第30話−京一の雅男

宿舎の簡素な庭の景色の中に末枯れも見え、朝晩だけではなく日中にも肌寒さを感じてきた頃。

そろそろ秋の終わりかと実感する。


雅峰たちと会うことがなくなってから、半年ばかりが経った。あとふた月もすれば新年を迎えることになる。


変化したことといえば、左大臣の件が落ち着いてすぐに忠栄は陰陽博士となるべく試験を突破するために部屋に引きこもるようになり、俺も陰陽師となるべく勉強を続けていた。


当初は、忠栄が陰陽博士の代わりに座学を教えてくれるとのことだったが、俺には座学よりも実践的な学びが必要だと分かり、依頼があったら忠栄と出仕することにしていた。


呪術について忠栄に質問をしにいくと、部屋中が陰陽・天文・暦の書が散らばって、邪魔にならない程度に片付けをするのがしだいに、日課になっていた。


その後、陰陽頭、陰陽博士と共に帝の末の妹にあたる内親王の元へと出仕した。内親王は赤子が産まれ、幼名をと陰陽頭と博士に任せられたところ、共にいた忠栄は赤子の相から未来の難を導きだした。


それは陰陽頭も陰陽博士も忠栄が言ったことで初めて気がついたのだった。


忠栄のその功績から陰陽博士を賜る事が決まったのである。


そして今日、忠栄はこれまでの間忙しかっただろうに、そんなことを感じさせないほど、涼しい顔をして俺を実家に招いてくれたのだ。


忠栄が出世するのだから家の者も大変だろう。

官位を得て屋敷を持つことになったため、宿舎からも出る事になっているのだ。


「これから忙しくなりますね」


「ええ、私もこれからは父上を補佐出来るほどの人間にならないといけません」


陰陽寮を統括する陰陽頭やその補佐である陰陽助、彼らが政治的側面を担っているのであれば、博士たちは学生の学びや公家の依頼、貴族の年間行事や時には陰陽頭、助に同伴し皇族のために出仕することが増えるだろう。


たった一年しか一緒にいられなかったのに寂しくなるなあ。まあ、皇家の目に留まってしまったのなら、陰陽博士の立場でも学生の授業を見ている暇などないだろう。


「兄様は俺がいなくても寂しくないのですか?」


つい、言葉にしてしまった。


忠栄は豆鉄砲を食らったかのような表情をしている。


「み、満成、寂しがっているのですか?」


「は? え、あ、いや」


その、と声が掠れる。

顔に熱が集まり、扇でさらに顔を隠す。


「フフ、寂しがってくれるなんて嬉しいですねえ」


「そ、そうではなくて、その、俺が兄様の身支度を手伝っていたので、これからは大丈夫かなって心配してるんですよ」


「そうですね、それは、まあ頑張ります」


忠栄は、そっか~もう毎朝顔を見れないのか、いや顔を見たのも片手で数えるくらいだったけど、とブツブツ言っている。


「す、少しだけ寂しいな、とは思ってます」


だから、とそう言って扇を少し下げる。


「たまには、弟と会ってくださいね」


恥ずかしくて、忠栄の方を見ることは出来ないが顔を隠しながら言うのは少し女々しいかもしれないと思ったからだ。


「はい! 兄様はいつまでも満成の兄様ですよ」


そう言って幼い子供にするように優しく抱きしめられた。


「それにね、あなたが寂しがらないように猫又に乗って宿舎に遊びに行きますよ」


「猫又とですか!」


「フフ、私より猫又と会いたいようですね」


「そ、そんなことはありませんよ」


すると、尻尾が二尾に割れた白毛に黒毛の靴下をはいたような模様のある猫が、いつのまにか部屋の中に入ってきたようだった。


ニャアオ、と泣き声をあげて忠栄の膝の上に乗る姿は普通の猫のようだ。


俺がその猫を見つめていると、猫の顔は仕方ないといった風に忠栄の膝から俺の膝の上に乗り換えた。


「ひさしいわね、播磨の小僧」


女の様な透き通る声が猫の方から聞こえた。


そう、この猫こそ賀茂 忠栄の式神、猫又である。


陰陽寮の宿舎では、陰陽生の立場で式神を召喚して行動することは良しとされておらず、例外なく得業生の忠栄も宿舎では猫又を召喚していなかった。


しかし、貴族の依頼に出かけた際や、切迫していない状況の時は車の中で猫又を召喚し見せてくれた。


忠栄が使役している猫又は温厚な性格で主人に危害を加えないのであれば大人しくしており、主人に近づく人間をただ静かに見定めているだけの式神である。忠栄曰くこの猫又は気に入った人間には自ら近づいて撫でさせてくれるらしい。


だから、俺にはわりと好感度高いのかも!


「久しぶりじゃないか! モフモフさせてくれ!」


「ふん、しかたのない小僧だね」


扇を閉じ、猫又の腹に顔を埋め、匂いを吸いながら毛並みに指を滑らせる。


「フフ、満成は本当に猫又が好きですねえ」


大好きですと言おうとしたが、猫又の腹の中に顔を埋めていたままだったために、それは言葉になっていなかっただろう。


猫又はそれが擽ったかったらしく、俺の額に前足を押し付けた。


猫又を堪能していると、今日は俺以外にも来客がある事を告げた。


「私の幼いころからの友人でね、フフ、京一の雅男と呼ばれている人なんですよ」


京一の雅男? あれ、どこかで……


あ! そ、それって『恋歌物語』の攻略対象 在原静春のことか!?


俺は今から『恋歌物語』に登場する攻略対象の最後の一人、在原静春と対面できることに緊張の針が心臓を貫いた。


しかし、膝でくつろいでいる猫又を驚かせないように気を付けていたことで、忠栄に俺の反応が気付かれることなかった。


忠栄の友人であることは知っていたから、いつか会う機会はあるだろうなと思ってはいたが、……まさか今日だったとはな。


忠栄は彼のことを、面白い人ですよ~、そう言って友人に会えることを楽しみにしている様子だった。


「兄様が楽しそうでとても嬉しいです」


「た、楽しそうですか?」


どうしたんだ?


俺の言葉を聞いてから忠栄の様子が少しだけ、ぎこちなくなった気がした。


昼が過ぎ、忠栄がおやつにしようと言って下人に取りに行かせたが、何か問題があったようで、少し待っててくださいと俺に行って部屋から出て行った。


気付いたら猫又も膝の上からいつの間にか消えていた。


俺は、暇になって部屋の中を物色する。


と言っても、物に触れるとすぐにバレてしまいそうで、見て回るだけにした。


それにしても、部屋の片付けが苦手な人なのにこの部屋はよく片付けられていて綺麗だ。


机の上に置かれた陰陽寮で使われている学生向けの書に触れた直後、部屋の中に人が入ってきた。忠栄かと思い、声を掛けようと書を持ったまま顔をあげる。


しかし、そこにいたのは忠栄ではなかった。


白菊が霜焼けし紫色に変化するように、移ろい菊と呼ばれる重ね色目の狩衣姿のいで立ちで、京の女が好きそうな眉目秀麗な男が立っていた。


俺は男の顔を見てすぐに気づいた。


在原静春ありはらのしずはるだ。


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