第9話

「ふあああ」

 床で寝ていた者たちが起き始めた頃、グノスィは短時間の睡眠をとっていた。

 とはいえ椅子の上で決して効率は良くないけれど。

 しかしそんな大切な睡眠を阻害する者が現れた。


「ここに劣等種が居ると聞いたが?」


 彼らは扉を蹴破って入ってきた。

 目元の緑色の斑点が特徴で、体を覆う大きな甲羅。

 人間の領域テリトリーを脅かした種、亀獣人テラピアンだ。

「ああ? んだてめえ……?」

「グリーンスペース国治安維持隊第一部隊隊長コングレスだ。お前たち二人をガルーダ様の下へ連れて参るよう指示が出た。付いてきてもらうぞ……」

「はっ連れて行けるもんならやってみろよ」

 鼻で笑ってアゲリアは誤魔化すが、手に汗を握って緊張していた。

 相手は複数人、しかも上手。勝てる要素がなかった。

 しかし一度決めたことは彼は撤回しない癖があった。

 故に回復した光の力を用いて動き出そうとする。

 だが予想した展開は訪れなかった。


「人が寝ている時に……」


 黒髪の青年はゆっくりと目を開ける。

 感情のない瞳で滑らかな動作で立ち上がる。


「起こさないでくれるかなあ?」


 その雰囲気は昨夜一瞬醸し出した他者を威圧するもの。

「はあああああ」

 深い溜め息が不機嫌であることを自明とさせた。

 グラグラする頭を押さえ、彼は一歩を踏み出す。

 その場の空気は完全に彼一人に支配されていた。


「おい、。ここは俺にやらせろ」


 アゲリアがグノスィの名を言った。 

 その事実はグノスィには衝撃的で、怒りは吹き飛び、また彼の変化に驚いていた。

「……オーケー。じゃあ私はもう少し寝るからよろしく。10分ね」

 机に足を置いて数秒ののちに寝息が聞こえてくる。

「待たせたな、相手してやるよ」

「強がりはよせ。我等は軍部の中でもトップ。お前など話にならんよ」

「やってみなけりゃ分かんねえだろ?」

「ふっ……蛮勇か、世間知らずかどちらでも構わないが、ガルーダ様を待たせる訳にはいかない。私がやろう」

 占めたと思った。睡眠も十分で体力は万全。

 確かに強敵だろうが、こちらも喧嘩では負け知らず。

 だから簡単に負けるなんて思っていなかった。

 そう、思っていなかったのだ。

 進化を舐めていたのだ。

 初速は圧倒的にアゲリアが勝っていた。

 そこは亀とうさぎの童話からわかる通り、鈍足を極めていた。

 しかし空間が悪かった。

 天井は低く、奥行きも狭い。

 自慢の機動力は今や悲しく雨風に晒されている。

 加えて亀獣人テラピアンの甲羅はまさしく頑強。

 虚法による身体強化では歯が立たなかった。


「クソックソックソオオオッ!」


 壁を跳躍しながらも彼は隙を狙って急所に狙いを定める。

 だが、吠える野良犬に立ち向かうようにコングレスは盾など必要ないとばかりに甲羅で打撃を弾いていく。


(あいつは全部自力でやり遂げたんだ! 俺は……ここでっ!)


 叫ぶ彼の心は成長していた。

 その上昇はグノスィとの闘いの比ではなく。

 成長が止まっていたという意味で泥に沈む足を彼は引き抜き、泥を蹴り飛ばし陸へと足を乗せたのだ。


「こんなやつに負けられねえんだよ……っ!」

「ぬっ!」


 彼の拳は予想外の速さでコングレスの顔面を捉える。

 体が浮き上がり僅かな浮遊の末地面に落ちる。


「「隊長っ!」」


 間に隊員が挟まる。

 しかしその顔は先程よりも確実に強張っていた。

 上司である隊長がまぐれかもしれないとはいえ背中を地につけたのだ。

 自分たちと同格レベルに彼らは評価を修正した。

「古代の神話で──の勇者は魔王との戦いの中で成長していたらしい」

「「隊長!」」

 何事もなかったように鈍重な体を起こす。

 頬が赤く腫れ上がって口の中を切ったのか口元を血で濡らしている。

「この男はまるでその勇者のようだ。性格はアレだがな」

「んだとっ!」

「そういうとこだ」

 余計な一言に歯向かうアゲリアに対し、諭すコングレス。

 血を拭いながら彼は続けて言い放った。


「だが勇者でさえも武器がなければ今の我々にすら劣るだろう。それほどまでに劣等種は脆弱なのだ」

「はっ俺に一撃入れられといてよく言うぜ」


 鼻で笑ってアゲリア。

 しかしそれは彼の次の言葉で打ち破られる。


「お前如きに使うまでもないと断じた己の愚眼を恥じるばかりだ。だが油断はもうしない。文字通り全力でやらせてもらおう。我が種族の名にかけてテラピー・オーバー


 彼の顎ががこんと大きく外れる。

 次いで両手の指が関節が凹んだり曲がったりを繰り返す。

 首がゴキゴキと音を立て──


「タイムオーバーだ」


 アゲリアの肩を掴んでグノスィは店を飛び出した。


「「ああっっ!?」」

 情けない声を上げる二人の兵士。

 だがその視界に既に二人の姿はなく──。

「貴様らああああ!」

 背後には怒りの形相で声を張り上げる中途半端に体が変化し異形となっているコングレスがいた。

「「ひいいいいいいっ!!」」

「さっさと追いかけんかあああああ!」

「「は、はい!」」


 大慌てでもたつき狭い扉に同時に通ろうとして盛大に転ける彼ら。

 もはや怒りを通り越して焦燥と呆れがないまぜになった感情が顔に出るコングレス。

 これらを台所の扉の隙間から覗いて必死に笑いを堪える店主、ダレン。

 まだ酒場に残っていた酔っ払いたちは何をやっているんだと首を振る始末。

 ここにいることに耐えられなかったコングレスは早々に金を叩きつけて店を出る。

 ……部下を蹴飛ばしながら。


 一方その様子を屋根上から二人は眺めていた。

「……アゲリア。あんなポンコツに手こずってたの?」

「…………」

 今回ばかりは言い返せず押し黙るアゲリア。

 

「まあいいや。会いに行くよ」

「あ? 誰にだよ?」

「……言ってなかったっけ? ガルーダだよ、沈黙の」

「──じゃあさっきのは……」

「自力で行きたいじゃん?」

「おい」

「あそこだ!」

「ほら、逃げないと!」


 歯を食いしばって逃走する人間たち。

 それを追いかける新人類。

 街の中心に行けば行くほど芸術を凝らした建物から無骨な建造物が増えてくる。

 超高層のビルへとひとっ飛び。

 建物から建物へ跳躍、滑走、回転着地をキメてグノスィは大笑い。


「おい、ふざけんなてめえ!」


 そして舞台は再び現在へ。

 そらそびえる大樹はすぐそこに。

 

「後で覚えてろよ──!」

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