第5話

武藤条太郎が坂上村の自宅に帰ると、みどりは帰って来ていなかった。外は暗くなり始めている。みどりは十歳の少女だが、祖父である条太郎は心配していない。だが、今日は、なぜか気になるのである。

 

 その頃、

 みどりはまだ上田城にいた。二の丸橋下のケヤキ並木遊歩道に木刀を持ち、ある男と対峙していた。その男の手には真剣があった。

 時は・・・午後八時を過ぎている。すでに空には昼間の明るみが消えている。白い月は上空に輝いていて、美しい。しかし、その月を見て観賞に浸っているわけではない。

「小娘・・・それで俺に勝てるか?」

みどりは返事をしない。真理には、

「私、ちょっと用事があるから・・・」

と言って、先に帰した。その時には、この男と対峙はしていなくて、みどりは真理がいるのは危険だと判断したのである。

一度、みどりはその男を見失っている。だが、その男は必ずここ上田の城に戻って来るというみどりの予想があった。今はもう上田城には、人・・・観光客はいない。誰かがいても、二の丸橋の下のケヤキ並木遊歩道を覗き込む者はいない。

そして、その男はみどりが予想したように、ここに戻って来たのである。

今対峙しているこの男は、みどりがただ者でないのを感じ取っていた。

(尋常でない殺気・・・)

をみどりもこの男も感じ取っていた。

「いくぞ!」

男が動いた。動きが素早い。徐々にというより、一気にみどりに迫って来た。

その瞬間、みどりは小さな体を引き、身構えた。

「その木刀で、この俺の剣を防げるのか・・・」

その通りである。みどりとて、そんなことは充分感じ取っていた。みどりは、

「無理・・・だ」

と、一瞬細い体を震わせた。怯えではない。だが、この木刀は庭にあった樹齢三百年の桜の木で、祖父条太郎がみどりのために、端正に作ってくれた木刀であった。

すれ違うその瞬間、

「ガキツ!」

鋭い音が午後八時過ぎの闇に響いた。祖父の木刀は真剣を撥ねつけた。

「じいちゃん・・・負けない」

みどりは心で叫んだ。

「このままでは・・・負ける」

みどりは振り返り、左の足を引き、左八双に構えた。

その構えを見て、男の動きが止まった。

「辻斬りは・・・あなたなのね」

みとりの心は意外と乱れていなかった。それは、男にも言えた。

「なぜ・・・」

と、みどりは問うた。

「ふん、つまらぬ世だからだ」

「つまらない世の中・・・私も、じいちゃんから聞いているけど、でも今はそんな時代じゃないのよ」

「小娘が何を言う・・・うるさい」

「それにしても、なぜ、具足を付着している?」

「俺の家系のしきたりだ。人を斬る時には、こうするに限る。ふん、今も昔も同じだ・・・」

じりじりと男はみとりとの歩幅を狭めて来ていた。みどりも前に進み出ていた。

男はみどりの陽の構えに眼を見張っていた。

「変わった構えだな。普通は右の足を引くが、お前は左の足を引き、大きく半身を切っているが・・・」

「私の家系に伝わる剣法だ」

「そうか・・・」

男はそれ以上深く問い詰めなかった。

みどりはすっかり闇に覆われている空を見上げた。月は美しく輝いていた。

「気を散らすな。一瞬の隙が命取りになるぞ」

男の警告だった。

「いくぞ。死ね・・・」

男はみどりに突進してきた。

みどりは半身を切り、木刀を背に隠した。

そして、闇の中を輝く月に向かって、みどりの姿が夜空に飛び、消えた。

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