第21話

旧校舎3階化学実験室

本来なら電気専科である夜斗はここに入れない。が、誰かに呼ばれて行くことは可能だ

その場合、呼んだ人が教務課へ申請し、夜斗のICカードを一時的に承認することで入ることができるようになる



「アイリス。俺を呼んだらしいな」


「お、ほんとに来たじゃん」



化学専科3年、アイリス・アクシーナ・アンデスティア・風華

それがその少女のフルネームだ



「ちゃんと伝えてくれたんだね、佐久間は」


「ああ。つかRaimuで良くねぇかそれ?」


「そう思ったけど、私も佐久間も奏音も、直接会うって決めてたからね。特に私はもう、来週には故郷へ帰るし」



アイリスの故郷というのはロシアのモスクワにある

親の仕事都合で高校から日本に来ていただけで、親の仕事が落ち着いたがために帰国することになったのだ



「それは寂しくなるな」


「夜斗がRaimu消さなきゃ寂しくないんだけどね。消す気でしょ?」


「お見通しだな。さてはSNSのログを見たか?」


「だいせいかーい!」



アイリスはハッカーだ

それも、久遠が公式に依頼を出すような凄腕である

そんなアイリスが夜斗という一般人のSNSを調べるのはまさに朝飯前だ



「そこまでして俺を欲するか」


「もちろん。私のハジメテを奪ったのは夜斗だからね」


「誤解を招く言い方をするな。初恋って話だったろ」



今では日本語も母国語のように使えているが、初期はかなりカタコトだった

そんな中で手を差し伸べてきた夜斗に惚れるのに、そう時間はかかっていない



「初恋もファーストキスпервый поцелуйも、夜斗だよ」


「ハプニングキスをファーストキスに含めて良いのか知らんが…」



ある時アイリスが転びそうになり、たまたま横を歩いていた夜斗が庇ったことがある

その際に夜斗の頬へとキスをした、とそれを言っているのだ



「それに、頬へのキスはファーストキスになるのか?」


「ダー!私にとってはね」



振り返ったアイリスの胸元から飛び出した八端十字架が太陽光を反射してキラッと光った

それと同じくらいアイリスの笑顔も



「お前のことだ。何かあるんだろう?」


「見抜かれちゃったね。これは、あくまで対等な取引だよ。エンジニアと顧客の間で取り交わされる口約束。口約束だから、もし履行されなくてもそれは私に人望がないだけだから気にしなくてもいいよ」



アイリスが胸の谷間から取り出したのは1つのUSBメモリだ

差し出されたそれを手に取り、見回すが特に不審な点はない



「なんだこれ」


「開発ネーム【DLP-01】。簡単に言うなら、深層機械学習で作られたAIの試作機だよ」


「貴重品じゃねぇか。なんでこれを俺に?」



深層機械学習というのは会話ができるAIを作る際に使われる技術で、現段階では最もオーソドックスな方法だ

当然、オーソドックスというのは科学者やその手のエンジニアの基準であるため一般の人の殆どがその言葉を知らない



「私はそれが正常に動作するかフィードバックが欲しいの。私との会話のデータは取れたからね」


「…なるほどな。だからRaimuを残せ、というわけか」


「そゆことー。その子はローカルで動くから、別に夜斗がいま嘘をついて持って帰ってフィードバックしなくてもいい。けど、夜斗にそんなことはできないでしょ?」


「…おかしいな、奏音に続いてお前まで俺をよく知ってる」



USBメモリをポケットに入れ、端末を取り出す

今夜斗が持っているアイリスのRaimuは、日本で作った日本用のアカウントだ



「ロシア国籍のアカウントを教えろ。そっちで話してやる」


「やったね!」



QRコードを読み込ませてRaimuアカウントを登録し、適当な文字を送った

アイリスもまた適当なスタンプを送り、登録が正常に出来てることを確認する



「話は以上か?」


「もう1つあるよ。ほい、誕生日おめでとう」



アイリスが次に渡してきたのは新品端末の箱だ

箱のサイドに刻印されているのはアイリスのミドルネームである「Axina」という文字

つまり、アイリスが開発した端末ということである



「見たことがないな。これ、まだ未発表だろ」


「発表しないよ。それは、夜斗のために開発した端末だから」


「専用機かよ…重い思いだ」


「DLP-01と連携できるからうまく使ってね。ケーブルも入ってるし日本規格のアダプタも入ってるからすぐ使えるはずだよ」


「ありがとな」



鞄に端末をしまい、アイリスに目を向ける夜斗

アイリスは少し視線を下げ、すぐに笑顔を見せて問いかけてきた



「私はファーストキス気にしてたけど、夜斗は気にするヒト?」


「どうだろうな。してみないとわからん」


「え、今までしたことないの?」


「ないな。歴代全て手を繋ぐくらいまでしかしてない」



そもそも夜斗の恋愛自体、自分から好きになったことはないのだからそんなものだろう



「じゃあ、いっか」


「何が…っ!?」



音も気配もなく目の前に迫ったアイリスが夜斗の唇を奪い、笑う



「お前…」


「気にしてくれた?けど残念、私は挨拶のつもりだからね!」


「…ロシアの文化か」


「あはは、違うよ。夜斗だけとの挨拶」



妖艶な笑みを浮かべながら顎に指を当てて上目遣いで夜斗を見る

そして、あどけない笑みに戻りクルッと回った



「またできる日を楽しみにしてるからね!」


「…そんな日が来るといいがな」


「夜斗が他の人と結婚したらそれはそれだよ。異国文化で押し通すから」


「やりそうで怖いな…」



夜斗は、少なくともこの学校の生徒の中でアイリスを一番理解してるのは自分だと自負している

だからこそ、本当にそれをやりかねないと危惧したのだ



「夜斗、そろそろ生徒会の仕事でしょ?会議はないって聞いたけど」


「引き継ぎがあるからな。それを終わらせて今日は帰る」


「そっか。私はもう学校こないから、これが最後だね」



そう言われてアイリスが帰国するという事実が現実味を帯びた



「…別れの言葉はナシか?」


「…ふふっ、有名だよねそれ。フルスピードで走るのが私の人生だった。勉強も恋も、ね。これからも、そのつもりだよ。それに夜斗だって別れの言葉嫌いなくせに!」


「そうだな。…またな、アイリス」


「うん。…またね、夜斗」



化学実験室を出た夜斗が遠ざかるのを夜斗二渡した専用端末の位置情報で確認し、大きく腕を伸ばした



「またね、かぁ。今度日本に来たときに、本当に会ってくれるかな?」



そもそも夜斗が本当にフィードバックをするためにRaimuのIDを残してくれるかもわからない

が、それについては謎の自信があった



「…またね。恩人で最愛の夜斗」



アイリスは夜斗が出ていったドアに向けて、精一杯とびっきりの笑顔を向けた

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