躍動
環きゅんと麗奈ちゃんと離れ、濁流に流される瓦礫を奇跡的に飛び越えて何とか海沿いの道へと逃げ延びた頃。
ぼくはかつて幾度となく日本を襲った大津波を警戒し、ひとまず高台を目指して歩き出した。
そして廃校には、津波が訪れないであろう高台で改めて最低限の準備を整えた後で向かうことにしようと思っている。
まずは自然から身を守ること。
人間が自然に勝つのは難しい。
そして、ぼくは環きゅんのように幸運パワーで災禍の真っただ中でも奇跡的な生還を果たす……なんてこともできなければ、麗奈ちゃんのように近くの電波を発するものに瞬間移動なんてできない。
ぼくの能力は、相手が「生物である」ことが前提の能力だ。
相手が津波では、共有させるダメージも無ければ、津波に呑まれてしまった状態で周囲五メートル以内に無傷の生き物がいるハズも無い。
「共感性周知」の能力では、何がどう転んでも災害と呼ばれてしまう程の自然現象には勝てないのである。
高台へと移動したぼくは、道中で見かけた地蔵に供えられていた干し肉とカツオのオイル漬けの缶詰、さらにパンと水を、罰当たりだとは思いながらも支給品であると割り切って持っていく。
「助かったぁ……別のところですけど、この戦いが終わったら、どこかのお地蔵さんに何かお供えしなきゃですねぇ」
この島が戦場である以上、同じお地蔵さんに似たようなお供え物をお返しするのは物資の確保に難があるという意味でも人間の痕跡が残るという意味でも難しそうだ。
せめて恩返しではなくとも恩送りのような具合で、どこかしらのお地蔵さんに、ちょっとした食べ物なんかをお供えしておくとしよう。
ぼくは頂いてきた干し肉とパンを食べ、水も少し飲んで久しぶりの食事を済ませる。
缶詰と残りの水は上着の内ポケットに入れて、後で食べるためにとっておくことにした。
ここらで一度、海の様子を見ておく。
津波が訪れるのなら、異常なまでに波が引いたり或いはもう遠くに異常なまでの高波が見えたりするだろう。
しかし……。
海は驚く程にいつも通りだ。
そういえば、あのお地蔵さんもあれだけ揺れたら首くらい取れてしまいそうなものだが……何事も無かったようにお地蔵さんはにこやかな顔で座っていた。
道に沿ってちらほら見られた廃屋も、今思い返してみると、ただ時間経過で廃れただけのようにも見える。
「どういうこと……?」
ぼくは崩れ去った山と港町跡の様子を見比べる。
木は倒れ、地下水は溢れ出し、瓦礫は濁流に呑まれて海へ。
一方、港町跡の廃屋は一戸も倒壊していない。
「……まさか、まさかですよねぇ」
ぼくは定期的に背後を向き、その度に辺りを見回しながら廃校を目指して港町跡を進んで行く。
「やっぱり……何かおかしい」
未だ波の音は緩やか、異常無し。
どこまで進んでも、町はただの朽ちた家々が並ぶだけ。
大地震の度に倒壊が騒がれるブロック塀は、むしろボロ屋よりも状態が良く残っていた。
先へ先へ、廃校は遠い。
早く、二人に会わなければ。
「一人でも平気だったぼくが、こんなにも誰かに会いたいと思うなんて……。極限状態のせいですかねぇ、自分の事なのに、人が変わったみたいですぅ」
尊は、人の心を知らなかった。
両親は尊が生まれて間もなく心中により死亡、運が良いのか悪いのか、同じ家にいたにもかかわらず生き残ってしまった尊は親戚の元に預けられ、そこで邪魔者として、中学を卒業するまで虐待を受けて育つ。
そして独り立ちした尊は、両親を失ったとして奨学金を受け取って学費を賄いつつ、アルバイトに明け暮れて生計を立てていた。
人と関わることを恐れ、話すどころか関わることさえしなかった尊は、身近な人間が一人も行くことが無いであろう、遠方の高校へ進学。
高校では今まで過ごしてきた自分の像を取り払い、明るい男の娘として振舞うことにした。
元より中性的だった容姿を、服装やメイクによってさらに少女のそれへ寄せ、さらに話し声にもミックスボイスを用いることで、尊は違和感無く少女になりきることにしたのだ。
そして、その物珍しさと明るく見える振る舞いで、彼は一躍、校内における時の人となった。
男女問わず友人にも恵まれ、教師達からも素直な生徒として評価されて、傍から見れば順風満帆な学生生活を送っているように見えた尊。
しかし、それでも幼少期に負った心の傷、欠けた精神というものは戻らないようであり。
尊は、人間というものを心の底から信頼できずにいた。
ある日、彼は不意に自殺衝動に駆られ、毒蛇が住んでいると噂の沼へと出かけていった。
蛇を捕まえて自宅へ連れて帰り、発見が遅れるであろう屋内で噛んでもらうためだった。
しかし、見つけた毒蛇を家に連れ帰って噛んでもらうまでは良かったものの、尊の肉体は死の淵にて解毒を完了させ、代わりに蛇が悶え初め、間もなく死んでしまったのである。
これが、彼が自分の能力に気付いた瞬間であった。
この時点では自由に力を操るには至ってこそいなかったが、肉体が反射的に能力を発動して、蛇に自身の肉体を同程度の蝕みを移し、室内を飛び回っていたハエの健康な肉体の状態を自らに移すことで、生き永らえてしまったのだ。
それからというもの、また尊は己を取り繕い続けるだけの日々を過ごしてきた。
どうせ人間なのだ、いつかは裏切る。
自分に味方などいない。
そう、思い込んできた。
しかし、共に死線を乗り越えた二人はどうだ。
環とは軽く言い合いになるような事もあったが、それは決して彼を陥れる意思があってのことでは無かった。
尊には理解できなかったが、それは麗奈を気遣ってのものであったらしいという事は、後に環が麗奈に抱きしめられている様子を見た際に理解した。
「ぼくは今、やっと普通の人間みたいに……皆で群れて社会を作る人間みたいに、ようやく……なれたのかもしれませんねぇ」
涙を拭い、さらに先へと進む。
廃校までは、まだ遠い。
足取りは重くなり、やがて視界は進まなくなる。
地面へと落ちた視界は、世界を横向きに映したまま動かなくなった。
「お、も……い……ふらふら、するぅ……」
視界は大きく揺れはじめ、今、己がどのような状態なのかも掴めなくなる。
「【ザ・クエイク】。……ようやく見つけたよ、生存者ちゃん……?くん……?どっち?」
そこへ現れたるは、黒いスーツに黒いシャツ、黒いネクタイに身を包み、はたまた黒いシルクハットを被った青年。
「君……はぁ……?」
「初めましてになるね。俺の名前は『
「君も……この島に集められた……」
その青年は、丁寧な口調で名を名乗る。
そして、
「その通り……。そして……つい先ほど、あの山に大地震を起こしたのも俺なんだ」
彼は、数時間前にぼくと二人が分断されるきっかけとなる、大地震を起こした張本人であった。
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