9 本当の目的

 ティエラが勢いでペタリと尻もちをついた時には、もうデモニオの周りはカラスの小山のようだった。

 カァカァではなくギャアギャアと鬼気迫る声に、ティエラは動くことも声を出すこともできなかった。ただ怯えて後退りながら、どうにか声を上げようと口を開く。


「あ……あ……」


 助けて、アンヘル。そう叫びたいのに、誰かが喉を塞いでしまっているかのよう。そんな自分が情けなくて、ただただ怖くて、ティエラの目には涙が浮かぶ。

 カラスにたかられたまま、デモニオは少しフラフラとティエラの方へ踏み出して、かと思うと、ティエラの後ろで水柱が立ち上がった。ギョッとして振り返ったティエラの頭の上を、水柱が生き物のようにくねって放物線を描いていく。それはギャアギャアとうるさいカラスたちに向かって落ちていった。

 突然静かになって、びしょ濡れのカラスたちはよたよたと散っていく。


「まーったく」


 呆れ顔のデモニオは、全身鱗姿で、片方だけの角まで健在の本来の姿に戻っていた。


「怪我はないか? ちょっと強く押しすぎたかもだな」


 手を差し伸べながら近づくデモニオが怪我もなさそうでほっとしたのだけれど、ティエラはすっかり腰が抜けてしまったようで立ち上がれなかった。両手をデモニオに向かって伸ばし、その手がもう少しで届くというところで、今度は風が二人の間を吹き抜けた。思わず目を閉じたティエラの耳に、デモニオの舌打ちが聞こえる。

 風はぐるりと回って戻ってきて、二人の間に割って入った。


「醜い怪物め! 美しい人のものに何をする! さては横取りする気だな? そして……おぉ。そのリング! おまえ、あの人から盗み出したな!?」

「めんどくさいのが来たな……俺たちはゲーム中だ。邪魔するなと言われなかったか?」

「お前の言うことなど聞かぬ。あの人もあの人のものも言葉巧みに手に入れようなどと、恥を知れ!! すべて返してもらう!!」

「いや、だから、ゲームが終われば返すって」

「信用ならん!!」


 女の顔を持つハーピーは恐ろしい形相で爪を振りかぶった。デモニオは少し下がってそれを避ける。

 呆気に取られていたティエラは、話を聞いているうちに少しずつ状況が飲み込めてきた。足も言うことを聞いてくれそうだったので、ハーピーの誤解を解いてあげようと立ち上がってデモニオの前に立ち塞がった。


「まって。デモニオの角もアンヘルが持っているもの。きっと、こうかんしたんだわ」

「どけ。お前には手を出せん。それに、何を言われたか知らないが、騙されるな。こいつはいつも嘘ばかりだ。お前を大切にしているように見せかけて、あの人の羽根を手に入れようとしているのかも。それがあれば空を飛べる。鳥たちを統べられる。海と空を制すれば、この世界を手に入れられるのだから!」


 そんなことない! と、すぐに言えなかったのは、二人がこのゲームで大地を手に入れるのを争っているとティエラは知っていたからだ。大地を手に入れて、それから空も飛べるようになれば、確かにデモニオはこの世界を好きにできるだろう。

 ティエラは違うよね、と懇願するようにデモニオを振り返る。

 デモニオは面倒そうに何度目かのため息をつき、冷たい蛇のような瞳でティエラを見下ろした。


「ティエラ、どいてろ。お前が怪我でもしたら俺の負けになる」

「ほう! ほほう! なるほどそんな取り決めが!」


 ハーピーはにたりと笑った。

 ゆっくりとティエラに鋭い爪のついた足を伸ばし、羽根を括りつけている革紐をつまみ上げる。ティエラは鋭い爪が怖くて動けないのに、デモニオは黙って見ているだけだった。


「人の子には過ぎたものだと思ってた」


 ハーピーは楽し気に爪を引き、革紐はあっけなくプツリと切れた。小さく上げたティエラの抗議の声も聞こえないようで、ハーピーは目の前にぶら下げた小さな羽根をうっとりと眺めている。


「ああすごい。力がみなぎるよう。あは。少し傷つけるだけ、が怪物もろとも真っ二つにしてしまうかも!」


 ギラついた目をカッと見開くと、ハーピーの周りに風が渦巻き始めた。ぐるぐると土や葉を巻き上げながら空へと伸びていく。動かないデモニオの手を引き、ティエラは一生懸命訴えた。


「に、逃げよう? デモニオ?」


 デモニオは答えない。


「お前の負け! お前の負け! 次は私があの人とゲームをする!」


 竜巻が太くなり、周囲の木の枝も折れて巻き込んでいく。デモニオはやっぱりため息をついてティエラを抱き上げた。いろんなものが飛んでくるけれど、デモニオやティエラには当たらず避けていってくれるのが救いだった。


「小羽根ごときの力であいつと張り合おうなんて、おこがましいにも程があるな」

「負け惜しみ!」


 ハーピーがバッと羽を広げた瞬間、その肩口を細い水が貫いた。

 ギャッと悲鳴が漏れ、巻いていた風はほどけていく。投げ出された羽根の付いた首飾りは、デモニオの手の中に納まっていた。

 返してくれるのかと手を伸ばしたティエラだったけれど、デモニオはそれを離さず、うっすらと笑う。


「まあ、そう。邪魔には変わりない」


 ふわりと、ティエラの体が浮いた。でも、風の助けはない。

 重力に引かれるティエラを目で追って、ハーピーはさも可笑しそうに笑った。


「やはりな。やはり。怪物など、信用するものではない!」


 デモニオに放り投げられたティエラは、水しぶきを上げて泉の底へと沈んでいった。




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