第22話

「おはようございます、今日はよろしくお願いしますね」

 宙を向いて人の押し寄せる浮遊島を眺めていると、付き添いの男がやってきた。

 人の良さそうな雰囲気でお辞儀をする彼はいかにも一癖も二癖もありそうな人物に見えた。

 常にニコニコと笑みを浮かべていることが逆に胡散臭さを膨らませているのだ。

 財務大臣、ロッゾ・レーベンシュタイン。

 もはや優秀さは疑うべくもないが、落ちぶれた国の大臣が如何ほどか気になるものだ。

「あれは既に運びこまれていますよね?」

「ええ、もちろん。ですがこんな急に何故あのようなものを? 失礼ですが些か難しすぎるように思われるのですが……」

「いえ、問題は問題であって問題ではないのです」

「は……?」

 何を言っているんだという目だ。

 しかしそれもじきにわかることだ。

 財務大臣には正しくこれは選別試験だと伝えた。故に彼はこう思っているのだろう。

 ──点数で差別化を図るつもりなのだ、と。


 だがそれはこの試験の本質を突いていない。

 何故こんな試験をするのか。通常ならば戦闘による総当たり及びトーナメント戦で絞るのに何故今年は違うのか。

 その理由を理解できたものだけがこの選別試験を通過できる。


「さあ、始めよう。選りすぐりの戦士たちを見つけるために」

「国王陛下がおっしゃるから信用するものの先行きが不安でしょうがありません」

「まあそう言わずに」

「乗りかかった船と考えます。泥舟でないことを願いますが」

「少なくともあのいかれた宰相よりはマシだと思いますが?」

「……それに関しては明言は避けます。さて、行きましょうか」

「ああ、そうですね。行きましょう」

 高度が上がると重力が減少する世界の中心へ向けて彼らは跳躍する。

「「【一の法・飛脚の導】」」


 会場は新たに増設された部屋を使う。そこでは計一〇六九人の椅子と机が設置されており、前方を低くし、後方につれ高くなるようにした。いわば講堂のようなものだ。

 受験者は年齢に幅があるが、流石に幼児と老人はリストに入っていない。

 女性もそれなりにいるがやはり男の方が多かった。殺し合いに発展するかもしれないのだからそれもそうなのかもしれない。

 教室に入ると見える景色は圧巻なものだった。千人が一挙にこちらを見下ろしているのだ。さながらオーケストラでもするのかというほどの緊張感をもたらした。

 次々と問題と解答用紙が運び込まれるのを横目で見たあと、注目の人物はというとちゃんと来ていたので安心した。

 そして数分後、すべての資料が搬入された。

「私は試験官のグノスィ。そして補佐役のロッゾだ。この試験は主に私が取り仕切る。それではこれより“天井の祭りヘブンズ・フェスタ”選別試験を行う」

 後ろまで届くように声を張り上げた。

「受付で渡した筆記用具以外のものは全てしまうように」

 受験生が動き終わるのを確認してグノスィはさらに続ける。

「注意事項を先に伝えておく。一度しか言わないためよく聞くように」

 右端から左端まで視線を横切らせ一度ためをつくってから説明を始めた。

「まず

 彼らは頭半分で聞いているものが半分ほどだろうか。あとでわかることとはいえ些か注意が足りない。ごろつきもいるから仕方ないかもしれないがそれでもこちらが空しくなる。


「また諸君らは全員が資格を有していることを前提としてこの試験は行われていることを承知するように。次に試験内容について」

 事前に通達していたのは筆記があることだけ。それ以外の説明をする必要がある。

「試験時間は二時間とする。試験開始後から試験終了時まで私語やカンニングなど不正行為は全て禁止とする。発覚した場合には即時退出を求める。また試験問題はすべて同一のものを使用する。以上で説明を終了とする」

 説明が終わると受験生から一気に騒がしい声が押し寄せてくる。


 この試験で不正行為を禁じたのは抑止でもあるが本当の意図は別にある。

 カンニングは見つけても放置する。そんな時間も人材のゆとりもない。

 たとえ居ても試験通過などさせないしさせられない。

「静粛に。それでは試験問題を配布する。受験番号〇〇〇一番から順番に呼ぶので取りに来るように」

 するとまたもや彼らは控えめな小声を出し、あの試験官頭大丈夫かとか俺らが取りに行くのかよ、など文句を垂れ流している。

 そんなざわめきなど耳に入らぬとばかりにグノスィは一番の受験生の番号を言った。

「試験官!」

 しかしそれを遮るようにして、十代半ば頃の若者が立ち上がって声を上げた。

「何か?」

「俺たちが取りに行く理由は何ですか?」

 グノスィはやや白けた目でその若者を見ていた。

 彼はまるで世間知らずのガキのようだ。

 相当甘やかされて育てられて生きてきたのか。

 あるいは自分を中心に世界は回っているとでも思っているのか。

 これほど無駄な問答は他にないと彼は心の中で独り言ちた。

「……〇〇〇一番! 呼ばれたならすぐに取りに来なさい」

「はっはいっ!」

 若者は無視されたことに唖然とし、湧き上がる怒りと羞恥で顔が赤く染まっていく。

 同情するもの、嘲笑するもの、心配そうに彼を見るもの。

 彼に何か思うものは少なくなかったが、しかし誰一人として声には出さない。正確に言えば冷静でない彼以外のほぼ全員が試験官のただならぬ気配を感じて黙ることしかできなかったからだ。

「おっ、お────」

「ああ、今発言した君、ええと〇七二九番。即刻退出しなさい」

「なっ! なにを……言って…………っ⁉」

「初めに言ったはずだ。質問には一切応じない、と。そしてこうも言った。私語が発覚した場合は即時退出を求めると」

「そんなこと──」

「一度は見逃したが二度目はない。それと……勘違いしないでほしいが、

「………………えっ?」

 これ以上話を長引かせると試験が後ろ倒しになると判断したグノスィはそこで切り上げて次の受験番号を淡々と読み上げていく。

 若者は涙目になりながら周りを一心不乱に見渡すが、目が合ったものは悉く目線をそらしたり俯いたりして関わらないように努めてしまう。

 彼のすすり泣く声と試験官の呼び声とそれに応じる声だけが試験場で反響し、最初の声が消えると彼らの空気はピリピリとした緊張感を纏うようになっていた。


「次、〇二二四番!」

「はい」

 自分の番をただ待ち続けていた彼らはその受験番号を読み上げられてすぐには反応できなかったが、彼が階段を下りる様を見て驚愕した。

 彼は色素の薄い金髪をしていた。そしてその髪の下に隠れる両眼を隠すように布の目隠しをしていた。杖を突き、しかし手袋を嵌めて触覚を鈍感にさせていることからその道具が不必要であることを示しており、階段がどこにあるかわかっているように杖より先に足を伸ばしていた。

 実は布は透けて見えているのではないかと一部の者は考えたが、そうであったとしても足取りが軽すぎる。

 明らかに視覚に頼っていない。杖から伝わる振動にも頼っていない。

 ミステリアスな笑みを湛えて彼は当たり前のように試験官の元へ真っすぐと辿り着いた。

 彼は問題用紙を受け取るとその表紙を撫でるようにして確かめた後、一言も発さずに席に戻った。

「次、〇二二五番──」

 こうしてその後は何事も起こることなく問題配布は終わった。

 ただ一人空席が生まれた以外に変化はなかった。

 彼らは既にこの試験の異様性に気づいているかもしれない。だが気づいているだけだ。

 異様性の正体まで掴めていない。そして掴めたとしてもテストが開始してからでは少し遅い。

「それでは────始めっっっ!」

 時計の秒針が十二を指したときを見計らって合図を出した。

 テスト用紙を開く音が何重にも重なって彼らは止まっていた思考を動かし始める。

 明暗は既に別れた。あとはただ、結果を眺めるのみ。



「試験やめ。筆記用具を置きなさい」

 机に転がる筆記用具の音が彼らの様々な感情をもったため息を隠した。

 中には満面の笑みを浮かべて満点を確信するものもいれば絶望に頭を抱えるもの、なるようになると楽観的な表情のもの、全く動じず微動だにしないものなど十人十色の様相だった。

 しかし彼らの心配はまるで別のベクトルから破壊された。

「「「「「は……???」」」」」

「〇〇三八番、〇二二四番、一〇三一番は前に」

「おん?」「はい」「……」

 〇〇三八番は坊主で試験が終わったことも今気づいた様子で寝ぼけ眼でこちらを見る。

 〇二二四番はただその変わらず貼りつく笑みを崩さずに静かに立った。

 一〇三一番は黒髪の子供だ。資料には性別不明と記載されており顔立ちからも性別は見抜けない。けれども彼らの特徴など他の者たちにはどうでもよいことだろう。

 受験生らは混乱していた。どうして合格者がもう決まっているのか、と。

 まだ採点されていないのに。それどころか回収さえされていないのに。

 耐えきれず一人の受験生が彼に問うた。すると、

「いいでしょう。試験はもう終わったので理由を教えます。その前に、君たちの中に彼らが選ばれた理由がわかる人は居るかな?」

 と言って受験生らに問いかけた。当然質問者は答えられるわけもなかったが、恐る恐る手を高く伸ばすものがいた。

「はい、〇六一八番」

「はい、ええと多分ですけど問題を解かなかったから、ですか?」

 信じられないような目で質問者はその回答者の方を見た。試験問題を渡されたのに問題を解かないとは何事か、と。

「グッド。だが八十点だ。正確には試験開始後、全く問題を解こうともしなかったものたちだ」

「解こうとすら……?」

「そう。〇〇三八番の彼は最初から諦めていたのが理由だと思うけど残り二人は違う。自主的に解かないことを選んだ」

「なぜ解かないことが正解なんですか?」

 信じたくないという気持ちが前のめりになって回答者は思わず聞いてしまった。

「ではなぜ君は先ほどの回答をできたのかい?」

「っっっ!」

「わかっていない諸君に解説しよう。なぜ解かないことが正解なのかを」

 

 まず根底にあるのはやはり最初の文言。

『この試験に関する質疑応答及び変更には一切応じない』

 これは少し厳しいだけの縛りに聞こえたかもしれない。

 だが逆を返せばこれはただ試験官から与えるものは何もないということだ。

 そして次のキーは先刻の金髪の受験生。彼は一見盲目ではないのでは、と思わせる挙動だったが、もしそうならそんな者が試験問題にわざわざ確認するように手で触れたりするはずがない。

 そこで気づくべきだった。試験問題はすべて同一と明かされていた意味と、会場内全てに資格を有するものがいることの意味、そして試験問題が点字の部分が一切ないという事実を。

 ここまでくれば誰でも理解できるだろう。

 試験官がわざわざわかりきっているのに彼を無駄に会場に連れてくる意味などないということに。つまり解かせるつもりなんてなかったのだと。

「──ということだ、ご理解頂けたかな?」

「納得できねえっ!」

 そう言って大柄な男が前に進み出てくる。

「さっきから聞いてたらよお、つべこべぐだぐだ屁理屈垂れやがって。なめてんのか、ああん?」

「要領を得ない台詞だね。もう少しわかりやすく話してくれるかな?」

「いちいち癪に障る野郎だぜ。俺を合格させろっつってんだよ」

「なるほど……ではこうしよう、一〇三一番の彼に勝てたなら考え直してあげてもいいよ」

「話がわかるじゃねえか」

「僕はやるとは言ってない。そもそもこんな知性の欠片もなさそうな男を一方的に嬲ったところでどうにかなるわけでもないし」

 気怠そうなで一〇三一番は大柄な男の顔を指さして言ってのけた。すると男は顔中の血管が浮き彫りになるほど力を入れて侮辱されたことへの怒りが限界を超えていた。

「じゃあこれならどうだ? 彼を地面にもつけず、かすり傷すらつけることなく圧倒してみるのは」

「めんど。まあいいけど。それなら少しは面白そう」

「クソガキが。大人を怒らせたらどうなるか教えてやる。だがこっちには好都合だ。早速いつもの場所に行くぞっ」

 そう言って男は机と壇上を横切るように歩こうとする。

「いや、ここでいい。あとこの紙借りるよ」

「ああ?」

「ふっ」

 あまりにも影の薄い表情が黒髪も相まって空間に溶け込んでしまう。

次の瞬間に一〇三一番は一枚の紙とともに男の死角へ移動していた。

「なっ来るな!」

 大振りに見えもしないのに後ろへ腕を振り回す男。

 そして身長差があるためにその大振りは頭上を通過して男のバランスを自ら崩させる近因となる。

 男の視界はすぐに塞がれてしまう。その少年か少女かわからぬ子供の手に持つ紙切れによって。

 次に男の腰のベルトを外して鞭の要領で片足を宙に放り出させ、最後に首をベルトで締め上げた。

「もう十分だろ。どう? こんな年下に負かされる気分は?」

「げほっげほっ」

 苦しそうに喘ぐ男だが興味が失せたようで一〇三一番は手についたごみを叩き落とすような仕草をする。あくまでも今のはただの余興であったことを示すように。

「てってめえっ! 卑怯だぞ! 急に後ろから襲い掛かりやがって!」

「卑怯で何が悪いの? 今のは選手を選び出すためのものだ。この大会を何だと思ってるの、おっさん?」

「ああ? だとしても真正面から正々堂々やれよ!」

「わかってない。全然わかってないじゃん。僕らは卑怯であろうと勝たなくちゃいけない。それをおっさんは負けた後に言える? 無残に敗退して国民から石を投げつけられる。そのときに今と同じ言葉を本当に言えるのか?」

 もはや返す言葉も出ないようで得意の暴言すら今やなりを潜めている様子。

 それを確認してからグノスィは切り出した。

「互いの実力は把握できた。もう十分だ。ほかにこの子とやりたい人はいる? いないならこれ以上の抗議は受け付けない」

 しんと静まり返る試験場。誰も彼もが息を潜めているかのように。

「それでは予選を終了とする。解散っ!」

 

こうして予選は終わり、三名の人材が選ばれたのだ。


 

 

 

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