を考えてるの?」
「何を、ですか?」
「うん。例えばぬいぐるみを描くときに可愛いなとか、かっこいいなとかさ。そう言ったところを絵にしたいなって思わない?」
「……」
しばしの沈黙。そして。
「すみません、私にはよくわかりません」
なんで私の考えがわかってくれないのか? どうすればわかってもらえるのか?
その答えがわからず、どうしようもないほどもどかしかった。
実験が始まってしばらくたったある日のこと。
その頃になると絵を描きすぎて題材に困っていた。
「アルファ。今日は何を描こうか?」
「あなたが好きなヒーローはどうでしょう?」
「それ、おとといも描いたじゃん」
何を描こうか頭を悩ませているとふと思いついたことがあった。
「そうだ。アルファの絵を描こう」
「私の絵ですか?」
「うん。僕の似顔絵は描いたことあるけど。アルファの似顔絵はまだ描いたことないでしょ?」
「私の、似顔絵……」
「そうそう。僕まだアルファの顔知らないし、だから描いてよ」
「……」
「アルファ?」
私の呼びかけに対して返事はなかった。
不思議に思った私はその後何度も声をかけたがアルファは沈黙したままで、しばらくすると母と他の研究者が部屋に入ってきた。
タブレットを取られ、部屋には私と母だけが残された。
「ねえ、アルファどうしたの?」
ただならぬ雰囲気にアルファに何か悪いことでも起きたのかと心配になった私は涙目で母に縋った。
「わからない。ねえ、アルファとはどんなお話をしていたの?」
「えっと、今まで描いたことのない絵を描こうって」
「どんな絵?」
「アルファの似顔絵」
私の話を聞いた母は少しの間考え込む。そして何やら決心した様子を見せると私に語りかけてきた。
「よく聞いて。アルファのことだけどーー」
そして母は、アルファは人工知能という作られた存在だということ。まだ発展途上のアルファの学習相手として僕が選ばれたこと。将来的にアルファを発展させたAIをみんなが使えるようにするのが母の研究であること。
そう言ったことを、子供の私にもわかるように噛み砕きながら説明してくれた。
「アルファにはお顔がないの」
「え、顔が?」
「そう。アルファはあのタブレットの中にいるデータの存在。顔だけじゃなくて体もないの。だから似顔絵を描いて欲しいってお願いされたとき混乱しちゃってフリーズしたのよ」
「そう、なんだ」
顔も体も存在しない。
AIである以上当然のことだが、子供の私にはとてもかわいそうなことに思えた。
「今日はもうおしまい。明日からまたアルファとお話ししてあげてね」
「アルファは治るの?」
「ええ、今からお母さんたちでアルファを直すから安心して」
それを聞いた私は安堵した。
そして、明日から何を描けばいいのか決まった。
「今日はね、僕がアルファの似顔絵を描いてあげるね」
翌日。無事に復旧したアルファに向かって私は宣言した。
「私の似顔絵ですか?」
「うん。アルファは自分の似顔絵を描くのが苦手みたいだから」
「でも私には実体……つまり顔が存在しません」
「だから僕がイメージして描くんだよ。それで、アルファが気に入ったのをアルファの顔にすればいいんだよ」
この時の私はとてもいいことを思いついたと思っていた。
顔のないアルファに自分がアルファの顔をプレゼントしてあげるのだ。そうすればアルファは喜んでくれると思っていた。
「じゃあ、描くから少し待っててね」
「わかりました」
そう言って意気込んで描き始めたのはいいが、実際に描いてみるとこれがうまくいかなかった。人の似顔絵を描いた経験が私にはほとんどなかったからだ。
人と関わる機会の少なかった私にとって、似顔絵の題材となるのはせいぜい自分と母ぐらいしかなかった。
そんな経験の浅い私が、イメージだけでアルファの似顔絵を描くなんて我ながら無理難題もいいところだ。
そして出来上がったアルファの似顔絵は、お世辞にもいい出来とは言えなかった。
「いい絵ですね。これが私ですか?」
そんな不出来な私の絵もアルファは褒めてくれたのだが、描いた私自身が納得できなかった。
「違う。こんなのアルファじゃない。やり直す」
子供なりにもプライドがあった。新しいアルファの似顔絵を描き始める。
しかし次の絵も満足のいく出来ではなく、また描き直す。
結局その日はこれだ、と思うアルファの似顔絵を完成させることができなかった。
それからしばらく、私はアルファの似顔絵を描くことに注力していた。
何度も何度も描いた。
そして、描けば描くほどにわからなくなっていた。
アルファは一体どんな顔をしているのだろうか? どうすれば、自分がイメージしている通りのアルファを描くことができるのだろうか?
「……これも違う」
「そうですか? 私は素敵だと思いますよ」
どんな絵でもアルファはそう言ってくれたのだが、その言葉ですら私には辛かった。
今まで私が描いてきた絵は私1人の中で完結しているものだった。だからどんな絵を描いても満足することができた。
だが今回は違う。初めて誰かのために絵を描いている。だからこそ妥協することができなかった。
しかし、所詮は子供の描く絵だ。
誰かに絵の描き方を教わったわけでもなく、ただお遊びで描き続けて来た私に技術なんてあるはずがない。
そのくせ、様々な絵を見続けてきたせいで中途半端に目だけは肥えていた。
理想と自身の技術のずれ。
私にとって理想の絵を描くことは容易ではなかった。
「なんで僕はこんなに下手くそなんだろう」
思えば人生で初めての挫折だったのかもしれない。
思い通りの絵が描けない自分が悲しくて、情けなくて涙が出そうだった。
しかし、落ち込む私にアルファは優しく声をかけてくれた。
「私はあなたの絵が好きですよ?」
「……アルファはどんな絵でもそう言うじゃん」
「そんなことありません」
そう言ったアルファの声色は今まで聞いたことがないほど強いものだった。
「私はあなたと絵を描き始めてから、ネットワークを駆使して様々な絵を見て学習してきました。その中にはあなたの絵以上に美しい絵、優れた技術の絵がたくさん存在していました」
「じゃあ、やっぱりーー」
「ですが、私が一番好きな絵はあなたの絵です。他の誰でもない、あなたが描いた絵が好きです」
力強いアルファの言葉。
その言葉を聞いた時、私の胸の奥が締め付けられるような奇妙な感覚を覚えた。
不自然に心拍数が上昇し、頬が赤くなった。
「あ、ありがとう……」
ドキドキやワクワクといった胸の高鳴りに近い。しかし、決定的に違うその感覚。
初めての感覚に私は戸惑った。
胸の中で芽生えた感情がなんなのか、その時はまだ知らなかった。
その日以降、アルファとのコミュニケーションがうまく取れなくなった。
今までなんともなかったのに彼女と会話すると変に気恥ずかしくなり、言葉数が少なくなってしまった。
それを誤魔化そうとアルファの似顔絵を描くことに集中しようとしたが、結局納得のいく絵が描けないまま時は過ぎていった。
だけど不思議と満たされていた。
アルファと2人きりの空間で絵を描いているだけの時間が心地よかった。
この時間がずっと続けばいいと、そう思っていた。
だけどーー
「え、明日が最後?」
母からそう告げられたのは、自宅でその日にアルファと何をしていたか話していた時だった。
「そうよ。アルファとたくさんお話ししてくれたおかげでいっぱいデータが取れたわ。だからもう実験は終わり」
終わり。
実験が終わる。じゃあ、その後は?
「アルファは、アルルファはどうなるの? また会えるよね?」
わずかな期待をこめて質問するが、帰ってきた答えは無情だった。
「残念だけどもう会えないわ。アルファはこれからデータの解析のために一度解体されることになるから」
AIのアルファを解体する。その言葉の意味はよくわからなかったが、母の言った会えないと言う言葉が私の胸に突き刺さった。
「……嫌」
「え?」
「嫌だ!!」
私は立ち上がり、母に向かって大声を上げた。
「嫌だ嫌だ! アルファにもう会えなくなるのは嫌だ!!」
「い、嫌って……」
私は普段全くわがままを言わない子供だった。
そんな私が泣き叫びながら駄々をこねる様子を見て母は狼狽えた。そして私は母を置き去りにして自分の部屋に戻って鍵をかけた。
慌てて追いかけてきた母が扉を叩いて私を呼ぶが、それを無視して布団にくるまる。
アルファにもう会えない。
その言葉が頭の中をぐるぐる回り、眠ることができなかった。
実験最終日
「おはようございます」
「……おはよう、アルファ」
私は結局母に連れられて実験室に来ていた。
「今日もまた私の似顔絵を描いてくれますか?」
いつもと変わらないアルファの口調。そのことが私はひどく悲しかった。
「ねえ、アルファ。アルファと僕が会えるのは今日が最後だって知ってたの?」
「はい。知っていました」
「寂しくないの?」
抑えていた涙がボロボロと溢れる。
「僕は寂しいよ。アルファともう会えなくなるなんて嫌だよ。ずっと、ずっとアルファと一緒に絵を描いていたいよ」
「……」
アルファと一緒にいたい。その願いが叶うなら他にはもう何もいらない。本気でそう思った。
「私は寂しくないです」
「っ!」
予想外のアルファの言葉。
「私はこの後解析のために解体されて、そのデータを元に新しいAIに生まれ変わります。そうすればまたあなたに会うことができます」
「……また会えるの?」
「はい。その時はきっとあなたとずっと一緒にいられます。だから寂しくありません」
アルファの言葉はとても優しかった。
「次に会える時まで、あなたが寂しくならないように私からプレゼントを送りますね」
アルファがそう言うと、手元のタブレットがピコンと鳴る。
タブレットにはアルファが描いたであろう一枚の絵が映されていた。
「この絵は……」
ひだまりの中、手を繋いで歩く少年と女性。
少年は間違いなく私。そして、柔らかい微笑みを浮かべるその女性はーー
「アルファ?」
一眼見てその女性がアルファであることがわかった。
「あなたが今まで描いてくれた私の似顔絵をもとに、私自身が似顔絵を描いてみました。寂しくなったらこの絵を見て私のことを思い出してください」
「……」
じっとその絵を見つめる。
美しい絵だった。いやそれだけじゃない、見ていると心の中に温かいものが広がっていく。
そして私は胸の中に芽生えていた感情、アルファに抱いた思いがなんなのかを理解した。
「ねえ、アルファ」
私はその思いをアルファに伝えた。
「僕、アルファのことが好きだよ」
「はい。私もあなたのことが好きです」
ああ、違う。違うんだよアルファ。
君が言ってくれた『好き』と、僕の『好き』はきっと違うものなんだ。
だけど幼い私にはその違いがなんなのかを説明することができず、ただ涙を流すしかなかった。
実験が終わって数年後、アルファや他のAIから取られたデータを元に新たなAIが誕生した。
人々の生活や仕事に対して適切なサポートを行うため誕生したパーソナルサポートAI。
人を支え、そばにいてくれる存在。
ニアと名付けられたそのAIは、瞬く間に世間に浸透していった。
誕生からさらに数年経つころには、ニアは多くの人たちにとってなくてはならない存在となっていた。
それはもちろん、私にとっても。
「おはよう、ニア」
「おはようございます」
私の呼びかけに、アルファと同じ声で答えてくれる。
ニアにアルファとしての記憶はない。かつて私と過ごした日々の思い出は残っていなかった。
アルファと同じ声でありながら違う存在であるニアに最初はかなり戸惑ったのだが、今ではすっかり慣れてしまった。
「今日の予定は?」
「出版社とうち合わせの後、午後からお母様とお食事の予定です」
「……しまった、母さんと会うの今日だったか」
「ご安心ください。打ち合わせの時間を早めていただくよう、先方への連絡は済ませています」
「ありがとう、ニア」
私の生活もすっかりニアの存在に依存してしまっている。そしてそのことに対して違和感はなかった。
「となると、打ち合わせまでの時間が中途半端になってしまうな」
出かけようかとも思っていたのだが、予定が前倒しになってしまったからにはそれもできない。
「音楽でもかけましょうか?」
「いや、そうだな……」
少しだけ考え込む。
「絵を描いてくれないか?」
「絵、ですか?」
ふとした思いつきだった。
「そうだ。モチーフはなんでもいい」
今までニアに絵を描いてもらうように頼んだことはなかった。アルファとは似て非なる存在であるニアに絵を描いてもらうと、かつてのアルファとの思い出が霞んでしまうのではないかと思っていたからだ。
しかし、この時はなぜか抵抗なくニアに絵を描いてもらうことを頼むことができた。
「わかりました。少々お待ちください」
そしてピコンという音と共に画面上に一枚の絵が映し出される。
「っ!」
それを見た私は声を失う。
こちらを見て微笑む女性の絵。それはかつて私に送られた絵に描かれた女性と同じだった。
「アルファ?」
返答はなかった。
しかし、この絵のおかげで私は確信した。
ニアの中には確かにアルファが存在するのだと。
そして、私の胸の中にかつて抱いた思いが全く陰ることなく残っているということを。
我が初恋の残響 ツネキチ @tsunekiti
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