第3話

 ──劣等種。

 青年は沸々と沸き起こる怒りで頭が支配されていた。

 それは眼前の男にではない。

 その地位に貶められた人間全体に対してだ。

 劣等種と呼ばれるならばそれ相応の理由があるからだろう。

 嗅覚が優れている存在は確定的に人間の上位にいる。

 では、人間が劣る理由は?

 解。身体能力及び寿命、カリスマなど。

 以上、男との会話だけで青年は僅か2秒の時間で導き出した。

 次は失態は許されない。

 質問は慎重に、それだけを考える青年。


「お前たちはそうやって何年も生きてきたんだろう。そろそろこの地位から脱出しようじゃないか」

「あんたは何もわかっちゃいない。奴らの恐ろしさを! 奴らの強さを! 大会でもう何回初戦敗退したと思ってる? 五十七回目だぞ!」


 悔しそうに唇を噛み締め、男は叫ぶ。

 ──大会か。

 この男から得られる情報はもう十分だ。

 良いだろう。

 この狭い世界にいる彼らに見せてあげよう。

 私という存在を。

 人間という知性の個を。

「では何故悔しいと思うのだ?」

「は?」

 ぽかんとだらしなく口を開いて男はほうける。

「勝てると思っていないなら悔しさなど残るはずがなかろう。勝てる余地があるのだろう?」

「ッッッ!」

 男は目を大きく見開いて何事か告げようとするも上手く声を出せなかった。

 五十七回。

 この数字は何の意味も持たない。

 ただの数字。

 だが、背景に隠れるその事実に気づくことは容易いものだ。

 五十七回の前の大会では?

 人間は果たして世界最弱だったのか?

 たとえ前回の大会が五十七回目だとしても。

 第一回大会の前はきっと差別されていなかったはずだ。

 なにせ

「人間が何故人間たらしめるのか、あなたは理解していない」

「あんたは知っていると?」

「当たり前だ。人間は──瀬戸際ほど恐ろしくなる」

「???」

 いづれ彼もわかる時が来るだろう。

 青年は人間の歩んできた歴史を覚えている訳では無い。

 だが、その歩みが生み出してきたものは知っている。

 汚染された河川。

 荒れ果てた土壌。

 霧で霞む空。

 ゴミに塗れた砂浜。

 数え切れないほどの破壊はいつしか自分たちにも向けられていたことを。

 そこから先は想像するまでもないだろう。

 だからわかる。

 今が反撃の時だと。

「わからなくていい。だが、解決方法は知っている。私が人間の代表となればいい」

「馬鹿言うな! 簡単なことじゃねえ! あの城で勝ち残るやつはお前みたいなひょろひょろなやつじゃねえ! 出来っこねえ!」

 男は宙に浮かぶ一つの島を指さして言った。

 情報提供有り難く、彼は礼も告げることなく地を蹴り飛び上がった。

「お、おい! どこ行くんだ?」

 まもなく青年の行動に疑問を抱いたのか、男は早口で呼び止めた。

「あそこだろ?」

 目線で行き先を示し、返答する青年。

 だが、彼にとって予想外のことがあった。

「代表選抜は一ヶ月後だ! 今行っても門は開いてないぞ」

「なん……だと」

 目から鱗とはこのことでないが、すっかり抜け落ちていた。

 再び地上に戻る青年。

 耳が朱色に染まっているが、顔にはおくびにも出さない。


「下見に行こうとしただけだ」

 言い訳がましく青年はそう言った。

 だが、そんなことは些事と言わんばかりに男は目の色を変えて青年の両肩を掴んだ。

「本気で……本気で勝つってのかい?」

 真剣な表情だ。

 まだ彼にも一抹の野心はあると。

 その表情から窺えたことが、少しだけ嬉しかった。

「なら敵がどんなものか知ってるのか?」

「あまり詳しくはない。あなたは知らないのか?」

 というより全く知らないといった方が正しいが、ここでそれを言うのは不自然だろう。

「俺もそこまで詳しくねえ。なんせ生きて此の方五十数年、ず〜っとこのスラム街で生きてきたからな」

 緊張がほぐれてきた頃。

 周囲を見渡す余裕も生まれてきた。

 所々で二人を心配そうに見つめる者たち。

「誰か知っているものは?」

「うちで最高齢の人に聞けばわかるかもしれん」

 そうして男は歩き出す。

 その背中はかつては曲がりきり寂れたもので。

 今はその面影はなく。

 自信に満ち溢れた生きるものとしての背中であった──。


「俺の名前はタンジーだ。ここじゃタン爺さんなんて呼ばれてる。あんたは?」

「私は……」

 やはり彼は思い出せない。

 彼は何も知らない。

 彼は無知だから──。

 だから彼は光り輝ける。

「私はグノスィ。異邦人だよ」

知恵グノスィか。良い名前だ」

 見た目とそぐわない口調が青年の歪性を示していた。

 それもまた彼の独創性の一つであった。

「あの小屋だ」

 彼が指さした先は何の変哲もない小屋だった。

 木の板と汚れた布で構成された家。

 二人は服が干された物干し竿を避けながら目的地に向かう。

 散乱するゴミの道は非常に歩きづらいが、住民の衛生状態を表しているように思われ、何とも言えない気分に陥る。

「セダイラさん。居ますか?」

 タンジーは布を捲らず外から声を張る。

 するとのそのそと一人の老人が顔を出した。

 シワだらけの顔を持ち、鋭い眼光は虎をも射殺せそうだ。

 真っ白な眉毛は吊り上がり、口はへの字に曲がっている。

「何だ」

 淡白な返事だが不思議と偏屈さは感じられない。

「その、この若盛りな男に大会について教えてやって欲しいんです」

 タンジーは狼狽しながらも要点をしっかりと伝える。

 この街では一目置かれた存在であるようだ。

「入りな」

 言われてタンジーの後ろについていくと、中は存外広かった。

 天井は手を伸ばせば届きそうな高さ。

 だが、必要な物資だけ置かれているためか、結構なゆとりがある。

 勧められた席に座るとセダイラは身を乗り出した。

「それで……あの大会に出るのか?」

 よく通る声でセダイラは尋ねる。

「ええ、この男が出たいと……」

 タンジーはズボンのポケットを握りしめつつ声を絞り出した。

「良いだろう。初めから教えてやる。あれはおいらが生まれる10年ほど前のことだ──」

 

 それから始まったのは想像を絶する物語だった。

 伝説か、神話か。

 本来触れることすら畏れ多い歴史の一端を。

 彼は脳裏に刻み込んだ。

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