第5話 クレヨン×コーデ



 ――今日こそ、言わなくちゃ。


 そう思うのに、漫然と時が過ぎる。日原君が一方的に、勉強のこと、学校のこと。自分の好きな小説のことを話す。それをボクはただ聞くだけ。それだけなのに、彼は本当に嬉しそうで。


 勉強といわれても、ボクは実験室の研究者だ。むしろ目立たないように、成績をコントロールする。中の上。それぐらいを維持しておけば、悪目立ちはしない。


「一緒に勉強して思ったけど、水原さんって、頭が良いよね。上位に食い込んでも、おかしくないってくらいに」

「ん。ちょっと……本番にボクは弱いんだ……」


 実際、日原君に本心を伝えることには、全敗中だった。


「学校のみんなが騒いでいることにも、冷静というか。クールだし」

「それが、ボクだから。そういう子が好みなら、そっちに行ったら良いと思うよ。別にボクは咎めたりしないし」


 これは好機と、心の中でガッツポーズをとる。


「まさか。そういう水原さんが、やっぱり格好良いなって思ったの」

「女子に格好良いって。まぁ、良いけど――」

「もちろん、可愛いって思っているよ」


 日原君は慣れたら、ストレートに言ってくると知ったのは、つい最近のこと。

 そんな言葉に免疫のないボクは、体の芯まで熱い。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。こんなことで気が動転していては、実験室の研究者が務まらない――。


【心拍数の上昇を確認。体調面に異常はありません。胸がドッキドッキ?】


(うるさいよ、あーや!)

 思わず、心の声が喉元から、出かかった瞬間だった。


「あのね、水原さん――」


 日原君の距離が近い。

 ボクは思わず、次の言葉を紡げない。

 そんな彼の熱のこもった視線から、ボクは目が離せないでいたんだ。





■■■




「それで、デートの約束を取り付けてきたワケですね?」


 竹刀と竹刀が応酬する。防具に身を包み、この道場で対戦をしてくれているのは、良い大人――遺伝子研究監視型サンプル【弁護なき裁判団】のNo.Kだった。


「デートじゃなくて、遊びにいくだけ! クラスメートだもん。よくある話だよ! そこらへん、勝手な正確な情報で、話して欲しいよ! 川藤さん?」

「その割には、剣筋が今日はブレブレですよ、トレー?」


 川藤さんは、静かな太刀捌きだが、静かに敵を追い詰める存在感がある。一方の――。


「おいっ! クソガキ!」


 もう一人の監視型サンプルは、No.E。遠藤さんだった。対峙するのは、爽君とひなたちゃんだった。遠藤さんは、子ども相手にも容赦なく、竹刀を振り回す。


「特化型サンプルがどうした! こっちは芸歴が長いんだからな! 県警捜査一課を舐めるな!」


 むしろ警察が、五歳児に大人げない。それにしても、芸歴ってなんなの? せめて経験と言って欲しい。


 横目で、ちらりとそんな三人を伺った。


 爽君は微動だにしない。動いたのは――駆けたのは、ひなたちゃんで。そのステップが、加速する。支援型スキル、加速アクセルを確認した。良い、連携だ。爽君とひなたちゃんのリンクシステムは、安定稼働している。


【リンク率、62%】


 あーやは、本当に欲しい情報を、無駄なく提供してくれる。

 僕は、爽君とひなちゃんを改めて見やる。まだ、研究の余地があるが、十分に実戦レベルでの投入に耐えうる。でも、支援型サンプルとはいえ、県警に身を置く遠藤さん。型番は旧式だが、容易く勝たせてはくれる相手じゃない。どうする、ひなたちゃん?

 と、焦げ臭い匂いが鼻についた。


「お、おま、お前! ちょっと、それは卑怯だろ?!」


 遠藤さんの狼狽する声が響いた。

 この一瞬で、遠藤さんの竹刀が燃え上がって――そして、灰になる。火の粉が舞う。その火種が重ねって。空気を貪るように、火がとに回って。紅の刀を、模っていく。

 気付けば、無数のほむらが。刀を形どって、その数――。


発火能力パイロキネシスの稼働を確認。32本の具現化を計測しました。あわせて、デバッガーによる能力管理スキルマネジメントを確認。暴走は見られていません】


 あーやの報告に、ボクはほっと胸を撫で下ろす。


「ひ、卑怯だろ!」


 遠藤さんはぼやくが、監視型サンプルの能力を活用して、ひなたちゃんの動きを牽制していたのだから、人のことは言えない。


「トレー。余所見をするとは、余裕ですね?」


 にっこり、もう一人の監視型サンプル。弁護なき裁判団、No.K――川藤さんの綺麗な袈裟切りが、ボクの小手を小気味よく打ったのだった。






■■■





「だいたい、水くさいんだって」


 道場の真ん中で、遠藤さんと川藤さんが、防具を脱ぐ。ようやく、汗臭い匂いから解放された。でも、それが良いと思ってしまう。


 所詮はスポーツ剣道である。生死の奪い合いはない。でも、こうやって竹刀とはいえ、刃を突きつけ合ったら。そして、痛みを感じたら。ギリギリのところで、打ち合ったら。


 自分はまだ、生きている。そんな自己肯定を得る。所詮、高校生であることも。友達として過ごすことも、全部ボクにとって偽物でしかない。


 いつかは、全部、実験室の研究者に戻る。


 でも、こうやって竹刀を突きつけていたら、自分はまだ「ニンゲン」であると、自覚できる。

 汗がつーと、頬を伝わった。


「……水くさい?」


 ボクは目をぱちくりさせる。川藤さんに打たれた、右手が少し“じんじん”する。


「トレーは、全部、自分が抱えるクセがありますよね」


 川藤さんの言葉に、ボクは目をパチクリさせる。何を言って――僕は研究者で――だから、自分の行動には責任がある。


日原君の誘いに浮かれながら。でも、実験室から提示された課題に頭痛を憶えたのは事実だった。


「面倒くさいことは、もっと俺らに頼れよ」


 遠藤さんが息をつく。頼るも何も、ボクはサンプルを行使している。遠藤さんや川藤さんの言っている意味がわから、な――。


「室長からの依頼、僕らにも【命令コード】をくださいよ、ってことです」

「……へ? い、いや、何を言って! そんなことは――」


 監視型サンプルの管理権は、実験室室長に移管した。情報統制、研究監視、動向調査が随時可能なサンプル集団である。一人一人の力は、戦闘型サンプルには劣るが、情報は時にどんな武力にも勝る。室長に権限が委譲されたということは、それだけサンプルを評価された、ということでもある。


 ただ、ボクとしては、自分の子どもを売り渡した。そんな、感情が先に立って、監視型サンプルへの【命令コード】発令に踏み切れなかったのが、本音。


 管理権限は水原茜トレーにも残されている。

 頭のなかで、それは分かっているけれど――。


「私達のなかでは、最高管理者はトレーですからね?」


 川藤さんにそう言われたら、これ以上抱え込むのがバカらしくなってくる。なるようにしかならない。そして、確かに体裁を気にしている場合でもない。


 無節操なサンプル収集は、いたずらに廃材スクラップチップスを増やすだけだ。実験室が世間の明るみに出るのはどうでも良い――とまで思って躊躇する。


 ――もちろん、可愛いって思っているよ。

 どうしてここで、日原君の笑顔がチラつくんだろう。


 ボクはかぶりを振る。

 思考を巡らす。


 監視型サンプルを使えば、より情報収集は早い。

 あとは、ボクが「ENTER」と命令コードを発信する。ただ、それだけで――。


「トレー、【デバッガー】にお礼を言っておけよ」


 思いがけない遠藤さんの言葉に、ボクは目を丸くして。それから、爽君を見る。これでもかと言うくらいに、満面の笑顔を浮かべていた。


「爽君……?」

「茜ちゃんって研究バカだから、さ。たまには、こういうことがあっても良いよね、って話していたんだよ」

「あーや?」


 あーやまで、満面の笑み。川藤さん、遠藤さんまで、微笑んでいるのが怖すぎる。見れば、普段笑顔を見せないひなたちゃんが、ほんの少しだけ唇の端を綻ばせていた。


「な、何を企んで……」

「日曜日のデート。まさか、制服か白衣で行くとか言わないよね?」


「だ、だって。それぐらいしか着るものはないし――」

「却下」


「えー? 別にただ友達と出かけるだけだよ? 別にいいじゃん!」

「そんなことだと思った。【監視型サンプル】と【デバッガー】そして、私が総力をあげて、茜ちゃんをコーデするから。だから任せてね?」


 怖い、怖い。あーやの笑顔が怖い!

 君らのデータベースって。何百通りじゃきかないでしょ、そのサンプルデータ! まさ、か……それ、全部、試すの?


「モノは全部、ダウンロードしているから大丈夫だよ、姉さん」


 爽君が、ニッコリ笑う。その隣でガッツポーズを決めるかのように、ひなちゃんが手にしていたのは口紅――じゃなくて、クレヨン……?







(クレヨン?!)




 流石、保育園児――と、感心している場合じゃなかった。これじゃ、ていの良いラクガオである。コーデもクソもなかった。


「作戦の実行を確認します」

 爽君が、優しく微笑む。だけれど、誰が了承するものか――。



「「「「ENTERエンター」」」」


「研究者じゃないキミ達が、了承するんじゃない!」

「姉さん、ごめんね。【束縛バインド】――」

「こ、こんなことで支援型スキルを使うのは……」


 口惜しいかな。ボクの意識は、ここで途絶えたのだった。






 ――水原さん! 今度の日曜日、僕とデートをしてくださいっ!



 日原君の真剣な声。今になって、ボクの鼓膜を震わせたんだった。




 

 

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