第17話 中間試験「俺を忘れてないよな?」

 九月十日。

 僕は行きつけの喫茶店にとある用事で訪れていた。

「こんにちわ。斉藤さん」

「おっ……来たね。中村君」

 小さなコップを磨きながら斉藤さんはこちらを向いて言う。

 普段は放課後というのもあって何人かの学生はいたりはするものの今日に限っては僕と店長の斉藤さんの二人だけ。

「さて……ここに来たということはここで働く気…ということだね?」

「はい。前々から働いて見たいとは思っていました」

「うんうん。その意気込みや良し! それじゃあさっそく面接と行こうか……」

 それまでは親しげに接してくれていた斉藤さんの表情にシワが寄っていき、貫禄が増す。

「それで、面接内容というのは……?」

 今日は本来、ここで働きたいという意志表示を見せようと来ただけだったので、内心少しだけ心臓の鼓動が早くなってきていた。


「面接内容……それは……!」

 何を言い出すのかと思えば珍妙な顔出しをしながらカウンター腰に一杯の飲み物が出される。

「どうぞ……」

 斉藤さんに促され、ゆっくりとカップと下のトレイに手を伸ばして引き上げる。

 色は黒よりの茶色、少しだけ鼻をくすぐるような酸味の効いた苦味を思わせる香り。

 そう。この店自慢の珈琲だ。

「この珈琲は一体?」

「面接内容は至ってシンプル。その珈琲を飲み、具体的な感想でこの私に『美味しそう!』と思わせれば君を雇おう」

「なるほど。つまるところ、この店自慢の珈琲の食レポということですね」

「そういうこと。ではさっそく始めようか」

「はい。」

 かくして僕の喫茶店バイトデビューを掛けた一風変わった面接が始まった。


 珈琲の食レポと言われても僕自身、食レポの経験はほとんどない。あったとしても幼い頃に両親から味を聞かれた時ぐらいだ。

 とはいえ珈琲か……。ぶっちゃけ珈琲は人生で一度も飲んだことはない。

 何度かこの店で食べていた時もカフェオレとスイーツを一品食べるぐらいだ。

 なので実質人生初珈琲だ。確かチラっと見たことのある口コミでもこのお店の珈琲は絶妙な苦さを売りにしている。

「では……いただきます」

「はい。どうぞ」

 根拠はないけれどなんとなく味わって飲めそうな気がした。一度も飲んだことがないからそう思えるのかもしれない。

 さっそくカップを口に近づけて飲む前に香りを確認する。香りとしては確かに苦味っぽいものは感じるがそれほどではないと思えた。

 そして一口飲んでみる。


「ん……これは!」

 まず最小こそその苦味に戸惑いが隠せなかった。けれど次第にその味の深みがわかってくる。

 苦味こそあれどその後に来るこの味覚は……ほんのちょっぴりの甘味? 

 続けてもう一口。

 うん……やっぱりだ。ミルクを気持ち多めに入れて溶かしたような甘味を感じる。

「どうかな……?」

 斉藤さんから期待の眼差しを向けながら聞いてくる。これはいい感じに答えないと採用は難しいだろう……

「えっと…まずミルクか砂糖を気持ち多めに入れてるみたいで初めて珈琲飲んだ僕にとってちょうどいい味でした」

 それこそカフェラテと遜色ないぐらいの甘さだったので、珈琲初心者はここのお店の珈琲はオススメだと言える。

「ふむふむ。それで、他にはあるかな?」

「え、他には……」

 実際にさっきの一言でほぼ頭の中に浮かぶ感想は出尽くした。

「あとは……この珈琲、何か独自の工夫とかありますか? なんだがミルクと砂糖以外にも何か入れてるよう気がして……」

「おっ、舌が肥えてるのかな? その通り。チョコを一欠片だけ入れてるよ」

「やっぱり……この甘さがなんていうかお客さんに気持ちよく飲んでもらいたい気持ちが伝わってきます!」

「ほ〜なるほどね……」

 僕が言った感想に強く納得した様子で頷く。

「はい。面接試験終了〜」

 そこで斉藤さんから面接終了を言い渡される。

「ど、どうですか?」


「うん……文句なしだね。しっかり味の分析をした上で的確な味の感想を言ってくれたし、何より隠し味のチョコにも気づくとは…」

「確かに、何か独自の工夫があるのはわかったんですけど流石にチョコを入れてるのは驚きました」

「とはいえ結構食レポ上手かったね。慣れてるの?」

「いえ。本格的に食レポをするのは今日が初めてですよ。ましてや珈琲も初めて飲みましたし」

 残りの珈琲を最後まで、僕はカウンターにトレイごと置いてそう言う。

「ごちそうさまでした。それで……どうですか?」

 僕としては珈琲を飲むのも食レポをするのも、初めてにしては上手く出来たと思っている。

「うん。合格だよ。これぐらいうちの味の良さに気づいてくれるなら雇いたいぐらいだよ」

 斉藤さんなはとても気分が良さそうに嬉しそうに笑い合格を言い渡してくれた。

「やった……! ありがとうございます!」

「とりあえず働く日のシフトとか必要な書類はまた後日ということで……もう一杯飲むかな?」

「良いんですか? ぜひ」

 それからもう一度斉藤さんかの珈琲をじっくり味わって僕はそのまま帰ることにした。

 そういえば……バイトのこと母さんに一度も話してなかったや。家に帰ったら話しておかないと。



「ということで……バイトしていいかの許可をほしいんですが……」

 許可云々をもらうのは流石に遅い気はしていた。なにせ今日既に面接も終わり、おまけに合格をもらったので許可されないと流石に困る……。

「バイト……? また急ね」

 母さんは洗い物を片付けながら困り顔でそう言った。

「うん。ごめん。言うの今になって。最近文化祭の事とか色々あって」

「そう……良いわよ。バイト」

「え。いいの?」

 流石に何か一言口うるさく言われると思っていたのでこの反応は少し意外だった。

「ええ。一応勉強の成績は悪くないし、バイトを始めても問題ないでしょ」

「ありがとう……母さん」

「とはいえ、勉強は今後もちゃんとやること! 中間試験も控えてるだろうし」

「う、うん。わかったよ……」

 どうして試験が近づくと周囲の大人たちは口うるさくなりだすんだろうか。

 とはいえ頑張らないと文化祭の時、みんなに迷惑をかけるかもしれないので勉強はちゃんとしよう。

「ありがとう。母さん。バイトで必要な書類の事はまた今度話すよ」

「はいはい。わかったわよ」

 話も一区切りついたところで僕は自分の制服を置きに自室へ戻った。



「ん……? スマホが鳴ってる」

 自室へ戻ると机に置いていたスマホから着信音が鳴っていた。

「誰からだろう……」

 僕はベッドに寝そべりながらスマホを確認する。

 画面には史野森からのメッセージの通知が表示されている。

『中村君って英語って得意だったりするかな? もし得意なら英語教えてほしくて……』

「英語か……まぁそれなりに得意ではあるけど」

 得意とは言っても人に教えたりするのは難しいかもしれない。テストだって取れても57点だし。

 それは別でこうして頼られている今、その期待に応えないわけにはいかない。

『まぁ、それなりに得意だよ。中学試験のこと?』

 メッセージを送るとすぐに既読がついた。

『うん……今のままだと多分文化祭の時にみんなに迷惑かけちゃうかもだから、せめて赤点は回避したくて』

「史野森さんも同じようなこと考えてたんだ……」

 こういうところで似たものを感じるとふっ、と不意に笑みが溢れる。

『わかった。じゃあ明日、学校いるときにでも教えるよ』

『ありがとう。中村君。このお礼はいつかするね』

 そこで会話は途切れる。別にお礼なんて考えなくてもいいのに……


 みんな中間試験のこともちゃんと考えているんだな……。

「……よしっ。僕もちょっとだけ勉強しよっと」

 そう言って僕は机に向かい上に散乱しているプリント類から夏休みの課題が載っている問題を解き始めた。


* *

 九月十一日。

 昨日、史野森さんから英語を教えてほしいと頼まれ、僕は朝早くに教室の鍵を貰って開けていた。 

「まぁ、流石に誰もいないか……」

 教室の時計はまだ八時になったばかり。とはいえ八時ぐらいを目処に教室に来るよう決めていたので恐らくそろそろ……。

「ごめんなさい。遅れて……」

 噂をすれば史野森さんが息を切らしながらこっちに駆け寄る。

「ううん。大丈夫だよ。丁度さっき教室を開けたばかりだったから」

 そうして教室に入るとまず結構蒸し暑い空気がお出迎え。

「暑っ……! 窓開けよう……」

 窓側に取りつけられた窓を四つとも前回にして風通りを良くすればやっと、過ごしやすい環境になった。


「それで英語の分からないところっていうのは?」

「う、うん。ちょっと待ってね」

 そしてバッグから毎度使ってるであろうノートを取り出すとあるページを開く。

「ここ何だけど……」

 彼女が指さしながら見せたページは英単語がびっしりと何回も書かれていた。単語の暗記かな?

「この単語が何度書いても覚えられなくて……」

「あ〜これね。ここはね……」

 その後も何度か単語に関する質問をされながらも僕も勉強にいそしむ。

 それからも朝礼が始まる手前、何人か他の生徒が集まるまで僕らは時間を忘れて勉強に取り組んだ。





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