第23話 話の種

「『話の種』を買いませんか?」

 そう言って、老人は僕に袋に入った種一粒を差し出した。

 夜遅く、アイデアが浮かばないので散歩しているところだった。

 当時、僕はフリーターをしながら小説家を目指していた。

 適当に働きつつ、ほとんどの時間はPCに向かってああでもない、こうでもないと考えていた。

「その種を植えるとどうなるんです?」

 僕はふざけているのだと思って聞いた。

「この種を植えて、水をやり続けると芽が出て、一月程で『話の花』が咲きます。それを見ていると、お話のアイデアが浮かんでくるんです」

 やっぱりふざけている――僕はそう思った。

「冗談でしょう?」

「いえいえ、とんでもない。疑うのならば、この一粒、試供品ということで差し上げましょう」

「はあ……」

 僕は言われるがままに種を受け取った。

「それでは、また」

 老人は歩いて闇の中へと消えていった。


 それから、僕は植木鉢にその種を植え、水をやり続けた。

 芽が出てきて、伸び始めた。

 どんどん伸びて、枝葉を増やした。

 だが、何ヶ月待っても花は咲かなかった。

 僕は騙されたと思いつつ、そんなものだろうと諦めながらうだつが上がらない日々を過ごしていた。


 ある晩、またあの老人に会った。

「全然、花が咲かないじゃないですか!?」

 僕は老人を捕まえると言った。

「はて……ああ、そういえばちゃんと話しかけていますか?」

「は?」

「何もない所から、お話は生まれません。ちゃんと毎日話しかけなければ、話の花は咲きませんよ」

「そんなの、前会った時に言ってなかった――」

「『無』からは何も生まれない。空っぽからはなんの進展もありませんよ」

 僕は呆然とした。確かにそうだが、そんなこと言われなければ……

 僕はそれまでの生活を思い出した。金が無くなったら適当に働いて、あとはいいアイデアが降ってこないかとPCの前で待ち続ける日々――それは「空っぽ」そのものだった。


 それから、二年が経った。

 あの後、僕は必死になって就職先を探した。

 面接でそれまでの経歴がフリーターだと言うと良い顔をされないことが大半だったが、何度もそれを繰り返して小規模な会社に就職できた。

 今では、あの時とは比べ物にならない程忙しい生活をしている。

 だが、前より明らかにアイデアが浮かぶようになった。

 以前は小説賞に応募しても一次選考すら突破できなかったが、最終候補まで残るようになってきた。

 無からは何も生まれない。空虚な生活をしていてアイデアが浮かぶはずもなかったのだ。

 気が向いた時に話の種に職場であったことを話していたら、いつの間にか花を咲かせていた。

 しかし、もう僕には必要のない物だった。

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