第21話 記憶共有

 人類は「内部」にほとんどの記憶を保持しなくなった。

 全ての人は生後すぐに脳を接続するための手術を施され、その記憶は外部の巨大量子コンピュータにネットワークを通じて保存される。

 それは従来の記憶と違い、忘れることがなく限りなく正確だった。

 必要に応じて他人とも共有でき、外部出力も可能なため裁判でも証拠として扱われることとなった。

 もっとも、刑事事件の裁判自体が大幅に減少した。

 国家が正当な手続きを経て、記憶の開示を要求すれば受理される。それを知っていれば、一時的な衝動に駆られなければ罪を犯そうとは思わない。……犯罪をした証拠を隠しようがないのだから。いくら言い訳しようとも、記憶が開示されれば無意味となる。

 犯罪も不正もまともな神経ではしようがなかった。

 それでも、民事事件の裁判は多少あったが、それも論点となるのは慰謝料の大小等で事件自体は解決しているに等しかった。

 また、記憶を「売る」ビジネスが流行した。

 人々は仲介する企業を通じて自身の記憶を売る。すると、それらを通じて「買った」人間はそれを疑似体験できるのだ。

 その記憶を買えば、有名スポーツ選手や権力者に誰だってなれる。気分だけと言われればそうだが、それをあたかも自身の体験のように感じられるのは従来のメディアには無かった快感だった。

 皆それに夢中になった。自身は苦労も努力もせずに、電子マネーを少額払えば疑似体験できる。ホログラムドラマやVRMMO、電子書籍等は廃れていった。

 ある人はこう言った「たった一人の人間が、従来の人間の何人分もの幸福を得ることができる時代となった」と。それに同意する人は少なくなかった。


 だが、求められるのは幸せばかりとは限らない。

 私はアパートの自室から自身の記憶の売れ行きを、脳に接続されたネットワークを通して見た。

 今日も良く売れている。電子マネーが増えていく満足感と微かな苛立ち。

 私の記憶は、幼い頃から虐待まみれだった。……あんな反吐が出る物、誰が買っているのかは気になるところだ。

 私の両親は後先を考えない馬鹿だった。虐待の証拠を提出されれば言い逃れはできないのに、衝動的な暴力を繰り返した。

 その結果、私は施設に保護されて両親と引き離された。

 そこを出た後にアルバイトをしている時、ふと話した人に「記憶を売ってみたらどうか?」と勧められたのだ。私は少しぐらい生活の足しになるかと、仲介業者を通じて売りに出した。

 最初、虐待の記憶などほとんど売れるはずがないと思っていたが、ぽつぽつと売れ出すとすぐに大量に売れるようになった。

 私にはそれが信じられなかった。記憶を買うというのは虐待の被害者になるということだ。自ら苦痛を感じたい人間がこんなに大勢いるとは到底思えなかった。

 しかし、売れている。それはデータが証明していた。

「幸せじゃない記憶も……必要ってことかな?」

 私はそう言うと、今日もベッドの上で丸くなった。

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