8 祭りにて
岩浜の、少し突き出した崖の内側、洞窟とまで言えないくらいのへこみに二人は上陸した。先にアンヘルが待っていて、ティエラを引き上げる。
不思議なことに、海の中をやってきた割には髪も服もしっとりしているくらいだったのだけれど、気付いたアンヘルが暖かい風を吹き付けてすっかり乾かしてしまった。
アンヘルに抱かれたまま岩を伝って浜まで移動する。足場のしっかりしたところで下ろされて、振り返ったティエラは驚いた。
「デモニオ……なの?」
髪型や服装はいつもと変わらないけれど、縦長の瞳孔は普通の丸いものに。肌は日に焼けたような浅黒さで、鱗など一枚も見当たらない。どうみても普通の
「さすがにな。騒ぎになるからな」
少し居心地悪そうに肩をすくませて、でもすぐにティエラの横に並んで手を繋ぐ。反対の手はアンヘルが握った。
「少しは家族っぽく見えるだろう?」
「……パパと、ママって呼んだ方がいい?」
ティエラはさすがにちょっと無理があるかなと思ったけれど、体の線の出ない大きめのシャツを着ているアンヘルは女性と言っても疑われないかもしれない。本人は顔をしかめてすぐさま却下したけれど。
「いくら僕に性別がないからって、ママはないでしょ。いいとこお兄ちゃん、じゃない?」
「俺だってパパって感じじゃないだろ。別に、いつも通りでいい」
大きな通りに出ると人がいっぱいだった。アンヘルの話では、お祭り期間中で観光客も多いから、少々変なのが紛れ込んでもわからないらしい。あちこちで音楽が流れ、人々は陽気に笑っている。沿道に沢山出ている屋台からは美味しそうな匂いが漂ってきた。歩いてるだけでも楽しい気分になって、ティエラは自然と笑顔になっていった。
何を見るよりも最初に、町のどこからでも見える、三角屋根の塔がある建物へとティエラは連れていかれた。その建物の前にもレモネードを売る小さな屋台が出ていて、子供たちが売り子をしている。お互いなんとなく探り合うように目を合わせながら通り過ぎて、建物の中に入れば教会だと解った。
「ティエラ、もしも僕たちとはぐれてしまったら、ここに来て待ってて。迎えに来るから」
「ここの鐘楼はどこからでも見えるはずだからな。誰に聞いてもすぐわかるだろう」
また外へと戻った時に、ティエラはアンヘルから渡されたお金でレモネードを買ってみた。当たり前なのだが、自分がきちんと買い物できたことが嬉しくて、紙コップを手渡してくれた少年に彼女は満面の笑顔でお礼を言った。
弾んだ気分で振り返った時、突然黒いものが目の前を横切った。驚いて、手にしたものを離してしまう。
「……あっ」
ティエラが、落ちて地面に広がっていくレモネードを呆然と眺めていると、背中で少年の声がした。
「まーたあいつらだ。これで何人目だよ」
振り返って、少年の睨みつけている方向を目で追う。
教会の屋根の上で、カラスが五羽ほど並んでこちらを見下ろしていた。
「もう一杯くれるかな」
「あいよ。大人は狙わないから、一緒にいてやるといいよ」
「ありがとう」
アンヘルの笑顔に少年の後ろの方で小さな歓声が上がって、カラスを睨んだのと同じような顔をして少年が振り返った。
新しいレモネードをアンヘルに渡されたけれど、ティエラは最初に受け取った時ほど嬉しくはなかった。ちょっとむくれて、一部始終を見ていたデモニオのところまでアンヘルに手を引かれていく。
「そんな顔すんな。もうひとつ買ったんだろう? パレードでも見に行くか? それとも菓子でも買おうか」
ティエラの頭を撫でようと少し屈んで手を伸ばしたデモニオの明るい茶の頭を、急降下してきたカラスが蹴りつける。今度はアンヘルも顔をしかめた。
「ちょっと、浮かれすぎ。町の鳥たちにはあんまり干渉したくないけど、しばらくの間だけでもおとなしくしててもらう」
教会の裏手に回ろうと早足で向かうアンヘルの手を慌てて掴もうとしたデモニオは、またカラスに邪魔された。ちっ、と思わず舌打ちが出る。追えば捕まえられるが、ティエラをひとり放っておくわけにもいかない。
「待てよ! いいから放っておけって。戻って来いよ! ……ア、アンヘル!」
立ち止まって、弾かれたように振り返ったアンヘルだったけれど、僅かに迷ったあと結局走り出して、すぐに建物の影に入って見えなくなった。
口元を覆って、小さく悪態をついているデモニオの顔がうっすら赤くて、ティエラは首を傾げる。
「デモニオ、かお赤い?」
「呼び慣れねぇんだよ。くそ。もういい。買い出しもしなけりゃならんし、行くぞ」
「え。でも……」
「ティエラと違ってあいつは俺の居所がわかるから大丈夫だよ」
そうなんだ、と心の中で呟いて、ティエラはアンヘルの見えなくなった方を振り返りつつ、手を引かれて行った。
雑貨屋に洋服屋。主にティエラの使う物や着替えを買い込んで、時々屋台を冷やかした。パレードを眺め、くじ引きをし、通りすがりにお花をもらってもアンヘルは戻ってこない。襲われはしなかったけれど、行く先々でカラスを見かけて、その数は段々と増えていた。
さすがにデモニオも気にし始めている。
「何やってんだか。またハーピーどもにでも捕まったか?」
しゃーねーな、と呟いて、デモニオは荷物を抱えて大通りから外れる道に踏み出した。
「どこに行くの?」
「少し先の森の中に泉があってな。動物たちも利用する場所だから、鳥たちに荷物を運んでもらうのに集めるのにもちょうどいいってことだったんだが。先に行って待ってよう」
移動し始めると、カラスたちも後をつけるように移動してくる。少し怖くなったティエラは、デモニオの腕にしがみついた。
「ティエラ、今はいいが、もし鳥たちが襲ってきたら離れてろよ? あいつの羽根があれば、お前には直接手出しできないはずだから」
荷物を抱えて、ティエラをぶら下げるようにして、歩きにくいだろうにデモニオはゆっくりと進んでいく。家が無くなり、木々が増え、カラスたちの姿は見えなくなったけれど、木々の上からカァ、カァ、と鳴き交わす声がする。
やがてティエラの鼻が水の匂いを捉えて目の前が開けると、デモニオはやれやれと荷物を下ろした。
その瞬間を狙ったかのように、八方から黒い塊がデモニオを襲う。小さくため息を落としたデモニオは、傍にいたティエラを軽く突き飛ばした。
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