リミナル・スペース
崖の上に投げ出された浮美は、落ちていった翔太郎を置いて、海と町を一望できる展望台を目指して足を進めている。
激しい揺れと共に、辺りの地面は定期的に抉られていった。
しかしこちらを覗く手段を失ったのか、狙いが若干甘くなっている。
「ふッ、はッ!」
そして、ここで浮美は空間の歪みが発生する前兆を見抜いた。
あの攻撃は、空間が歪む直前に予備動作を必要とするようである。
自然現象としての地震もS波の前にP波が訪れるように、大きな歪みが発生する直前、一瞬だけ空間に亀裂が走る。
それこそが、今まさに敵が使ってきている能力の発生を見切る手段。
しかし、あくまでもその予備動作を見切ることができたところで、本震となる攻撃は一瞬でこちらを襲ってくる。
今はまだ、半径数メートルの空間に震度六と同等の揺れを感じる程度の歪みを発生させる、という能力で済んでいるが……。
そしてこのタイミングで、山が丸々一つ崩れ去るような激しい土砂崩れが発生したことは、その能力と何も関係が無いものであるとはとは思えなかった。
「うっ……ぐ!」
予備動作こそ見切ったものの、浮美は激しい揺れに内蔵をかき回されるような感触を覚える。
地面を蹴り飛ばし、歪んだ空間から脱する浮美であったが、一撃、僅か数秒間の攻撃を受けただけでも、その揺れは彼女の内臓に大きなダメージを与えた。
「ハァ、ハァ……!ガァッ!ゲホッ、ゲホッ……!」
続けて、伏せている浮美の頭上にも、亀裂が入る。
「くッ!油断も隙も無い……!」
予備動作を見切り、前転で揺れの範囲を脱して走り出す浮美。
しかし、その肉体にはダメージが蓄積し、視界はぼやけ、空間が歪んでいるのか視界が歪んでいるのかも判別できない程であった。
「どこだ、どこに……!」
そして、ようやく辿り着いた展望台と、その柵にもたれかかる青年が視界に入ると同時に、
「見ーつけたっ。【ザ・クエイク】」
「が……はッ」
浮美は一瞬にして平衡感覚を失った。
「おおー。またカワイ子ちゃんが俺に吸い寄せられて来ちゃったのかな?」
「う、視界が……オエッ!」
「さっきも、俺の近くにカワイ子ちゃんがのこのこと寄ってきちゃってね。ま、男だったんだけど。でも……やっぱり俺、そういう才能あるのかなぁ?」
「……つまらない冗談ね」
こみ上げてきた胃液を少し吐き出した浮美は、何故か「ザ・クエイク」を使う青年を挑発した。
「ノリが悪いなぁ。じゃあ、面倒だからさっさと殺しちゃおうかな」
その反応に青年はナンパを諦めたのか、ズカズカと歩いて浮美へと近寄って口に蹴りを入れて能力を封じようとする。
しかし、その沸点の低さと行動の浅はかさは、この少女を相手にする上で致命的な弱点になってしまったようだ。
「その無警戒と自信が命取りになるのよ。私の世界へいらっしゃい。……【リミナル・スペース】」
口元へと迫る右脚を、歪む空間の中で無理矢理動かした右手で触れる。
青年の蹴りは止み、そのまま意識を失う。
そして、青年が次に目覚めた時。
「……ここは……ッ!?」
そこには、天変地異によって滅びた街と、津波によって荒れた海岸線沿いの景色が広がっていた。
「アタシは一つ、理解した。……ようやくお目覚めかしら」
「き、君。これは……どういうことかな?ここはどこだい?」
「ここはアンタの夢の中。アンタが持つ能力を具現化した夢の中よ」
「な、何かな?君は……俺に何をしたんだい?」
「アタシの能力は『リミナル・スペース』。手で触れた相手を夢の中に引きずり込んで、相手の能力を見破りつつ、その能力から連想するものを使って攻撃もできる……不思議な能力よ」
「そうかい!でも、ここが夢の中だったとしても……ここで君の三半規管を壊してしまえば、悪夢に耐えられなくなった君は、咄嗟に俺の目を覚ましてくれるんじゃあないのかな!?【ザ・クエイク】!」
「この夢は……アンタの能力を完全に理解し切った私が見せている夢なのよ。アンタがアタシを中心に空間を歪ませたところで、アタシはそれと『全く同じタイミング』で『全く同じ座標』に『真逆の歪み』を起こせば、歪みが歪みを打ち消し合って空間は元に戻る。この空間では、少なくとも夢を見せられている本人の力がアタシの力を超えることは絶対に無い。この夢の中でだけは、私はアンタの完全上位互換にあたる超能力を使うことができる。例えば、アンタの能力を生かして……こんなことだって!」
歪みを逆方向での歪みで打ち消し、実質的に揺れを殺したところで、浮美は看破した「ザ・クエイク」の力を使って水位五十センチメートル程度の津波を引き起こして足を奪う。
「つ、津波……!?」
「この津波は『地震』から連想して使った能力。『デウス・エクス・マキナ』……相手の能力から連想した能力を、『連想元と同じ夢』に限ってのみ使える、アタシの『リミナル・スペース』から派生した能力。……アンタ、この連想に覚えはある?」
「あるけど……君、もしかして……あの日を『経験』してる人かな?だったら、俺の能力に懐かしさも感じちゃうんじゃない?」
「ええ。最悪に懐かしい気分になったわ。だからこそ、最後に一つだけ言っておくわね。……アンタ、最悪よ」
「そうかぁ。……ところで、この夢からはいつ覚ましてくれるのかな?」
浮美のトラウマを抉りながら、止まらない軽口を叩き続ける「ザ・クエイク」の主。
しかし、囚われた夢の中でもそんな軽口を止められなかった彼は、とうとう夢の主たる浮美の逆鱗に触れた。
「何を言っているの?アンタが夢から覚めることは永遠に無い。【リミナル・スペース】。空間よ、大きく激しく歪むが良いわ。……目の前で波に押されている、この能力の持ち主が裂けて、捩じれて、弾けるまで」
「リミナル・スペース」は、より激しい「ザ・クエイク」の範囲を絞り、準備も無しに山を抉り取った以上の衝撃を青年に押し付ける。
自身のザ・クエイクで対抗しようとする青年だが、その能力で空間に逆向きの揺れを発生させた程度では追いつけない程の歪み。
「え?え、あ、ちょっと、か、身体が……ああああああああ!!!ェ……カァ……?」
それは、十秒も経つ前に青年の身体をミンチと化すに不足無く、むしろ過ぎている程の威力であった。
「さようなら。アンタの精神は今、ミンチのように潰された。主を失ったこの夢は、すぐに終わりを迎える。この『リミナル・スペース』は、精神と共に終了する。目覚めよ。私の精神と、崩壊する夢によって」
そして次の瞬間。
瞬きと同時に、浮美は目を覚ました。
眼前には、白目を剥いたまま震えている「ザ・クエイク」の青年。
彼女は青年の腕を引き、崖から蹴り落とし、その場を後にした。
そして、翔太郎が落ちていった崖の下まで回り道をして向かい、二人は合流。
廃校の方へと向かうように、住宅街の散策を再開したのであった。
~定禅寺 神門(ザ・クエイク)、心神喪失により戦闘不能、及び死亡~
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