第3話 実験室 室長


 ラボの下層。曲がりくねって、入り組んだ、真っ白い回廊のその奥。

 ボクは迷いなく、道を選んでいく。この間も、廊下がガタンガタンと唸りをあげる。


 ご丁寧にも、時間で、正解ルートが変わっていくのだ。


 正解ルートは、320通り。当然ハズレフラグを立てたら、人生がBANバン

 それだけ、ここには実験室の機密情報が集積されているのだ。


 でも、ボクには爽君とあーやがいる。

 時間で換算すれば、今この時間の正解ルートを算出することは、容易い。


 いくつものセキュリティーをくぐりぬけて。指紋認証、網膜認証、声帯認証、DNA走査を潜り抜けたあと、身分証明証をカードリーダーに走らせる、その前に――ドアが開いた。



「だったら、最初から開けて待っていなよ」

 呆れながらも、ボクは歩みを進めた。




■■■




「待っていたよ?」

 ニッコリ、白衣に身を包んだ優男が微笑む。この瞬間、ヒリヒリとした緊張感が生まれた。


(まったく――)

 小さく息をつく。


 微塵も気が緩められない、この緊迫感。温和な笑顔の陰で、はらむ殺気。実験室の室長【フラスコ】はこうやって、いつも「試し」を行うのだ。


 ――くだらない。

 威圧で返せば、さも嬉しそうに【フラスコ】は満面の笑みを溢した。



 コポコポと巡らされたガラス管から、桃色の薬液が煮沸される。フラスコは、ガラスビーカーに注ぎ、その薬液を飲み干す。酸っぱい匂いが、部屋中にたちこめた。


「トレー。君も飲むかい?」

「水分補給なら【デバッガー】が淹れてくれた紅茶を飲むから良い」

「君の爽君か」

「気安い」


 ボクは持っていたボールペーンで、フラスコの首元に突きつけるた。

 微動だにせず、フラスコは微笑みを崩さない。


「すまない。トレーへの愛情表現だと思ってくれ。私は、君を研究者として、かなり評価をしているんだ」


 ボクは、そんなフラスコを冷めた目で見ていた。研究者すら、モルモットのように見ている男だ。下手につけいる隙は与えたら、研究材料として良いように利用されて、爽君もあーやも、破棄されるのは目に見える。一ミクロンの油断も晒せない相手。それがフラスコだった。


「まぁ、トレー。座りなよ」


 進められたのは、古びたオフィス用の椅子。動かせば、きぃきぃいう。ボクは無言で座る。


「トレイの制服姿が見られないのは、残念だね」

「パパ活は求めていないから。他を当たったら?」

「それは、手厳しい」


 クスッとフラスコは笑って、パソコンのキーボードを叩いた。

 壁一面に、地図と分布図が表示された。

 ボクが通学する高校一帯である。その周辺が、紅い霧で塗られていた。


「……これは?」

「実はね、この分布図一帯に、こんなウイルスを確認したんだ」


 地図の画面に、DNA図が示される。


「これ、懐かしいね」

「初見で分かるのは、流石だね。そう、お察しの通り、旧型コロナウイルスだ」


「ワクチンも治療薬もあるでしょう? 別に今さら――」

「そう、今さらなんだ。本当に今さら、この地域だけね」


「あのね。フラスコ? ボクらは特殊遺伝子工学研究所の職員として、研究はする。ウイルスもその対象だ。でも、ウイルス研究なら、それこそ国立大病院でも、専門研究機関でも――」

「トレー」


 フラスコは薬液を飲み、舌鼓をうつ。


「……この地域だけ、旧型コロナウイルスが、爆発的に増殖するなんてあり得ない。それに、だ」


 分布図に、黄色い霧が重なる。赤に比べて、その範囲は小さい。


「これ、は……?」


 フラスコは善意では動かない。己の研究意欲のためか、それとも特殊遺伝子工学研究所――実験室にとって、必要か否か。彼の専選択肢はシンプルに、それだけだ。

 ゴクリと、ボクの喉が鳴った。


「もうトレーは分かっているでしょう。被検体サンプルが、発見された、その分布だ」

「……それは、【実験室】としては望ましいことなんじゃ――」


「被検体は、感染後後、投薬されアナフィラキーショックを起こした。うち6割が死亡。4割がサンプルとして、当研究所が確保した。でも、確保した8割は廃材スクラップ・チップス。廃棄するしかない。残り、2割は量産型として稼働できそうだが、性能は芳しくない」

「それは……」


 サンプル研究は、遺伝子採集、配列の変更、配合の繰り返しである。結果、何をもって特化型――異能の子を生み出せるのか。明確な理論が無いのが現状である。同じ遺伝子配列であったとしても、廃棄されるサンプルは多いのだ。


「旧型コロナウイルスの感染が、人為的だと?」


「……報告はあがっていないが、我々の仲間。その誰かが、画策した可能性がある。感染後、何らかの投薬によって遺伝子変化を実証した可能性が、ね」


 フラスコは息を吐く。


「これだけこれだけ局所的に感染させているんだ。人為的と言われた方が、しっくりくる。それに――トレー、分かっているだろう?」

「実験室の研究は、まだ世間に知られちゃいけない、ってことだよね?」

「そういうことだ」


 ニッコリとフラスコは、微笑む。嘘くさい笑顔を浮かべて。


 国民の情報を一元管理する、住民台帳包括ネットワークが機能せず、失敗作と言われて久しい。現在、国が画策しているのは、遺伝子ナンバーカードの普及。そしてサンプルを、防犯、国防、医療など、全ての技術に転用しようとする、遺伝子研究イノベーションだ。


 でも、現段階で、この研究が国民に知られるのはマズい。


 実験室の存在は、国が人体実験を推奨していることとイコールだ。フラスコは、この騒ぎで【実験室】が世間に露呈することを、止めろと言っている。


「……なんで、ボクなのさ」

「トレーの遺伝子研究監視型サンプルを稼働させて欲しい。監視型サンプルの実証試験としても、最適だと思うけど? それと、口と耳は少ない方が良い。そう思わないかい、トレー?」


 それは言うなれば、口も耳も塞ぐ。ボクの行動を記録しない。そう言っているのに等しい。


「研究費の増額を求める」

「了承しよう」

「あと、この研究室を掃除して。臭くてたまらない」

「了承しかねる」

「なんでだよ?!」

「むしろトレー。君はどうして、この研究の集大成、知の蓄積、美が分からないんだ」

「分かってたまるか!」


 この無駄な議論は、小一時間、続くのだった。






■■■





 深層部から、研究棟に戻る。ようやく、息をつく。フラスコは苦手だ。彼は、会話をしながら、ボクに対して実験を課している気がする。彼にとっては、日常がに研究の一環なのだ。


 時々、嫌気がさす。


 でもボクは、ボクの目的で研究を進めている。実験室に所属するのは、自分のため。そして爽君のため。それ以外に理由はないのだ。


 こつん、こつん。

 足音が響く。


「これは、これは。トレー様じゃねぇか」


 ニヤニヤ笑う白衣の男、研究者シリンジ。

 もう一人は無言で――でもボクを見やり、あからさまに不満を隠さない。研究者スポイトだった。


「今日も室長に、ケツを振っていたのか? 女はそれだけで評価されるから良いね。【被験者殺し】なんてつけてもらった、たいそうな二つ名も理論もなく研究を押し進めた結果か? あ?」


 相変わらず、品性がない。スポイトに至っては、そこまで君に睨まれるいわれはないはずだ。


 だいたい、今日のボクは本当に機嫌が悪いのだ。

 腰に手を当てる。

 そう、まるで日本刀を鞘に収めるような、そんな感覚で。


「おい、無視かよ?!」


 シリンジが吠える。本当に見苦しい。嫉妬する暇があるのなら、研究に打ち込めば良いのに。


「……シリンジ」

「なんだ、やるのか? 俺の戦闘型サンプルと、トレーの支援型サンプルで、実戦デモでもやるか? どれだけ、お前の技術がムダなのか、証明してやるからよ――」

「お、おい。シリンジ」


 スポイトが気まずそうに狼狽えている。


「うっせぇ。スポイト、ジャマすんな!」


 シリンジが、キンキン怒鳴る。

 ボクは小さく、ため息をついた。


「あのね、シリンジ。貧相だ、スボン――いや、パンツもちゃんと履いた方が良いと思うんだけよね? そういう趣味なら、止めないけどさ」


 そう言い捨てて、ボクは歩みを進める。


「は?」


 背を向けているボクは、シリンジの様子が見えない。それはそれで残念だ。

 遺伝子研究を応用すれば、自身に技術を転用することが可能だ。


 それはリスキーで、普通の研究者はしたがらないけれど。


 ボクは、自身に遺伝子操作を行い、温度と気圧を操作して、真空を作ることができる。

 いわゆる、カマイタチである。








「いやぁぁぁぁぁぁつ!」






 シリンジの叫びが、研究棟に響き渡る。

 男の絶叫ほど、情けないものはない。

 ふむ。

 つまらぬモノを切ってしまった。




「てめぇ、トレー! つまらぬとか、大声で言うんじゃねぇぇ!」


 どうやら声に出ていたようだった。

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