第30話

「遺言?」


「そうだよ。家にあるものは、君と紗奈ちゃんで分けるようにってね。行政書士が作った書類だから。これその行政書士の名刺」



渡された名刺と書類は今説明された通りのものだった

久しぶりに顔を出した実家は驚くほど広く、そして静かに感じる



「…叔父さんはなにかいらないんすか?」


「弟夫婦の遺品を、遺言無視してまで貰うわけにはいかないよ。それに、この歳で独身だからお金には困ってない」


「まぁ…叔父さんがそう言うならいいっすけど…」



そしてその後、紗奈が家を引き取り夜斗が他の物を引き取った

全てを売却し、手元に多くの金が入ったのは引っ越したあとである

叔父と別れ自宅に戻った夜斗は、迎えてくれた弥生に目を向けた



「夜斗」


「弥生…。すまない、色々手をかけさせたな」


「仕方ない。両親が亡くなったんだから、そういうことは言わないの」



荷造りより先に遺品整理を始めたため、弥生が1人で荷を開くこととなってしまった

さらに弥生は酷く落ち込んだ紗奈を慰めるため、ほぼ毎日天津風家を訪れたりもしていたのだ



「…ありがとう」


「それでいい。とりあえず適当な家を借りたけど、ここでよかった?」


「ああ。部屋が2つあって風呂トイレ別ならなんでもいいさ」



弥生は夜斗が奔走する間、紗奈のアフターケアをしつつ不動産屋にて部屋を探した

そして落ち着くであろう時期を予想して契約手続きを行い、引っ越し屋の手配も済ませるというところまでしてくれたのだ



「お風呂、入ってきたら?」


「そうするかな。弥生は入ったのか?」


「うん。先に入った」


「そうか、わかった」



脱衣所で半ばぐったりしながら服を脱ぎ、浴室で数十分を過ごした夜斗

脱衣所に出ると、弥生が用意してくれた服があったため、体を拭き上げそれに着替える



「何から何まで、助けてもらってばかりだ」


「…夜斗、昔桜坂さんの葬式もやった…って言ってた。勝手が違う?」


「そうだな…親のときの予行だとか不謹慎なこと考えながらやってたけど、いざ親の葬式となるとどうしても心が負ける。終わらせたけど、マジで泣きそうだったぜ」



医者から死亡を告げられたその瞬間から、夜斗は涙を見せなかった

忙しかったからというのもあるが、紗奈の前で泣くわけにはいかないと意固地になったのだ

そしてそれを、弥生に見抜かれた



「…泣いていい」


「…泣かんよ。俺は強いからな」



夜斗が言い切るかどうかというタイミングで、弥生が強引に夜斗を抱きしめた

ふくよかな胸に呑まれながら抗議の声をあげようとして固まる



「強いのは耐えることじゃない…!」


「…何故、泣く」



首筋に落ちた弥生の涙の真意を問う夜斗

目元を拭った弥生がそれを話し始めた



「親が亡くなって、泣かないなんてできない。義理の両親でもないけど私でさえ、涙が出るのに。なんで隠すの!?」



声を荒げる弥生を前に力が抜けた

怒りからくるものではなく、夜斗の身を案じてのものだと。色を見ずともわかったから



「…俺が、俺が折れるわけにはいかんだろう。妹に、この背を見せるのが…兄たる俺の役目なのに…」


「なら今…!ここで、本音を零すくらいすればいい。私は妹じゃないから…だから、今くらいは甘えて…?」



抱きしめる力が増す

そして夜斗が折れた



「…弥生と、同棲が始まった日の前日に…母さんと喧嘩したんだ」


「……」


「上手くやれるのかって。女の子を泣かせるな、って。俺はわかってるって怒鳴って、家を飛び出したんだよ」


「…なんで?」


「利害関係だ、って知られたくなかった。あの2人には、嘘でも幸せなんだって…示したくて」



今まで生きてきた中で初めて、赤の他人の前で嗚咽を漏らす夜斗

弥生はそれを見ながら頭を撫で続けた





「…そろそろ離してくれ」


「やだ」



数分で持ち直した夜斗だったが、弥生の何かを刺激したのかかなり長い時間拘束された

時間にして1時間程度だ

しかしそれだけ長いこと抱きしめられていれば、全く気にしていなかったことを気にしてしまう



(案外胸あるな。って何を考えてんだ俺は。人が俺のためにと体を張ってるのに)


(…こういうときに不謹慎かもしれないけど、生まれ持った体も利用する。こういうときしかできなそうだし)


(…つかなんで下着つけてないんだ。明らかにブラがないだろこの感触。…紗奈とか雪菜のせいでそんなことばっか詳しいな俺)


(…あえて下着つけてないけど、気づくかな。…よく考えたら実家にいたころも家ではつけてなかったけど)



互いの思考が錯綜する

もはや夜斗には色を見るような余裕すらない

自分の顔にある柔らかい感触を遮断しようと必死だ



(そういえば最近枕が煎餅化しつつあるんだよな。これはちょうどいい枕に…って全然思考が離れねぇ!)


(…このまま布団にいけば、久しぶりに一緒に寝れるかも…。侵入も手だけど)


(つかまじで離してくれないな。いや別にいいけど…)


(…離したくない。けど、これ以上はごまかしが効かない。振りほどかれなかったし、嫌がってはいないと思うけど…)



ようやく解放された夜斗は若干の名残惜しさを鋼の意思で投げ飛ばし、弥生に目を向けた

どこか、恍惚とした表情にも見えなくない



「…満足そうだな」


「夜斗も。落ち着けた?」


「…ある意味落ち着けなかった」


「もう1回やる?」


「やりません」



思わず敬語で即答し、少し乱れた服を直す弥生に目を向ける

あと3年でこの様子も見れなくなるかと思うと、何かが刺さるような感覚がするのだ



「夜斗。心が弱ってるときは、異性と添い寝をすると治るらしい。私はわりと乗り気」


「乗り気なのかよ。なにゆえ」


「弱ったままの夜斗でもいいけど、今の夜斗は少し見ていられない」


(…心配かけてるのか。その治療法は聞いたことないが、試すのも悪くないだろう。本人がいいっていうんだからな)


(見ていられないのは本当だけど、この治療法本当にあるかは調べてない。多分ないけど)


「お言葉に甘えるとするか」


「わかった。寝具持ってくる」


「ああ」



夜斗の心理状態とは裏腹に冷静に見える弥生だったが、実はほぼ暴走状態だ



(…弱みにつけこんで、希望を通してる。私は、夜斗に対して非情すぎる。夜斗だけには)



寝具とはいっても枕くらいしか持っていくものはない

掛け布団も敷き布団も夜斗の部屋にあるものを一緒に使えばいいだけだ



「きた」


「お、おう」



布団で寛いでいた夜斗の隣に、流れるような動きで横になる弥生

癒やすためだという言い訳を使ってる手前、夜斗と向き合う形で手を背に回すことにした



「そこまでする必要があるのか?」


「…人肌のぬくもり的なこと」


「なるほどわからん」


(私も自分が何言ってるのかわからないから安心して)


(密着度あがるから割と困るんだが…)



そのまま十分ほど経過し、夜斗が口を開いた



「起きてるか」


「…うん。なに?」


「ほんと、ありがとな。弥生いなかったら、俺は今頃見知らぬ土地でくたばってたかもしれん」


「…想像つかないけど、あり得たかも」


「…一応、今も利用する関係ではあるが…」


「甘えれば良い。利用価値、あるでしょ?」


「…そうさせてもらおう」



今度は夜斗が弥生の背に手を回した

そしてそのまま、深い眠りにつく



(…こんな日が続けば、いいけど。私に価値がなくなれば…飽きられたら、終わる。だから今だけは、私だけを見てて)



その思考を最後に、弥生も夢の中へと入っていった

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