第16話-左大将の思惑
湯殿では長旅の疲労は抜けなかったが、汚れを落とすことが出来た。
しかし、そこに用意されていた着替えはなんと、信じられないものだった。
これは!
主人公が夏場に着ていたいわゆる官能衣装!
それは、メインストーリーとは別のシナリオ。
主人公は転生後、上流貴族の嘉子の記憶があった。とはいえ、現代育ちの香澄には夏の過ごし方に少し不満があった。身綺麗に整えられた衣はとても暑かったのだ。
そこで、涼しく感じるために品のないと言われている単袴姿で過ごすことにした。彼女の部屋に来た攻略対象にそのままの姿で会ってしまい、その姿に攻略対象は官能をくすぐられ理性空しく襲ってしまう。
そんな代物だぞ! って、いやいやいや、いくら今、皆はあっつ~いと感じる夏だからと言って、女物が置いてるわけなんて……まじで?
他に新しい衣がないか辺りを見渡すがそれらしきものは無かった。
ま、まじか。左大将のやつ何考え……て。
背筋が凍った。
頭の中に考えたくない、左大将の思惑がよぎったからだ。
そして、もう一つ。その理由として、満成としての過去、寺院での行為を思い出したからだ。
いやいや。本来のストーリーでは、満成を無情にも陥れたあの男だ。それはないだろう。
不信感を抱きつつも他に着るものが無いため、仕方ないかと思って小袖に腕を通す。真っ赤な長袴を腰で結び、下の装束が透ける生地の単を上に羽織る。
この色、透けて見えたから気付かなかったが、俺の普段に着ている狩衣の色にそっくりだな。
下の装束の上に合わせるそれは、
偶然かと考えるも不気味に思いつつ左大将の言っていた部屋に向かう。
それまで、屋敷の人間が一人もその部屋の近くを通ることは無かった。
左大将に与えられた部屋はそこそこ広く、貴族の財力によって拵えられた調度品やさらに御帳台まであった。
身分の低い俺の為に御帳台まで置くとは、何かの間違えか?
官位の低い蘆屋の屋敷では、空いている部屋にはカーテンのような几帳を仕切り用に置いてあるだけだった。それは、貴族を屋敷に泊めることがほぼない所為でもある。
「これは、なかなかのおもてなしだ」
それに、この衣装にも驚いたが部屋には誰もいないみたいだし、考えすぎだったな。
御調台に上がると模様と文字が書かれた二つの紙を懐から取り出した。彼らは部屋にあった細長い灯台の明かりに照らされている。
この屋敷に来てから二人が全く反応しない。長旅だったから疲れているのかもしれないな。羅城門の鬼にも会ったし、精神的にも参ってるだろう。
流石に時間が経てば良佳の声はもう耳に残らない、いや、それよりももっと衝撃なことがあったからかもしれない。予期してなかった善晴の父との対面。
あの人は今の俺でも敵う相手ではない。いくら白狐の秘書を全て読んだからと言って彼の鬼才と呼ばれる才能には歯が立たないだろう。
もっとも恐れる理由は白狐の髪を無断で散切りにしてしまったことだ。
まさか、二人が再会するとは思わなかった。
ああ、白狐の髪の毛なんて切るんじゃなかった!
いや、でもそうしないと俺の未来も……くそ。
「くちゅん」
さすがに夏だと分かっていても単袴では寒い。
それは、双葉火玉が式神として具現化していないことにあった。幼いころから双葉火玉に囲まれて育った満成の体にとっては通常の人の暑さの何倍も暑さに耐性があり、反対に言えば人一倍寒がりであることだ。
二人はもう休んでいるんだと思い、自分も体を休めることにした。
明かりを消して、掛け布団で体を覆うとすぐに疲れていた気の緩みから意識は途切れた。
ふと香に誘われるように目が覚めた。
蓮か?
夏らしい香りがあたりに漂う。
この時期だ、左大将が香を焚いているに違いない。
重たいまつげをさげ、目を閉じた。
しかし、またすぐに目を開けた。
影!?
部屋の前に掛かっている簾に一つの明かりを持った男が立っていた。
立烏帽子の影が自分のいる御帳台まで伸びている。
ヒッ! と喉元を小さく鳴らした。
なんだよあれ!!
普通だったらホラーだからこれ!
落ち着こう……ここは、普通にホラーが出る世界だ。
……うん、あれは何だ? 人か?
……もしかして、あの人が直接俺を殺しに来たのか。
なんとか精神を落ち着かせようと努めた。男は俺の方を静かに見ている。
静かに身構える。横向けに寝ていたので、寝返りを打つようにして枕元に置いた扇に手を翳した。
その影は、簾をどかし近付いてきた。
ヒタヒタと簀子から床、畳の上を通って近付いてくる。小さい火の明かりが、部屋に広がった。部屋の灯台に灯したのだろう。
男の動きを見てうつ伏せのまま機会を見計らった。
そして、男が帳に手をかけた時───
「誰だ」
銀砂子の扇の先を男の首元に向けた。
男の動きは一瞬止まった。しかし、まだ暗闇に慣れていない目と男が明かりを遮って顔をこちらに向けているため顔が見えない。
「それはそなたの美しい顔を仕舞う物だ。今は必要ないだろう」
その声は、あの男の声ではなかった。
それは、聞くだけで気分が悪くなる男の声だった。
「さ、左大将様……どうして、こちらに」
左大将は俺が逆らえないのを分かって扇に手を触れ下に降ろさせる。
頭の中には危険だと警鐘が鳴っている。
妖なんかよりもっと恐ろしい。権力を持って抑えつける非道な手段を使おうとしている目の前にの男に、満成の過去である寺院での記憶を結びつけた。
くそ、やっぱり。いつからだ……、いつから俺を狙っていた?
顎にカサついた指が触れた。
「んふふ、あの時から誠に変わっておらんなあ」
「……」
「美しいままだ」
「お戯れを」
その指を軽く振り払う。すると左大将は反発されたことに刺激されたらしく、頬を撫でてきた。気持ち悪さに顔を背ける。
「何を、昔はよく男どもに触らせていたではないか」
「なッ! なぜそれを!」
「んふふ、私はあなたをひと目見た時から私のモノにするつもりだった」
キ、キモイ! ふざけるな!
子どもに発情なんかするなよ!
「あなたを私のモノにできないのであれば、いっそ殺してしまおうかと思ったんだが……運がよかったなあ」
なんだよそれ。
じゃあ、ゲームの満成の式神殺されたのは、満成が身分関係なく困っている人を助けようと民間陰陽師になるのを諦めなかったからか?
黙っていると、左大将は俺の薄い単に手をかけた。
触れられた瞬間肩が小振りに動いた。そのまま左大将は肩の形を確かめるように外から内へ撫で、襟から単の内側に手を入れてきた。
どうにかしないと、と頭で考えていても恐ろしくどうすることも出来なかった。
双葉火玉が動いてくれれば……なぜ、動かないんだ!
枕の横に落ちている式神をチラリと見たことに気づいた左大将はネチャと音をたてて歯を出して嗤った。
「あなたの式神は明日の朝まで動けませんよ、安倍に頼んでここに結界を張ってもらいましたから」
「なんだと!?」
「もし、私に害をなそうとしていたら困ると。それに、この屋敷には陰陽道を扱うものがいませんので、特にこちらにもその気はないと言ったら了承してくれましたよ」
「くそ!」
安部が帰り際に言った言葉を思い出し、頭に血が上る。
安部め、俺を辱めるつもりだったのか!
俺が招いたことだが、こんなのは外道すぎる。
「宮廷陰陽師になる為には私の藤原氏が必要だろう?」
「ッ!」
耐えきれず、離せ! と言おうと口を開いた時、外に面した簾が怪しい風に乗るように上がった。
御帳台の四方に垂れている帳も続くように浮かぶ。
白い狩衣が月明かりに照らされて光を放ちながら、こちらを見つめる立烏帽子を被った男が一人、簀子の上に立っていた。
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