第2話 青汁炭酸は実験室限定商品です。
「は……? 茜ちゃんが? うそ? ぷぷっ、本当に? え? 本当? ぷぷぷぷぷっ――」
「あーや、そこまで笑うことないんじゃない?」
ボクは憮然とした表情で、制服を脱ぎ捨てた。ハイウエストタイプのパンツ、セーターに着替えて、白衣を着込む。やっぱり、高校生の制服は窮屈だ。
「……また姉さんは脱ぎ散らかして……」
と五歳の誕生日を迎えたばかりの爽君が、制服の皺をのばす。
サラサラした髪が本当にステキだよ、君は。あーやには、姉バカと呆れられるけれど。
ちょっと動作をするだけで、髪が揺れて甘い香が鼻腔を刺激する。この子は、大きくなったら、色々な女の子をトリコにするんだろうなぁ、って漫然と思う。
と、爽君の隣で、ひなたちゃんがハンガーを持って待機していた。
この子が、言葉を喋ることは少ない。
少なくとも、ボクの前ではほとんど聞かない。
爽君は遺伝子研究特化型サンプル――【デバッガー】
ひなたちゃんは、遺伝子研究特化型サンプル――【限りなく水色に近い緋色】
ともに、実験室が生み出した
爽君は、ボクが開発した。
ひなたちゃんは、別の研究者が。
この二人は、もともと異なったコンセプトのもと、開発されたサンプルである。ひなたちゃんは戦闘型サンプル。かたや爽君は、ボクが追求してきた支援型サンプルの完成形。膨大な情報をバックアップするのは、目の前でバカみたいに笑っている野原彩子こと、あーや――遺伝子研究特化型サンプル【デベロッパー】だった。
ボクは今、ひなたちゃんの開発者とともに、爽君と彼女をつなぐ【LINEシステム】の開発に注力している。現在のサンプル開発のトレンドは、戦闘型である。国が投資する以上、戦力としてのサンプルが迎合されるのは、当然のこと。
でもAIやビッグデータと繋がれる支援型サンプルも軽視できない存在となった。――ボクが、そう仕向けてきたのだ。
では、その戦闘型サンプルと支援型サンプルがシームレスに連携や情報共有、
現状は支援型サンプルが他サンプルに干渉するため、対象遺伝子に許可コードを発行する必要がある。
さらに
でも【LINEシステム】が構築できれば、話は変わってくる。
現に爽君とひなたちゃんは、能力のシームレスな相互干渉の他、声に発さずとも意思疎通が可能になっている。
いわゆる、
あんなに、人見知りしていたひなたちゃん。そして、他のサンプルを少しも寄せ付けなかった爽君。その二人が、ぴったりと寄り添う姿は、微笑ましさを通り越して――姉として、少しジェラシ-だった。
「それで、茜ちゃんはどうしたの?」
ようやく笑いをこらえた野原先生は、キリッとした表情を作ってみせて――すぐに崩れた。台無しである。
「くくっ、ぷぷっ。どうしよう、教室での授業、身が入らないよ……。いっそのこと社会科の授業をジャックして、デートスポットの講義を――」
「いらないから」
ボクはぶすっと頬をふくらます。
「……え? 断ったの?」
「そりゃそうだよ。ボクは実験室の研究者だよ? 一般人と関わっていいワケないでしょ。だいたい、恋愛の感情なんか、よく分からないし」
「ふぅーん。実験一辺倒の茜ちゃんには良い変化をもたらすと思ったんだけどね」
散々笑った後で、良い人風味を演出されても、もう遅い。
「ちなみに茜ちゃん。これはもう、興味本位に聞くんだけどさ、なんて言って断ったの? やっぱり一刀両断?」
あーやが袈裟斬りの
歯に衣着せぬ物言いだって自覚している。でも人の心には、ある程度配慮はしているつもりだった。
あーやがどうボクのことを思っているのか、今回の件でよく分かった気がする。
「あ、あのね、茜ちゃん? その、冗談だから、そんなに怒らないで? ね?」
「……お友達からなら、って言ったんだよ」
君の気持ちには、応えられない。そう言った時の、日原君の気持ちの沈み込みようといたったら。でも、ボクは恋愛のことは分からない。そんな研究はしてこなかった。だから、狼狽してなんとか漏らしたコトバは――友達なら。
やっとその一言を絞り出すことができたんだ。
あーやはボクの顔をマジマジと見やる。分かってるよ、自分でもガラにもないことしたって。男の子なんか、全然興味わかないし。女の子を見ていた方が、断然眼福だって思うけれど。
クラスメートに友達が。たった、それだけのことで、ボクは浮かれていたのかもしれな――え? あーや?
見れば、あーやは、目を丸くしていた。
「……茜ちゃん、それは……生殺しだよ? その気も無いのに、お友達、とか……」
「え? へ? いや、お友達でせめて、って思ったのに。そうなるの?」
「姉さん。それはお相手が、期待感をもつ」
爽君の言葉がグサリと刺さる。その隣で、ひなたちゃんが、コクコク頷いていた。
いや、五歳児に言われたくない――と思ったが、彼ら、彼女らは遺伝子研究特化型サンプルだ。通常の幼児とは比べられない。まして、爽君はビッグデータと接続ができるのだ。あーやというバックアップがある。その知識量は、五歳児のソレじゃない。
「そ、それは……。う……ま、またドコかで、しっかりと伝えるから」
「うん、その方が良いと思う」
爽君がコクンと頷くのが合図であるかのように、ひなたちゃんが、椅子によじ登った。室内の電子テンキーをリズミカルに叩き、ドアを解錠する。
「……え?」
「呼び出し。【フラスコ】に呼ばれていたでしょ、姉さん?」
ニッコリ、爽君が笑う。すでに私へのダイレクトメールはチェック済み。支援型サンプルとしてのコンシェルジュ機能、すでにフル稼働だった。願わくば、もう少し優しさが欲しい。そして、子どもらしい愛嬌も求めたい。
「いや、爽君。彼は実験室の室長なワケだからさ、せめて――」
「ボクの開発者は姉さん。フラスコじゃないから、敬意を示す意義を感じない。何より、俺、あいつが嫌いだし」
「近いうちに
小さく息をつく。爽はニッコリと笑って、手をヒラヒラ振る。まったく聞く気がないときの態度だった。プレゼン如何で研究予算も変わってくるのだ。そこらへんは協力して欲しい――そう思うが、5歳児にそんな要求、それこそ酷だった。
爽君に合わせて、ひなたちゃんも、ヒラヒラと手を振っていた。清々しいほど――無表情に。
「……茜ちゃん」
ここぞと、気遣いをしてくれるのは、やっぱりあーやで。
「帰りに自販機で青汁炭酸、買ってきてね」
シュン。
小さく音を立てて、
(……次のプロジェクトで、あーやと爽君、徹底的にコキ使ってやるからねっ)
そう心に決めたボクだった。
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