第15話

帰宅後。自室のパソコンを立ち上げ、とある端末にプログラムを流し込む

そして弥生を呼び出し、その端末を投げ渡した



「…なにこれ」


「緊急通報装置の試作品だ。紗奈が持ってるやつは紐を抜くと通報するが、こっちのは側面のボタンを2回押すと機能する。まぁボタンを押せる状況かどうかはさておきな」


「そうじゃなくて、何故私に?」


「共同生活者が危険なら助けに行くさ。家族じゃなくても、利害関係でもお前は俺に十分な影響を与えている」



実際この数ヶ月で夜斗には心境の変化が生まれていた

当初はただ利害の一致で1年間暮らすだけだと割り切っていたが、最近では多少なりとも弥生のことを気にしている



「…ありがとう」


「ああ。さて、飯にするか。今日も教えてやるよ」


「よろしく、先生」



弥生は夜斗の想定を上回る料理下手で、一番初めの夕飯のときに夜斗は地獄を見たのだ

野菜を洗うだけ洗って切らずに鍋に入れて、切られていない鶏もも肉と共に煮込んだだけの何かが食卓に並んだときは気でも狂ったのかと思ったほどである

今ではある程度夜斗が基礎だけでもと教えながら料理をしていた



(ま、そろそろ指導もいらんだろ。俺の技術じゃレシピを真似することはできても、オリジナリティはない)



夜斗がやる料理はあくまで化学の延長だ

定量測る技術と正確な加熱時間においては右に出る者はいないが、味のカスタムをすると尽く失敗してしまう

そのため夜斗が教えられることには限界がある



「今日で最後にするか、指導は」


「…何故?」


「もう基礎は教えただろ?たからあとは、お前がどうしたいかなんだよ。レシピ通り作りたいならまだ教えるけど、オリジナリティを出して未来の旦那を唸らせるようなものを作りたいなら研究が必要だし」


「…そういうのは、紗奈のほうが得意?」


「まぁそうだな。雪菜もわりとできるが、紗奈のほうが腕がいい。どっちに頼んでも無駄に俺好みの味付けになるがな」



そこから長きにわたる指導が始まる…というわけでもない

最初こそ1回あたり2時間ほどかかっていたが、今は要所で口を出すだけだ



「…切れない」


「…鶏もも肉前教えたろ。確かに皮切りづらいけど」


「何故か切れない」


「非力なのに力で押し切ろうとするからだ。全く…」



夜斗は弥生を背後から抱きしめるようにして手を取り、力加減や動きを直接的に伝える

ということが最初はほぼ毎日行われていたため、今では密着度を気にすることはなくなっていた



「やってみ」


「ん…」



仲睦まじい夫婦のように見えてお互いに教え教えられるだけの料理風景が終わり、完成したものを食卓に並べる

この二人の食事は全て静かに行われるため、活気や初々しさというものは全くない



「ところで橘」


「…何?」


「昼、少し不満げだったな」


「こふっ…。なにが?」



飲んでいた水を吹き出した弥生を見てタオルを取りに行き、手渡してすぐ席に戻る

眼の前にあるのは空になった皿だ。夜斗が食べ終わるのは早い

が、いつも弥生が食べ終わるのを待っているのだ



「いや…緊急通報で俺が紗奈のとこにいって、真っ先に紗奈の状態確認しただろ。でお前に気づいて、紗奈にちと怒られたけど。そんときなんか不満がありそうな色をしてた」


「…相対すると厄介な能力。不満はない、といってもバレるし」


「まぁそうだな。なにか意見があれば聞くが?」


「…大体紗奈に言われた。けど、あえて直接言うなら冬風は私を気にしなすぎる。利害関係の私がもし怪我してたらどうしてたの?」


「…ふむ、確かにそうかもしれん。橘が怪我したとして気付くのは遅れるだろうな」



淡々と言い放つ夜斗にまた不満げな色を見せる

意図的に声へと不満を載せた



「私としては、もう少し気にしてほしい。私は、冬風が危険に合えば心配するし焦る」


「どうだか…。まぁ、そうか。ふむ…」



悩むような仕草を見せて、誤魔化すように皿を台所の流しへと持っていった

そして皿を洗いながら問いかける



「気にしたところでお前にとって意味があるのか?」



核心に迫るような一言だった

弥生自身、何故そのようなことを気に留めたのかがわかっていない



「それは…」


「意味がないことはしない主義、じゃなかったか?」


「そう、だけど…」


「……まぁいい。そう言うからにはなにかしら理由があるんだろう。あえて聞かないでおく。気が向いたら話せ」


「…わかった」



わからない

あの時自分の心に生じた摩擦が何を意味するのか

今夜斗に言われた言葉が刺さった理由も、わからない



「まぁ、緊急通報装置を渡したのはソレも理由の一つだ。紗奈に、「女の子を気にしなすぎです」って怒られたからな。多少改善には努めよう。が、程度がわからんから逐一言ってくれ」


「…なにを?」


「…別に俺はお前を気にしてないわけじゃあない。言葉にしないだけでな。だからこれからは口に出すようにする。その中で、言われたくないことがあれば俺に直接伝えてくれれば言わないようにする。逐次修正していくということだな」


「わかった」



その言葉に嘘はない。実際、気づかないうちに弥生がいなくなってたときはどこに行ったか気にしていたし、家にいても音がしなければ様子を窺いに部屋前まで移動していたほどだ



「…部屋の前に来たなら、声かけてくれてもいい」


「やっぱ気づかれてたか…。たしかに、相対すると厄介な能力だな」



小さくため息をつく

その音は水の音にかき消されてしまったが、どうやら弥生には聞こえたらしい



「…不満があるの?」


「…いや、特にはない。不満を持つほどこの生活に興味を示していないというのが正しいか」


「…そう。不満があるのはわかった」


「マジで厄介だわ…」



水道の栓を閉めてまたため息をついた夜斗は、給湯器から出るお湯で作ったコーヒーを手に食卓へ戻った

そしてもう1つのカップを弥生に差し出す



「ありがとう」


「おう。まぁ、そうだな…不満というほどのことではないが、最近やけに夜まで起きてるな」


「…気づいてたの?」


「まぁな。健康を害するから早めに寝たほうが良い。ただでさえ俺との生活で負担を強いる生活をしているんだからな」



夜斗はわりと寝るのが早く、22時には布団に入っている

弥生もそうだったのだが、最近は23時を過ぎてもまだ部屋で動いているような音がしていたのだ



「…気をつける」


「あくまでただのお節介だ、気にしなくてもいい」



飲み終えたコーヒーをまた流し台で洗い、ラックに入れて乾燥させる

いつものように部屋へ戻ろうとすると、弥生の手が夜斗の腕を掴んだ



「どうした」


「……そろそろ、名前で呼んでくれてもいいと思う」


「…弥生と呼べ、ということか?」



無言でうなずく弥生

少し手が震えているのが感覚でわかる



「一応理由を聞いておこうか」


「…クラスメイトとこの制度の話をしたとき、名前で呼ばないのはおかしいって言われた。それと、親元を無理やり離れたのに親と同じ苗字で呼ばれるのは…」


「気に入らんのか」



また無言でうなずく

数秒沈黙が流れ、弥生が耐えきれず手を離した



「…忘れて」


「ああ。…ま、何かあれば声をかけてくれよ、弥生」


「…っ!わかった。ありがとう、夜斗」



足早に戻っていった弥生の部屋の戸を見て小さく笑う

そして小さな声で、思っていたことを言った



「やはり年相応の女の子、というわけか」

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