必ず学びたい。

増田朋美

必ず学びたい。

その日は、雨が降って寒い日だった。まだ本格的な春というのには少し早すぎるのだろう。そう呼ぶ前には、必ず寒の戻りという現象がある。それは、普通に過ごしている人であれば、何でも無いのであるが、中には、それに耐えられずに体調を崩してしまう人も居る。

「理事長さんすみません。佐藤亜紀子さんの様子が心配なので、ちょっと報告しておいたほうがいいかなと思いまして。」

ある利用者が、ジョチさんに相談を持ちかけてきた。佐藤亜紀子さんと言う女性は、一ヶ月くらい前から製鉄所を利用し始めている女性で、現在富士市内では有名な学校である、吉永高校に行っている。確かに、現役の高校生が、製鉄所を訪れることがあるが、大概の利用者は、通信制とか、定時制の高校ばかりで、全日制の高校に通っている女性が利用するのは珍しい。しかし、フルタイムというか、現役の高校生と同じように学校に通っている生徒がやってくるのは稀である。大体が保健室登校とか、そういう生徒ばかりである。佐藤亜紀子さんもその一人で、一応全日制の高校に通っては居るものの、彼女は、数日保健室に通って、数日教室に顔を出すという通い方を繰り返していた。

「様子が心配って、何があったんです?」

ジョチさんが聞くと、

「どうも学校でひどいことを言われたようですよ。思春期の生徒さんです。ちょっとしたことで泣いてしまうのは、よくあることだと思います。」

と、足を引きずりながら、水穂さんが言った。本当は水穂さんには、横になって寝ていてもらいたいものであるが、この時期には、無理なところがあった。

「またですか。学校の先生は、無神経というかなんというか。もう、ひどいものがありますね。学校って、人を育てるどころか、潰すところになっているのでしょうか?」

ジョチさんは、食堂に行った。食堂では、杉ちゃんがいつもどおり利用者の食事を作っていた。製鉄所では、専門の料理人を雇っていたときもあったが、現在はひどい人手不足のため、杉ちゃんが担当することになっている。もちろん、他の店で食べたり、コンビニのお弁当を食べてもいいのだけれど、利用者たちは、杉ちゃんの作った料理を食べたがるので、食べる人は、増える一方であった。

佐藤亜紀子さんは、食堂の隅の方にある椅子に座って泣いていた。よほど悔しいことがあったのだろう。料理を作っている杉ちゃんさえも、心配そうな顔をしている。

「どうも様子がおかしいんだ。なんか、僕らの話が通じないよ。」

杉ちゃんが人参を切りながら、そういうことを言った。

「今うまいカレー作ってやるからって言ったんだけど、カレーを食べることも忘れているようだ。それほど、彼女には、衝撃的なことだったらしい。」

「ちょっと話してみましょうか。佐藤さん、もし、僕達の話すことがわかるようでしたら、今日学校で何があったのか、話してください。できる限り、文章にして話すということは大事なことですよ。何も言えないで過ごしてしまうと、心が病んでしまう原因にもなりますからね。」

ジョチさんは優しく佐藤亜紀子さんに聞いた。

「ごめんなさい、私の事で、皆さん心配してくださって。私、一人で乗り越えられなければだめですよね。」

佐藤さんはそう答えるのだった。

「いや。そんな事はありませんよ。一人で乗り越えなければだめだとか、教育者はそういう事をいいますけれど、決してそういう事はありません。一人で乗り越えられることなんて、本当に僅かなことですから、気にしないで話してください。」

ジョチさんがそう言うと、

「そうそう。それを甘えだとか、教育者が変な事言うから、素直に相談することを悪事だと感じちゃってさ。それで、病気のやつが増えちまうんだ。そうではなくて、もっと誰かに相談するってことをしなければだめだよ。」

杉ちゃんはでかい声でそういった。

「はい、実は私、家政大学に行きたいと言う気持ちがあるんですけど。家政大学で、料理を学びたいから、そこへ行きたいと思っているんです。」

と彼女は言った。

「はあ、家政大学ね。料理や手芸などを学ぶ大学だよねえ。女らしい学部でいいじゃない。それがなんだって言うんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「だけど、そんなところ、素人が行くしか無いって、そんな素人みたいな人が行くような大学にいっては行けないって、先生が怒鳴ったんです。」

と、彼女は泣き泣き言った。

「誰が怒鳴ったんだよ、そういう事。素人みたいって、料理は、誰かに食べさせるという、とても奥の深い学問だぞ。それが、素人みたいって、バカにするにも程がある。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「そうですね。なにかあったんですか。もう少し、そのあたりの状況を詳しく話してください。あなたが怒鳴られたのを他の生徒さんが聞いていたりしましたか?」

ジョチさんがそうきくと、

「初めは、生徒集会というのがありまして、先生が大学のことについて話したんです。私立大学は、1000万円するから、絶対行っては行けないって。そんな大金を親に払わせるなら、お前らは親殺しだから犯罪者だって。とにかく国公立大学しか行ってはいけない。その中でも、就職が確実にできる医療関係の大学しか行っては行けないって、怒鳴ってました。医療とか介護とか福祉とか、そういう仕事に就いて、親にお金を返すことが正しい生き方だって。それ以外の学問をすることは絶対に親不孝になるから、してはいけないって。それをしたいんだったら、死んでしまえって。そう怒鳴ってました。」

と、彼女は答えた。

「全くひどいこと言うなあ。だってご飯を作ることを勉強するのは、誰にでも必要なことだぜ。医療とかそういうことを学ぶ前に、ご飯を食べることは大事なことだと思うけど?違うの?」

杉ちゃんが、彼女の話に合わせた。

「そうですねえ。僕にしてみれば、単に進学率をあげたいので、それで教師が変なことを言っているだけだと思います。それに合わない生徒が居ると、そういう汚い言葉を使って、なんとしてでも国公立大学を受験させたいだけなんですよ。そこさえ知っておけば、何も怖くないです。」

ジョチさんが彼女言ったが、彼女はもう疲れ切ったという感じの顔であった。

「それほど学校がお辛いんだったら、少しお休みされたらいかがですか?そういうことを気にしない高校に変わるのも、一つの手だと思います。多分こういうことって、警察が手を出せることじゃないし。誰か、亡くなった人が出たとかなら別ですが、そのようなことも無いわけですから。つまり、味方になってくれる人は誰もいないというわけですよ。それなら、逃げるべきじゃないかな。それしか、弱い学生さんにできることは無いのでは無いでしょうか?」

水穂さんは、彼女を心配そうに言った。

「そうですね。僕も専門的な事はわかりませんが、一度影浦先生に見てもらったほうがいいかもしれませんね。僕達がしている質問に答えが出ていないで、学校の先生に言われた事ばかり言うんですか、」

「私が、ですか!私が病気!?」

ジョチさんがそう言いかけると、彼女は大きな声で言った。水穂さんが大丈夫ですよと彼女を止めた。

「残念ですが、その可能性がありますね。体に悪いところがあるだけのことが全てではありませんので。しかしですね、それがいい方に向くこともあるんです。それのおかげで、悪いところから、逃げることを完遂することだってできるんですから。」

「でも、でも理事長さん。私、大学には行ってもらわないとって、家の人たちからも言われていて。」

佐藤亜紀子さんは、困った顔でいうが、

「いえ、これ以上強いストレスをかけてしまったら、病状が悪化する可能性があります。それなら、学校は一度休んだほうがいいです。病状が悪化する前に、原因になっている吉永高校から逃げましょう。」

とジョチさんは専門家らしく答えを出した。そういう人であるから、答えがすぐ出るのだろうが、彼女に取っては、非常に辛いことでもあるだろう。何よりも、中学校の時から行きたいと思っていた吉永高校を、やめろと言われているのだから。

「大丈夫です。吉永高校よりもずっと行きやすくて、親切な先生が居る学校はいっぱいあります。だから、そちらで良い教育を受けることが必要です。」

水穂さんが、優しく彼女にそう言うが、彼女はとても辛そうだった。

「そうですよ。あなたは、教育を受ける権利があるんですから、正当な教育ではない教育を受けさせられたと言って、教育機関を訴えることが可能です。それは、できないことじゃないですし、あなたの将来を決めるための大事なことでもあるんです。」

「そうそう。それにね、障害者として生きていくことは大変だよ。周りの人には白い目で見られるし、誰かに助けてもらわないと生きていけないんだし。それがどんなに辛いものか、わかっているやつしかわからないからね。金のなる木なんてまるで無いよ。それを防止するためにも、ちゃんと、吉永高校から逃げて、しっかり教育を受けられるところに行くのが必要なんだ。」

ジョチさんと、杉ちゃんは相次いでそういうことを言って、彼女を励ました。佐藤亜紀子さんは、申し訳無さそうにごめんなさいといった。

「結局、勉強ができて、運動ができる人でなければ、幸せになれないってことですね。学校へ行くってのは、社会的身分に近いものがあるから、しっかり勉強しろって言われた事あるけれど、それはやっぱり、本当なんだ。だから、身分が低い人は、死ぬしか無いんですね。そういうことなんでしょう?結局そういうことをしなければ、幸せになんかなれないんですね。」

そういうところが、やっぱり病んでいるということかもしれなかった。

「まあ少なくとも、障害があっても、こうして幸せに生きて行くことは、できるけどさ。でも、やっぱり、自分で動けること以上に、幸せなことはないから。」

杉ちゃんは、そう言って彼女を励ました。それは確かに本当ですねと、皆頷きあった。

「とにかくね、そうならないうちに何とかするのが大事なんだよ。そのためには、学校を変わることだってあるし、大事なものを捨てなくちゃいけないことだって誰にでもあるんだ。そういうことの繰り返しだよ、人生は。だから、良いことだと思わなくちゃ。早くそういうことを体験できたってな。」

「まあ、杉ちゃんのような結論が出るのはもう少し先かもしれないけど、僕も一番幸せな事は、自分で歩けて、動けることだと思うので、それは、やっぱり大事にしなければ行けないと思いますね。今は、自分の為に生きてもいいと思うんです。もちろん世のため人のためってのは何処の世界にもあると思いますが、それだけが、全てでは無いこともありますよ。今は、ご自身のために生きてもいいのでは無いでしょうか?」

ジョチさんに優しく言われて、佐藤亜紀子さんは、小さくなって、ハイと言った。

「でも、お辛いことでもありますね。確かに安全は得られるかもしれないけど、亜紀子さんが、自分は何も悪いことをしているわけじゃないのに、吉永高校を退学しなければならないんですから。」

水穂さんが、そういうことをいい出した。

「何を言ってるんだ。誰も彼女が悪いなんて言ってないよ。悪いのは、吉永高校でしょ。」

杉ちゃんが言うと、

「本当に、辛いことから自分を解放できたときは、なにか自分が悪いことをしてしまったような気持ちになってしまうものですよね。亜紀子さんが、そういう顔をしているから、そういっただけです。」

水穂さんは、そっと言った。

「まあ、ねえ。大事なのは、本人が、どれだけ自分を大事にできるかということだろうな。それができていれば、つまり、自分がどれだけ家政の大学に行きたいと思っていれば、高校をやめても気にならなくなるよ。それは、気にしなくていいんじゃないかな?」

杉ちゃんは平気な顔をしていた。

「まあ、いずれにしても、学校へ文句を言うというか、適した教育が行われていないということは問題なので、すぐに、手を打ったほうが良いと思います。明日にでも、親御さんと一緒に、学校へ話をしに行きましょう。」

こういうとき、偉い立場の人がいてくれるのは良いことだった。そういう人がいてくれれば、教育者を説得しやすくなる。それに、佐藤亜紀子さんが、おかしくなったことを、証明してくれることにもつながるのだ。

「とりあえず、影浦先生に見てもらったほうがいいですね。薬を飲んで、精神状態が落ち着くようになれば、もう少しあなたも楽になると思います。」

水穂さんがそう言ったので、ジョチさんは、影浦医院に電話をかけ始めた。数分後に電話を切って、

「すぐに見てくれるそうです。タクシー取りますから、一緒に行きましょう。」

と言って、またタクシー会社に電話をかけ始めた。杉ちゃんが、

「何も悪く思わなくてもいいんだぜ。お前さんは何も悪くないからな。お前さんはさっきと同じようなことを言えばいいんだ。」

と、にこやかに笑って言ってくれた。亜紀子さんは、ありがとうございますと言って頭を下げた。

「何もしなくていいってことよ。進路を妨害されて、精神がおかしくなるより、ずっといいんだよ。」

「そうですね。」

亜紀子さんは、杉ちゃんの言うことをわかってくれたようだ。数分後にタクシーがやってきて、ジョチさんと、佐藤亜紀子さんを、タクシーに乗せた。二人を乗せると、タクシーは、影浦医院に向かって走り出してしまった。

「これで良かったんですかね。本当は、佐藤亜紀子さんだって、吉永高校で学びたかったでしょうし。吉永高校は、やっぱり憧れの高校になる学校だと思いますよ。一応、藤高校の次だと言われてたくらいですから。」

水穂さんが、杉ちゃんに言った。

「まあ、そうだけど、それは昔の話し。今は時代が違うの。吉永高校は、今は全くのだめな学校になってるよ。だって、何人も、ここに来てる利用者が、辛かったとか言ってるじゃないか。水穂さんが言うことは、今の吉永高校のせいで苦しんでいる人に取っては有害だよ。そう言われちゃうことで、傷ついてしまう人も居るでしょ。それは、やっぱり、考慮してあげるべきだと思うけど。」

杉ちゃんがすぐにそう返すと、

「でも、僕みたいな人は、吉永高校どころか、学校で学ばせてもらうことが、本当に嬉しかったのに。その気持も今は、もう皆無ということでしょうか?」

水穂さんは、申し訳無さそうに言った。

「まあ、海外の発展途上国の人であれば、そうなるかもしれないけどね。でも、日本ではそうではないと思うぞ。学校に行くのが、当たり前のような、そんな風景になっちまってるぞ。」

杉ちゃんが当たり前のようにいうと、

「そうでしょうか。」

と、水穂さんは、小さく言った。しばらく製鉄所の中に沈黙が走る。利用者も、たしかに、そういうことがあるよなあという顔をした。

「本当は、それを、ちゃんと考えるべきよねえ。学校で学ばせてもらうことが、本当に嬉しかったということは、先進国でも途上国でも、同じだってことよねえ。」

利用者が、杉ちゃんに言った。

「誰でも教育を受ける権利があるってことで当たり前のようになったけど、それが、当たり前じゃない人も居るってことか。あたし、こっちに来て、そういうことを勉強させてもらったわ。なんか当たり前にしていることは、いろんな人の協力とか、犠牲で成り立って居るんでしょうね。そういうことを、ちゃんと教えていかなくちゃいけないわ。あたし、そういう仕事ができたらいいなあ。」

「大丈夫です。あなたであれば、そういう事はできますよ。」

水穂さんが利用者に言うと、利用者はとてもうれしそうな顔をした。こういう病気になるとかしないと、教育を受けることのありがたさがわからないのが、日本の教育の問題点なのかもしれなかった。

数時間して、ジョチさんが、佐藤亜紀子さんを連れて、製鉄所に戻ってきた。亜紀子さんは、やはり精神疾患の症状があり、少し休ませたほうがいいという。とりあえず、今日は、個室で薬を飲んで休んでもらうことにした。明日、吉永高校に行って、文句を言ってくるというジョチさんに、杉ちゃんは、ちゃんと頑張ってくれよと言った。ジョチさんは、応接室へ行って、書類を書き始めた。多分、吉永高校に提出する書類だろう。

「ええ、大丈夫です。この施設の理事長をやっていれば、そういう症状を示してしまって、学校をやめてしまう人もたくさんいます。だから、その媒をするのは、非常に多いことです。」

ジョチさんはなれていた。

「そうだよな。なんか、教育を受けることも、受ける本人は何もできないんだな。周りのやつが、色々用立てて、犠牲を払って、それで学校に通っているんだな。それを知ってるやつと知っていないやつは、勉強への取り組み方が違うよなあ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。水穂さんが杉ちゃんに、

「そのような事は言わなくていいですよ。今は、亜紀子さんを休ませてあげることが大事だと思います。きっと彼女も、そういう事はちゃんと分かるのではないかと思います。」

と言ったので、杉ちゃんはそうだねとだけ言った。

「そうですね。」

水穂さんは、そっと言った。

「誰でも、教育を受ける権利はあるんだよ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。それだけは本当に確かなことでもあった。誰でも教育を受ける事はできる。でも、それは、いろんなことが積み重なったり、犠牲を払ったり、いろんなことがあって成り立っているのだ。

また、春がやってくる。学校に行く人は、もうすぐ春休みだ。そして卒業とか入学の季節もやってくるだろう。でも、中にはその学校に馴染めず、一人でいなければならない人も居る。大事なことは、それを、しっかり受け止めて、あなたが悪くはないと、言ってやれる人がいるのかどうかということであった。そして、それを誰かのせいにしたりせずに、ちゃんと受け止めて、ちゃんと処理ができる人がいなければならないのだ。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

必ず学びたい。 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る