第34話 きするぎ駅
サラリーマンの私は夏のある日、仕事帰りの電車の中で寝過ごし、目が覚めると知らない所を走っていた。
慌てて、ちょうど止まった駅へと降りた。
夕日が沈み、辺りが暗くなってくる時間帯のことだった。
――しかし、ここはどこだ?
私は駅の周囲を見渡した。
薄暗くなった周囲には田畑と山が見えるばかりで、他には何もない。
寝過ごして普段降りる駅を通り過ぎたにしては、これはおかしい。
なぜなら、私の乗っている路線はこんな周囲を山と田畑に囲まれた田舎を通っている路線ではなかったからだ。いや、場所によってはあるのかもしれないが、少し寝過ごしたところでこんな田舎まで来るとは思えない。
私はふと、うっとおしいと普段は思っていた圧迫感のあるビル群が懐かしく思えてきた。人間は慣れた環境に安堵感を覚えるものらしい。
駅名の看板には「きするぎ」と書かれている。
――「きするぎ」? 「きさらぎ」でなくて?
きさらぎ駅の話は知っていた。かつてインターネット上で流行った都市伝説に出てくる架空の駅。そこはあの世とこの世の境だとも言われていた。
「おめえ、どこから来たんだ?」
振り向くと、小さな男の子の姿があった。
「それが、分からないんだ。普段乗っている電車に乗っていただけなのに――」
私は男の子に詳細を話した。男の子は黙ってそれを聞いていた。
「ところで、この『きするぎ』駅とはどこなんだ? きさらぎ駅なら聞いたことがあるが……」
私は思っていた疑問を口にした。
「ここは、きさらぎ駅が噂話になって……それが言い間違えられて生まれた場所だ」
「は?」
「きさらぎ駅も、最初は無かった。皆噂するもんだから、こうしてできちまった」
私は男の子の話がよく分からなかった。
「ちょっと待ってくれ……つまり噂話から、架空の駅ができたと?」
「まあ、平たく言えばそういうことだ。現実から噂話が生まれることもあれば、逆に噂話から現実が生まれることもあるんだ」
そんなことがありえるだろうか?
私の思考は少しの間停止していた。
その間にも、男の子は話し続けた。
「でも、このきするぎ駅はまだできてから間が無いし、安定してないからもうすぐ消える」
男の子がそういう間にも、周囲の景色がぼやけていく。
気が付くと、いつも私が降りる駅のホームだった。
周囲の喧騒が、今日に限っては心地好かった。
私は男の子の言葉をぼんやりと反芻していた。
――噂話から現実が生まれることもある。なら、無から有が生まれるということか……。
電車がホームに入ってきて、音を立てて止まった。
今この瞬間にも、他愛のない噂話から何かが生まれているのかもしれなかった。
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