第37話 私の宝物

「あ、梓澤さん……」

 まさか後にでも声をかけようとしていた彼女の方からこっちに来るとは……しかもこの態度、多分まだまだ美結に対して嫌がらせする気満々、みたいだ。

 そして美結の方はというとすっかり萎縮してしまっている。多少は昨日より前向きになったとはいえ、それでも彼女の中に根付いた恐怖は拭うのは難しい。

「どうしたのさ、さっきからずっとだんまりだけど?」

 それに対して梓澤さんの方はむしろ勢いづく。自分が優位に立っていると思っているからこそここまで強気に出られるんだろう……

 けどここで引いたらきっと美結はその恐怖を克服できずに終わるだろう。こんな時こそ、僕が手助けしてあげないと……

 何か、何かできることは……そうだ!

 もしかしたらこれをすれば美結を落ち着かせるかもしれない。

「美結……」

 僕はそっと開いている手の方を美結の右手に寄せて梓澤さんには見えないように手を優しく握った。

「え……? 中村、くん?」

「大丈夫。美結。落ち着いて。彼女に一言言い返して一矢報いるんでしょ?」

「うん……うん! ありがとう。中村君!」

  その言葉を聞いて少し安心できた。あそこまで萎縮しているといつもの美結に戻ってくれるかは不安だったけど……それに、美結が言い返してくれると僕としても見ていてスカッとするものがあると思う。僕が言ってもあまり意味はないだろうし、こういうのはされた側が言うのが効果的だと思える。

 後は美結が勇気を出せるかどうかだけど……



 梓澤さん……今の私がこうやって卑屈になることになった一つの理由にもなった人。だけどそれは昔の話。今でも少しだけ恐怖に近い感情を抱くことはあるけれど、中村君がいてくれるからかな……むしろ勇気が湧いてくる。

 あの時自分に誓った想い『中村君みたいになりたい』というただ切なる願望。これは憧れのような気持ちから出てきたのか、それとも別の気持ちか……それはまだ私には分からない事だ。

 だからこそこの想いに、願いに応える為に私は今、ここで、梓澤さんに立ち向かわなくちゃいけないんだ。

 そして言い切った後にも昔の自分に行ってあげたいな……従う理由なんて一つもなかったんだよって。

「梓澤さん」

「な、何?」

「もう、私には二度と関わらないでください。これで最後にしましょう」

「はぁ……何それ? まるで私があんたにずっと長い間、嫌がらせしてきたみたいじゃん」

「『みたい』じゃなくて事実だからそう言ってるんです。梓澤さん」

 最初こそこうやって誰かと口論になること自体、私はずっと避けてきた。だって相手との関係が今後も続くと思うと、あまり対立しないように動くのが利口かつ、妥当な考え方だと思って生きてきた。

 だけど今、目の前にいる梓澤さんは別問題。彼女に対しては私に言い返して一矢報いる権利があるはず。だからこそここまで来たら後は勢いのままに強い語気と共に言葉を吐き出すだけ。

「……というか何さ急に。さっきまで惨めにビビッてたくせに。本当にそ言う生意気なところ、ムカつく……」

 やや今の私はうっぷんを晴らすの目的に含めているので少し鼓動も早まり、少し興奮気味みたいだ。対して梓澤さんの方はというと。

 最初の余裕さは無くなり、その鋭い視線から敵意がよく伝わってくるほどに今の梓澤さんには怒りの感情以外は何も感じない。

「ふぅ……」

 そしてもうここまで言えたら十分言い返せたし。満足ではある。だけど最後にもう一言だけ伝え、この口論(ただの一方的な物言い)に決着をつけたい。

「梓澤さん。もう二度と私の前に現れないでください!」

「……っ! くそっ!」

 その言葉を聞いた梓澤さんはすぐに顔を隠し、どこかに走り去っていった。一瞬、手で隠した隙間からは悔しそうに歯を食いしばっていた彼女の顔が見えていた。



「あ、あぁ……」

 彼女が見えなくなった途端、急に足から筋力がしぼんだタイヤの様に無くなっていき、そのまま床に足から座り込んでしまった。

「ちょ、美結。大丈夫!?」

「う、うん。平気だよ。ちょっとだけ足が疲れちゃったみたい。あはは……」

 勇気を絞り出して声を大にして言ったとはいえ思ったより心的疲労は大きかったみたいだった。それこそ、何かにびっくりして腰が抜けてしまったのと同じように。

「取り合えず座って落ち着こう」

「うん……」

 中村君に促されるように私はさっきまで絶品焼きそばを食べていたベンチに戻った。

「ふぅ……中村君」

「ん? どうしたの?」

「私。勇気出したよ。一言、言い返して一矢報いってやったよ……」

「うん。後ろから、見てたよ。すっごくかっこよかったよ」

 その時の中村君の笑顔が今まで見てきた中でひと際特別に見えてう。

 どうしよう……ドキドキがさっきより早くなってる……きっとさっきの余韻でまだ少しだけ興奮気味の気持ちが止まないだけ。きっとそう……なんだ。そうに決まってる。



「すぅ……すぅ……」

 さっきまで梓澤さんに正面から向き合って疲れたのか焼きそばを食べ終わり、少し他愛ない話をしている内に美結は静かな寝息と共に目を閉じていた。

 とりあえず佐藤達には僕たちの現在位置を伝え、こっちに来てもらうことにした。

 二人への連絡を済ませ、スマホをしまって隣でスヤスヤと眠っている美結に視線を戻す。

「今まで気づかなかったけど美結ってけっこう感情豊かだよな……」

 さっきの食べる時も美味しそうに笑顔を浮かべて食べてもいたし、今だって気持ちよさそうに眠っている。それこそずっと見ていたいと思えるぐらい。

「ちょっと眠くなってきたかな……佐藤達が来るまでまだ時間あるしどうしよう」

 午後からは佐藤達も加わった四人で学校中を見て回る予定だ。後で眠気がピークを迎えてしまうよりは……

 それに美結を放置してどこかに行くわけにも行かないし……いや、行く所もないけど。

「それならいっそ寝ようかな……後で来てもらう二人にでも起こしてもらえばいいし……」

 そうして後から来る二人に起こしてもらう。という結論でまとまったので普段の寝不足な体を癒すために僕もベンチの背もたれにもたれかかり眠ることに。


「まったく……なんでこっちに来てって言われたんだろうね。ね~佐藤君」

「さぁ。単に動くのが疲れたとかじゃないのか?」

「えぇ~そうかな? もしかしたらあの二人いい感じの雰囲気になってるかもよ?」

「だから動けない……と?」

「その通り! あ、あそこを右だね―って、えぇ……」

 本来なら別の場所で待ち合わせして、合流した後に四人で回るはずだったけど……

「寝てる……美結はまだ分かるけど、中村君まで……」

 すっかり待ちくたびれたのか、それともメッセージを送った後に寝たのか、二人は仲良さげに互いの肩を寄せ合う形でぐっすり眠っていた。

「どうする? 佐藤君」

「どうするって……まぁ起きるまで待つとか? 二時になったらさすがに起こすけど」

「それもそっか。起こすのはなんか野暮って感じだしね。あ、そうだ」

 普段から仲良しな二人の寝顔のツーショット、撮らずにはいられない! 

 そうしてポケットからスマホを取り出し、軽く五枚くらい撮影しておいた。これは私にとって宝物も同然!

「ふふっ! あとでこっそり美結か中村君のどっちかに渡しておこうかな~はっ! いや、ここはあえて二人とも渡しておくのもありなんじゃ!?」

 この手の事はいくら考えても飽きない。ましてやこの二人となると……ね

 

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