第10話 代表対面

 霧を抜けた先は蔦の階段が巻き付いた巨木だった。

 そして――――。


「なん、だこれは…………?」


 見たことのない形状の植物。

 いや、そんな生ぬるいものではない。

 実を包む蕾の花びらのように根っこの如く細長い枝葉が木の上部を包み込んでいる。

 まるでチューリップの花のように。

 枝が緑で覆われているためにそれはそらを突き抜く長槍として君臨する。

 蕾と階段の隙間意外は小窓が整然と並ぶたけ。

 少ない装飾がその光景を幻想の下に引き下ろしていた。


 アゲリアでさえも初めて見たのか、口をぽかんと開けてそれを凝視することしかできなかった。

「とりあえず……行こうか」

 数十秒の空白時間の間に回復したグノスィは声を絞り出す。

 余韻に浸る時間はない。

 それでも心底では引き留まりたいと願っている自分がいた。

(全く……何度驚かしてくれるのか、この世界は……)

 空中から階段に降りて上に向かって登っていく。

 ジメジメとした暑さに上着を脱ぎたくなるが、それと同時にあの中にいるものたちは息苦しくないのかという疑問も生まれてくる。

 おそらく潤沢な葉っぱのおかげだろうが、内側は涼しいのだろう。

「あっつい……」

 灰色の前髪を掻き上げ汗を拭うアゲリア。

 音を上げるほどではないが熱帯地域にいるような息苦しさを覚える。

 事実、このとき彼らの周囲の温度は30度を超えていた。

「なあガルーダってどういうやつなんだ?」

「ん? 鳥獣人ハーピィの代表だよ」

「……はあ? 何で先に言わねえんだよ」

 一瞬の思考停止後にアゲリアは言う。

「まあ、聞かれてないしね」

「お前、いつか刺されるぞ」

 そう言う彼にアゲリアは声を上げて笑う。

「ははははは。そうすると人間は絶滅しちゃうかもね。気をつけるけどさ」

 彼らは螺旋階段を昇りながら雑談をする。

 まあそれはグノスィからの一方的な質問だが。

 己の素性がわからない以上安易に答えることはできないという理由もあるからだ。

「──誰か居る」

 数分かけて根本まで来ると門番のように立つ一人の兵士を見る。

 屈強な体を持ち、焦茶色の翼を背にして 微動だにしない。

「……お前たちか」

 何者かを理解したように何度か頷く素振りを見せる男。

「迎えの者はどうした?」

「撒いてきたよ」 

「そうか」

 くぐもった声が彫りの深い顔から発せられる。

「ガルーダ様のところに案内しよう。付いて来い」

 操舵輪のような錠をゆっくりと回すと歯車のカチカチと互いに衝突する音が聞こえてくる。

 彼が扉から一歩下がると重厚な扉が開かれる。


 内装は木製と思いきやどこぞの館かと思うほど美麗で素晴らしい。

 また室内に流れるピアノの音楽が分厚い壁で反響している。

 太い柱と重厚な壁。

 所謂いわゆるロマネスク様式と呼ばれるものだ。

 赤絨毯を踏みしめながら彼の後ろを追いかける。

「先に言っておくけど、アゲリア」

「……何だよ」

「自分の命は自分で守れるね?」

 グノスィは小声で必要な情報だけ伝えることに徹する。

「当たり前だろ」

 若干険しくなった顔を見てグノスィは安心する。

 グノスィにとって敵対しないに越したことはないが、相手が何の目的で呼び出したのかわからない以上、策は今でも脳内で練り続けていた。

 もちろん徹夜して考えたプランも含めてのことだが。

「黒髪のお前はこの部屋に入れ。そっちはまず風呂だ。こっちに来い」

(分断目的か……? それとも今から会う相手に汚れた状態で会わせたくないということだろうか? 私も少し汗臭いのだがなあ)

 視線を通わせ互いに分かれることを了解したあとアゲリアは頭をガシガシと掻きながら付いていく。


 ───はあ、と一息ついてグノスィは扉をノックして返事を待つ。

「どうぞ」

 鈴のような凛とした声が耳に届いた。

 失礼の一言とともにグノスィは扉を開けて中にいる女性を目にした。

 美しい女性だった。

 白い翼は閉じられているが真っ白な艶のある髪は部屋の光を反射するほどで、翼がなければ人間のようですらある。

 目線で向かい合わせになっているソファの片側に座るように促してくる。

 僅かな間、両者に沈黙が流れた。

 どちらが切り出すべきかは重要ではない。

 相手の思惑を把握することが何よりも重要であった。

 だから、グノスィは一言目を告げた。

「早速で悪いが私が呼ばれた理由を聞かせてくれるかな?」

 グノスィは足を組んであくまでも自分が萎縮していないことを表していた。

 まずは毅然に振る舞うことを優先させる。

 だが彼が予想した展開は訪れない。


「……街であなたが使った技を見せて欲しいの」

「……なんだって?」


 驚くグノスィを他所よそに二度は言わないとばかり彼女はそっぽを向く。


「代表に見せてどうする」

「そうね…………じゃあいいわ」


 あっさりと引き下がる彼女にグノスィは困惑し、気味の悪さを感じ取っていた。


「なら次の質問。あなたは誰?」

「ああ、まだ名乗っていなかったな。私はグノスィ。貴方の名前は?」

「質問に質問で返さないで欲しいのだけれど……」


 目を細めて半ば睨みつけるような目線で彼女は言う。

 その言葉に一瞬意味が分からなかったグノスィ。

 しかしすぐに理解する。

 グノスィは実名ではないどころか自分でつけた名前なのだから。

 だが名乗ることはできない。

 そもそも名前を知らない。

 しかしそれを言ったところで彼女は受け入れないだろう。


「もう一度だけ聞きましょうか。あなたは誰?」

 数秒考えたあと彼は一つの結論を出した。

「私は……世を渡り行く者だ。名前はない」

「そう」


 端的な返答とともに彼女は笑った。

 その感情の起伏がない表情から初めて変化が起きたのだ。

 ──しかし何故彼女は私が嘘をついていると分かったのだろうか。

 ──感情を読み取る力か、単に名前に興味がなかったのか。

 そして彼女が笑ったのはどうしてか。

 まさか異界の人間と知ってのことか?

 いや、今はそれはどうでもいいか。

 

「して────私が呼ばれた理由は?」

「…………」


 沈黙。いや、先程言った通りということか。

 だが、不思議だ。何故彼女はそれを知りたがるのか。

 虚法の使い方などもはや当たり前のように広まっているのではないだろうか。

 違うか。そうではないのだろう。

 そもそも

 『……街であなたが使った技を見せて欲しいの』

 その言葉の意味を読み解く。

 するとある事実が浮かび上がってくる。

 あれは自分しか使っていない技なのではないか、と。

 ならば納得の行くことだ。


「いいだろう。だが私からも条件がある」

「……何かしら?」


 胸の下で手を組むガルーダにグノスィは押しも押されもせぬ態度で応える。


「種族に関する情報が欲しい」

「駄目よ」


 即答するガルーダ。

 やはり一筋縄では行かない。

 ではもうワンステップ踏み込もう。

 

「なら貴方の全てを見せて欲しい」


 その言葉にガルーダは不快感を露わにする。

 全てという、範囲の絞れぬものが何を示しているのかを彼は言っていなかった。


「全て……とは?」

「言葉通り全てだ」

「いい加減にして。そんなもの受け入れられるわけがない」


 彼女は明確に怒気を込めて言葉にする。

 彼女からすれば欲望の塊のように映ったのだろう。

 だがグノスィは心外だとばかりに首を横に振って続ける。


「むしろ対価は安いと私は思っているのだが? 私の技は人間の希望となり得るものだ。それをたかが一人の女性の情報で見せてあげるというのだ。どこに不満がある?」

「くっ…………!」


 耳を仄かに朱色に染めて彼女はグノスィを睨みつける。


「嫌だと言うなら話はそれまでだ。私も時間が惜しいのでね」


 あざ笑うようにグノスィは背中を向ける。


「待ちなさい!」

「何か用かな?」

「貴方が今できる全ての技を見せるなら条件を飲むわ」


 にやりと笑ってグノスィは手を叩く。

 ──正直彼女の体に興味はないが。

 振り返りざまに感情を消して彼女に近寄り右手を差し出す。


「契約成立だ」

「調子に乗らないことよ。あなたなんてすぐに殺せるんだから」


 美しい声色で、しかし震えながら彼女は言った。

 グノスィの手をはたき、自分の体を両手で包み込むようにして。

 だが男だからといってそれで興奮するグノスィではない。

 ──まあこれは利用する方がいいんだけれども。


「ふっ……面白いね、やはり」


 グノスィは薄気味悪い笑みを浮かべ、早々に移動しようと告げる。

 前を歩けとばかりに彼女は顎を扉に向ける彼女に誤解が深まるようになお彼は笑みを深める。

 ──嗚呼、誰かを弄ぶのはちょっと楽しいかも。

 完全に彼女を振り回すことを確定させようとしている。

 

 ──さて、向こうはどうなっているのやら。

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