第29話−雅峰の孤独

左大臣と忠栄が残った部屋から出て、雅峰と廊下を歩いている間に、露影の存在が気になった。


やはり、露影というあの男はこの邸内に潜んでいたのか。


あいつが言っていた言葉が気になる。


***


「お前は、……露影は俺が童だった頃を知っているのか?」


「知っているが、過ぎ去ったことだ。思い出す必要はない」


「俺らはお前の敵になるか、或いは味方になるか」


「その時が来たら満成、君が選ぶんだ」


「……救わなくていい、今度こそ俺らが、……を救うんだ」



***



それに、過去に俺たちは出会っていた、なんて言っていたが、あれから記憶を遡っても分からない。


ただ、可能性として、この身体が満成として過ごした過去でこれまで一度も思い出そうとしていない過去がある。


母親に連れて行かれた寺での出来事だ。


それだけは、想像を絶するほどの過去であるため、俺も安易に記憶を起こしたくないと思っている。


ただ、もしそこにヒントがあるなら、俺はこの記憶を知らなければならない。


「満成」


いつの間にか足を止め、頭の中で鬱々考えていたらしく、雅峰は俺の狩衣を引いて早く庭に行こうと言った。


まるで自然の中にいるような美しい庭につくまでの間、左大臣の配慮だろうか下人がひとりも近くにいる気配がしなかった。


雅峰は庭に出ると植木の方から蹴鞠を持ってきて、それを廊下の上に置いた。


「さっきまで遊んでいたのか?」


初めに会った時の口調に戻すと、雅峰は嬉しそうにしている。


表情筋は仕事をしていないようだが、なんとなく笑っているような気がしたから、そう感じた。


「ああ、左大臣殿の屋敷には勉学の息抜きに来ているから置いておいてくれているんだ」


「そうか、優しいお方だな」


「そうだな、この屋敷は守られているからと言って、屋敷に来ることを勧めてくれたのも彼だ、とてもありがたいことだ」


「そうだったのか」


すると雅峰は俺の手に触れ美しい扇だ、よく見せてくれと言った。


雅峰の手は今の俺の手より小さいが厚みがあり、触れた掌は柔らかさの中に薄っすらと硬い膜があるように感じた。剣術や弓術をより実践的に学び始めているのだろう。


的当てが出来るくらいの射術があれば充分だというのに、真面目な子だ。

いや、未来でその能力を持って活躍する雅峰を思うと、本人は武術が好きだから人が求める以上に練習しているのだろう。


俺は白狐が前みたいに体の動きを制限するのではないかと躊躇したが、雅峰が流れるような動作で俺の腕を下げ、手から扇を抜き取っても何も起きなかったので安堵した。


もし、扇が手から離れなかったら、東宮にというか雅峰が拒絶されたと思ってしまわないか不安だった。


「うん、とても雅だ」


「ああ」


「これは何処で手に入るのだ?」


「残念だが、古い知り合いからの譲り物でな、どこで手に入るかは知らないんだ」


「そうか、それは残念だ。こんなに美しい代物は都で見たことがない」


「宮の物に比べたらたいした物ではないでしょう」


唐から伝わった技法で作られた美しい音色の螺鈿細工の琵琶や唐絵などと比べると質素な物だと思われても仕方ない。


「いや、宮の物にある物より素晴らしい」


雅峰はそれに、と言うと、俺の腕を引っ張り、体が前のめりになった俺の耳元で囁いた。


「満成、あなたが持つことでその扇は輝きを増しているのだろうな」


え? ま、ちょ、え、イケメンすぎない? 何そのセリフ、心臓が張り裂けそうなんだが。


雅峰はそう言って俺に扇を返した。


植木の方に走って行き、その裏から鞠を拾い上げると蹴鞠をしようと言った。


その様子は少年のようで、俺は雅峰の言葉の意味を深く考えることをやめた。


俺は誰もいないので扇を簀子に置いて、雅峰の対面に立つ。


雅峰の話では、同年代の貴族の間で蹴鞠が流行っているらしい。


雅峰はそれをやろうと言った。


俺は初めて蹴鞠で遊ぶので手加減を頼むと言って、乾いた土の上に落とさないよう蹴り上げる。


雅峰は、久しく遊んでいないと、俺の言葉に返すように言ったにもかかわらず、とても上手に蹴り返した。


なんと、俺と雅峰は 0VS10 で雅峰の圧勝で、俺の体力は事切れた。


待って、俺体力無さ過ぎじゃない?

それになんなの、この体幹お化け。


雅峰は薄い体に似合わず、武術で鍛えているからか、体幹がビクともせず、飛んでいった蹴鞠を一度も落とさず蹴り返してきた。


俺はというと、それなりに日々鍛えているにも関わらず蹴鞠を受けようとして後ろに転んだりと、雅峰の相手にもならなかった。


「大丈夫か?」


「あ、ああ。だが、少しだけ休ませてくれ」


「そうしろ」


簀子に移って座っていると雅峰は横に座る。


「遊ばなくていいのか?」


「ひとりで遊ぶことはいつでも出来る」


「すまん」


「構わない。久しぶりに誰かと遊べて楽しかった」


雅峰は同年代の貴族の間で蹴鞠が流行っているらしい、久しく遊んでいないと言っていた。それは、もしかしたら、彼らのことを気にして自ら距離を置いているのか、もしくは周りが雅峰を避けて遊ぶことがないのか、いずれも聞くことはしなかった。


雅峰の整った横顔を見ながら、そう考えていると、自分の方を向いた雅峰と目が合った。雅峰は落ち着いた声で、なんだ? と言った。


「いや、こんな美男子が東宮様とは貴族の姫様達が羨ましい限りだ」


本当は、雅峰が美男子だから姫様達も彼に好かれようと美しさに磨きをかけてくるだろう。


都の美しい姫を囲むことが出来るんだろう?

なんて、贅沢な羨ましすぎる。


まあ、雅峰は見向きしないだろうな。

それこそ、失ったと思っていた嘉子の姿をして、局面に立たされた雅峰に救う言葉をかけられる主人公の香澄でなければ視界にさえいれないだろう。


主人公は美人だし、二人が並んだらまじでお似合いすぎる。

……いや、違う! 俺は雅峰と善晴のCPが見たいんだ!

最近、後悔の念に駆られて主人公の事を思い出しすぎた。


そういえば、善晴は元気にしているのかな、都ではまだ会っていないからな。


もし、会ったら雅峰と同じ年頃か。

可愛いだろうなあ。また、あにさま! って言ってくれるだろうか?


「満成?」


雅峰を忘れて思い出に耽っていると、頬を膨らませていた。


「すまん」


「はあ、真に羨ましいなどと言っているのかと思ったが、違ったようだな」


「え?」


「満成、俺は帝に即位しなくてもいいんだ」


雅峰は静寂を好むような目で庭を見つめている。


「第二皇子の弟だって、決して悪い子ではない、彼であっても安寧秩序な都を作ることが出来るだろう」


だが、そう言って言葉を続ける。


「俺が早くに東宮を廃されたら、弟を騙し、所有物のように扱う輩を許すことは出来ない」


「そうだな」


俺も弟の友成がそんな目にあったら許せるはずがない。


「なあ、満成、もしそのようなことが起きたら、弟を救うために手を貸してくれるか?」


怒りを含んでいる低い声だった。


「当たり前だ」


俺が恐れることなく多くの貴族を敵に回す提案に即答したことに驚いた様子の雅峰だったが、すぐにフッと笑った。


俺の言葉を本気だと受け取っていないのかもしれない。だけど、雅峰の気持ちは落ち着いたようだ。


「ありがとう」


そう言って優しく微笑んでいた。


ああ、自然に笑えるようになってきたな。


しばらく、疲れて簀子に座りたまに話しながら休憩している最中、急に後ろから抱かれる形で顎を持ち上げられた。


横にいる雅峰が俺の袖を力強く掴んでいる感覚があった。俺は目の前で逆さまな顔を見つめる。


顔を上にあげるようにして顎を持ち上げた正体は忠栄だった。


まだ、若干汗で湿る顔に触れる忠栄の手はひんやりと冷たく気持ちよかった。


俺が思っていることを汲み取るかのように、忠栄は俺の首、額に丁寧な手つきで触れ、額に触れた手は下にいき、楽しそうに目尻を垂らせた忠栄の顔が隠れるように覆われた。


雅峰が立ち上がったのだろう。

衣が重なる音が隣から聞こえた。


左大臣の咳払いで、俺は自分の状況を理解し、忠栄の細い腕を掴み解いた。


やはり、雅峰は立ち上がっていて俺の後ろにいる忠栄を上から睨んでいた。


絶対、変なところ見られたな。

勘違いしないでくれ、忠栄はスキンシップがこの時代の人より多いだけなんだ。


雅峰を宥めようとすると、目を充血させるほど睨んでいることに気がついた。


そ、そんなに怒らせた!?


俺は立ち上がり雅峰の肩に手を置く。


「すまん、そんなに気を悪くしないでくれ」


雅峰は俯いて黙っている。

俺の言葉を無視して、さらに忠栄は突っかかてくる。


「へえ、満成はいつの間にか東宮様と仲良くなったようですね」


そう言って忠栄は、目には妖艶と笑みを浮かべながら、俺の頬を撫でるように顔を上に向かせた。

忠栄は俺よりは背が高い。

上から俺の顔を見ている表情は愉しそうだった。


誰だ!? 誰が、忠栄は"人徳のある人"なんて言った!

いや、……俺だわ。和紀に言った言葉を今すぐ取り消したい。


近づけようとしてくる忠栄の綺麗な顔を止めようと、狩衣の袂を持ち上げる。


カタカタと音が下から聞こえ、その場にいた雅峰、左大臣、忠栄、俺は視線を向けた。


簀子の上に置いてあった扇が自分の仕事を思い出したように俺と忠栄の間に割って入るかのように飛びこんできた。


「あらら、戯れはここまでか」


「い、いま、扇が」


「……」


左大臣以外はあまり驚いた様子がなく、雅峰に至ってはむしろこの扇に興味を示したようだった。


「これは、どうなっているのだ?」


「ああ、俺の呪力を流しているだけだ」


「そのように扱えるものなのか」


「ふーん、なるほど、満成の"意思"ですか」


やべ、これは疑っているか?

いや、バレても最悪安倍に聞いてもらえればいいか。


「そうですか、満成は兄様を自分の"意思"で突き放すのですね、はあ、悲しいです」


あ、いや違うな。ただ、拗ねてるだけか。


雅峰の機嫌も治まり、左大臣は少し俺らの、というより忠栄のスキンシップに敏感になっていたが、普段の慎ましい振る舞いに戻ったことで安心していた。


忠栄のスキンシップが悪影響とまでは言わないが、雅峰が東宮でいる限り、彼が他の貴族に忠栄のように接してしまうとマズいからな。


その後は、俺達は陰陽寮へ戻り、また、左大臣に呼び出されれば屋敷に赴いた。


しかし、それもしだいに回数は減っていった。


それは、右大臣側の者が左大臣に接触することも、左大臣の身の周りで何も起こらなかったからだ。


左大臣と雅峰も俺達の出世を邪魔するつもりはないと言って、これまで通りの日常に戻りつつあった。




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