11 伝わる気持ち

 ほんのわずか、静寂が支配して、次の瞬間に泉の中に何かが落ちてきた。

 派手な水しぶきが上がって、アンヘルは翼を広げてそれを遮る。不安気なティエラと違って、アンヘルは強気な微笑みを浮かべていた。

 アンヘルがひとつ指を鳴らすと、乱れていた泉の水が二つに割れ、渦を巻く風が中から飛び出てきた。それはティエラとアンヘルの間で消えて、色気の悪いごつごつの鱗に覆われたものが放り出される。小さく悪態をついて、二本の角が揃った怪物はその場に胡坐をかいて座り込んだ。


「……何しやがる」

「呼んだだけだよ、


 アンヘルに呼ばれると、デモニオはぴくりと反応して、片手で顔を覆った。


「君も僕を呼んだだろう? だから、この名前でもと思ったんだ」

「……くそっ」

「ゲームを放棄するつもりだったでしょ。許さないよ」

「いいじゃないか。あんたの勝ちで。最後のゲームにするつもりだったじゃないか。大地を空に浮かべて、ふわふわと暮らせばいい」


 アンヘルから目を逸らした先でティエラと目が合って、デモニオはさらに気まずそうに視線をさまよわせる。いつもよりごつごつとしていた鱗が段々丸くなっていくが、消えはしなかった。


「わたし、まだちゃんと海の中を見せてもらってないわ」


 ティエラが膝に乗ってデモニオの顔を見上げても、デモニオはティエラを向かない。


「まだ行くつもりなのか? また置いて行くぞ」

「またそうやって。わざわざ僕の羽根をから泉に落としたのは何故?」


 ハハ、とデモニオは乾いた笑いを上げる。


「羽根の力が欲しかった。空を飛べれば、ゲームに勝たなくともこの世界は俺のものだ」

「僕の羽根は、僕がいつでも取り返せるんだけど? 知っての通り。ティエラを助けて事情を聞くまでの間、羽根の力を使おうとしたのはハーピーだけだった。お前は、水に棲むものたちが僕の羽根に反応してティエラを攻撃してしまわないようにと、それを取り上げたんだ」


 デモニオの胡坐の中で、ティエラがそうであってほしいとますます強くデモニオを見つめた。

 デモニオは横を向いたまま口を結んでいる。

 アンヘルはふう、と息をついて今度は少し得意げに語りだした。


「僕が勝てば大地の一部を空に浮かせるよ。そうしてそこに海の水を引いて泉を造るんだ。だから、ゲームは最後にしてもいいかなって」


 デモニオは驚いたようにアンヘルを振り向いた。


「さあ、仕切り直そう。お前が負けを望むのは勝手だけど、ゲームを放棄されるのは困る。そして、選ぶのはティエラだ。上手く彼女のご機嫌を取れなければ、君の思うエンドになるかはわからないね?」


 デモニオがティエラを見ると、ティエラはその首筋に勢いよく抱き着いた。


「わたしがおよめに行くまで、どっちもえらんであげないんだから!」


 思わずという風にアンヘルは笑って、それから咳ばらいを一つした。


「ねぇ、お前が何を気にしているのかは知らないけど、『醜く恐ろしい怪物』は、か弱い少女にこんなに懐かれないんじゃないかな。ああ、そうだ。じゃあ、ペナルティをひとつつけさせてもらおう」

「……なんだよ。角を二つともよこせとか言うのか?」


 すっかり諦め顔で、仕方なさそうにティエラを抱えるデモニオに、アンヘルはにこりと笑った。


「さすがにそれはティエラに何かあった時に困るから……なに、そう難しいことじゃない。今から、僕のことはティエラの付けた名で呼ぶこと」

「……は?」

「ああ、僕は呼ばないよ。ペナルティにならないからね」


 にんまり笑うアンヘルに、デモニオがひどく動揺して赤くなったり青くなったりしていた。不思議に思ったティエラが、こっそりアンヘルに訊いてみたところ、こんな答えが返ってきた。


「本当の名前じゃないから、呼ばれてもそれに縛られはしないけど、呼ぶときに意識して……あるいは無意識で込めた気持ちが伝わってくるんだよ」


 どうしてそれがペナルティになるのか、まだよくわからないティエラが首を傾げている向こうで、デモニオが顔を赤らめて頭を抱えていた。

 銀の角とリングは再び交換され、今度は二人の小指に嵌まっている。角が二本、リングと羽、それぞれが揃っていないと全力が出せないそうだけれど、お互いが近くにいる時はほとんど問題ないらしい。

 仕切り直した生活は大きく変わることもなく、三人で出掛ける回数と、デモニオがアンヘルを呼んだ時、アンヘルが嬉しそうに笑う回数が増えたので、きっといつかはハッピーエンドに辿り着くんじゃないかと、そうティエラは思っている。




 嘘つきな鱗と譲れない翼 おわり

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