ケムトレイル

気が付くと、夜が明けていた。


「……はッ!飛行機は!?」


時間経過によるものか、僕はすっかり痺れが取れた身体を動かして、下りてきた階段を再び上り始める。


「二人は……無事……!?」


走って階段を上り、境内へと辿り着いた僕はすぐさまお社と物置の扉を開いた。


しかし、そこに二人の姿は無かった。


「ブゥゥゥーン……な~んてねぇ」


振り返ると、階段前でラジコン飛行機が浮遊している。


そして、


僕がここに戻ってくるのを待っていたのだろうか。


「君は……。待っていたのかい?僕がここに戻ってくるのを」


「当然だぁよ~。あの森で倒れられても、探すのが面倒だから~。だったら、お仲間さんの無事を確認しに戻ってくるだろう境内ここで待つ方が良いかな~って思ってね~」


「へぇ……」


「心配しなくってもいいよ~。お社と物置に寝てた二人なら、そこの木に縛りつけてあるだけだから~」


てっきり飛行機がこちらへ向かってくるものだろうと考えていた僕は、いつでも手足を突き出せるように構えをとった。


しかし、そんな僕とは対照的に、ラジコン飛行機に乗っている小人は余裕そうに物陰の木を指差す。


そこには、ツタを巻きつけられて縛られた麗奈ちゃんと尊くんの姿があった。


「麗奈ちゃん!尊くん!」


「ウチはね、君達を殺したくて追い詰めてる訳じゃあないんだよ~。そうじゃあなくて……君と二人で、お互いに銃口を向けながら落ち着いて会話できる状況と空間が欲しかっただけなんだよ~」


「つい数日前まで普通に生きてた男子高校生に、それは無理があるよ」


さらに僕は全身を麻痺させられた上に、目の前で二人の仲間が縛りつけられているのだ。


それに対して、ラジコン飛行機が何かをしでかそうと飛び立ってしまった際には、僕の拳も足も届くことは無いと思われる。


彼女は「平等に脅し合える状況」であると言うが、実のところ、僕は仲間を人質にとられて一方的に脅されているだけなのだ。


こちらが仮に拳銃を構えているというのなら、向こうは1キロメートル先から狙撃銃で僕の脳幹に狙いを定めているというべきだろう。


「大丈夫だよ~。君がウチの言う事を聞いてくれるなら、二人には手を出さないから~」


「……とりあえず、何が目的なのかを聞かせてくれるかな」


「ウチね、最初こそ君達を殺して頭数を減らすつもりだったんだ~。でも一度、君にボコボコに殴られて……寝てたけど仲間も多いみたいだったし、4人で協力すれば、もっと安全に生き残れると思ったんだよね~」


何ということか。


この期に及んで、僕達と協力しようというのか。


妨害者ではないという確証を与えることもせずに。


「……それで?」


「だから君には……この島をうろついているトカゲ人間を殺してきて欲しいんだよね~。そして無事、あのトカゲ人間の首をこの神社に持って来れたら……二人を解放してあげるよ~。……なんなら、私が仲間になってあげてもいいよ~」


内容次第では素直に脅されたままでも良かったとは思っていたが……よりによってトカゲ人間とは。


「ええー……」


「どうかな~?言っておくけど~、君に選択権は無いと思った方が良いよ~?」


麗奈ちゃんと尊くんを指差しながら耳元で囁かれたこのセリフで、僕の堪忍袋の緒は切れた。


「あのトカゲ人間は、僕も何とかしなきゃいけないとは思ってる。けど……。君とは組めないや」


「もう一度言うよ~。ウチはいつでも、替えのバレルに詰めた粉を君に浴びせることができる。君は今、拳銃を突きつけられているって事なんだよ~。……それでも、ウチのお願いは聞いてくれない~?」


飛行機が僅かに近づいてくる。


両翼に再び取りつけられたバレルが、こちらへ発射されようと構えられた。


「……嫌だねッ!運よ、僕についてこいッ!!【コイントス】!」


「交渉決裂、かぁ~」


僕はコインを弾き、キャッチする。


「表ッ!」


結果は表。


未だ、運はこちらへ傾いている。


「【ケムトレイル】!痺れ粉の嵐に、君をご招待するよ~!!」


バレルは空中で破壊され、機体の正面に取り付けられていたプロペラから吹く風に乗って大量の粉がこちらへと飛来する。


もはやその粉は深い霧と化し、飛行機の全体像を掴むことさえままならない。


しかし、その粉を僕が吸い込むことは無かった。


「風……!!」


僕の背後から、山の斜面を駆け上ってきたかのような突風が吹きつける。


「な、なに……?」


「僕は今……確かにツイている。この運を見極めるしかできない力を、殺し合いの時に使う方法が、ようやく理解できてきたよ」


粉はラジコン飛行機のプロペラが起こすよりも強い風に吹かれ、僕とは逆……すなわち、飛行機の方へと戻っていった。


「あ、あ、あ……!?」


「運がツイている、ということは、それだけで周りにある全てを利用できる可能性が増えるということ……。そして……今の僕は、どうやら山特有の強い風を利用する権利を与えてもらっているということらしい」


ラジコン飛行機へと迫る、痺れる粉の霧。


巻き込まれる前に急いで後退しようとしたが、飛行機はそこまで急に向きを変えることはできない。


そして弧を描いて向きを変えるにも、飛来する粉は、小人に前進する隙を与えなかった。


「あああああああああああああああああッ!!?粉が……!あっち行け、あっち行けぇぇぇぇぇぇ~~~!?」


「運がツイているということは、環境そのものが自分をバックアップしてくれる状態ってこと。自分の運がどうなっているか分かる能力の強いところは、環境を利用できるか、それとも環境が自分の邪魔をしてくるかを理解できるところなんだよ。……土砂降りの雨と湿気にやられた火薬が役に立たないように、いくら耐震性がある建物を建てたところで、地震の揺れそのものを止めることはできないように……環境は、僕達に影響を与えずにはいられないんだ」


「ゲホッ、ゲホッ!ガハッ、そん、な、ウチが、何で……!ちゃんと勢いもつけて散布したのに……!?がぁぁ……」


「それを超える勢いの風には負けるってことだね。そして……この」


「うあ、あ、あああああ……!」


そしてエンジンの中に粉が入ってしまったのか、ラジコン飛行機はみるみる高度を落とし、粉まみれの草むらに落下。


そのまま飛行機は爆散し、中に入っていた小人だったものは瞬く間に普通の人間サイズの少女となり、全身が見るからに麻痺した状態で現れた。


「君、小人じゃあなかったんだね。自分の能力で作った飛行機に乗ってる時だけ小さくなれる……って感じかな?」


「だ、だから、どうしたっていう、の、かな?」


「……今、君は痺れる粉を大量に吸い込んじゃったからまともには動けないよね」


「そ、そう、だよ……い、まの、ウチは、何も、できない……」


「君が一方的に突きつけていた拳銃は降ろされて……僕を殺す気だった君は、もはや動けないと」


「だったら、何……?」


「じゃあ、今度は僕のターンって事だね。まずは、麗奈ちゃんと尊くんの拘束を解いて……っと」


僕は、麗奈ちゃんと尊くんを木に縛りつけていたロープを取り外し、それを飛行機の少女の全身に巻きつけた。


「……な、何、する、気……?」


「よいしょっと。うんしょ、うんしょ」


ロープの先端を持って少女を引きずり回し、境内の端まで移動する。


「そ、そんな、嫌だ、助けて、許して……!」


「じゃ、さよなら。そろそろ、僕も目の前で相手の命を奪う覚悟を決めることにするよ」


「あ、あああああああああああ!!!」


そして、麗奈ちゃんが敵を突き落としたところと同じ場所で、僕は小人だった女の子を崖から蹴り飛ばした。


肉が、骨が、砕け散る音がする。


叫びながら落ちていくあの顔が、不覚の脳裏へと刻み込まれたような気がした。


これで、僕も麗奈ちゃんと同じ……「人殺し」、という訳だ。


さらに僕は麗奈ちゃんとは違って、明確に相手を殺すという意思のもと、この少女を崖から突き落とした。


麗奈ちゃんとは違って、僕は「自分の意志で人を殺した」のだ。


これで、麗奈ちゃん以上の罪人がここに誕生した訳である。


ホンモノの人殺しになってしまった僕を、果たして二人は受け入れてくれるだろうか。


受け入れてはくれる、と思いたいところだが……仮にそうでなかったとしても、僕は少なくとも麗奈ちゃんが死なないようには動くつもりだ。


唯一の友人を失うというのは、僕にとってあまりにも怖すぎることなのである。


的場まとば 桃菜ももな(ケムトレイル)、ショックにより死亡~

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