第10話 余裕を買う

 街灯の下、髪も髭も伸び放題の中年男が青いビニールシートの上に座っている。

 その前には、緑やら茶色やらの空き瓶が幾つも並んでいる。

「あの……何をしているんですか?」

 私は物乞いにも見えなかったので、思わず声を掛けた。

「ああ、お兄さん。私は『余裕』を売っているんですよ」

 男はさも当然のことのように答えた。

「余裕? この空き瓶が余裕ですか? ……どういう意味です?」

 訳が分からない。

 私はひょっとして、頭のおかしい男に声を掛けてしまったのかと考えていた。

「『意味』? それはあなたが考えることです」

 そう言って、男は天を仰いだ。

 私もそちらを見たが、街灯が煌々と輝いているだけだった。

「――意味なんて、それぞれが付け足すことです。世の中には、女の子の形のお人形に心の余裕を見出す人も、難解な哲学書に心の余裕を見出す人も居るでしょう……」

 成程――私は少し分かった気がした。

 今でこそ小汚い姿をしているが、この男は案外インテリだったのかもしれない。

「それで、この瓶に『余裕』を見出す人も居るかもしれない……と?」

「ええ、そういうことです」

 男は満足げに頷いた。

「いいですね。買いましょう、この緑の瓶を」

「毎度あり。100円になります」

 私は男にお金を手渡すと、その瓶を手に歩き出した。

 特に使い道のない空き瓶を買うなんて、馬鹿げているかもしれない。

 だが、これで今夜一晩の「余裕」を買ったと思えば――高くはない。

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