【番外編・アレクス&イライザ】血の繋がらない年下の叔母と甥の場合
第13話 今日から私は、あなたの(1)
「ねえあなた、そんな辛そうな顔をするものじゃなくてよ。とっておきの秘密を教えてあげる。このクローゼットはね、不思議の国への入り口なの。ほら、よく見て。そーっとよ? そこには後板も壁もなくて、妖精たちが住む常若の国への道が開けているわ。風を感じない? この奥から吹いてくるのよ」
屋敷の使われていない一室。
鍵のかけられたクローゼットに閉じ込められていた少女は、扉をこじ開けたアレクシスを見上げてそう言ったのだ。
ときにアレクシス十一歳。自分の身に降り掛かった虐待をそうしてやり過ごそうとしてきたのか、やせ細った顔で微笑んでいた少女イライザは、七歳。
あなたはいつからそこに。そこまで言って、それ以上言えずに黙り込んだアレクシスに対して、イライザは潰れたしゃがれ声で言った。
私は大丈夫よ。だからあなた、泣かないで。どこか痛いの? 大丈夫?
* * *
ふんわりと柔らかそうな金髪。
初めて会ったときよりさらに開いた身長差。十年たった今でも、イライザは首を傾けてアレクシスを見上げている。
豪奢なシャンデリアに照らし出され、着飾った男女が談笑する夜会の会場。
「帰りましょう」
「そんなに気を回してくれなくても、ひとりで帰れるわ。あなたにはあなたの付き合いがあるのではなくて?」
「もう十分です。同じところに帰るのですから、一緒の馬車に乗ることくらいお許しください。それをあてにして、私の従者は帰してしまっているんです」
腕を差し出してアレクシスが言うと、イライザは「困った甥だこと」と呟きながら、そっとそこに手を置く。いくつもの目がその繊細な指先に集中したのを感じ、アレクシスは肩越しにちらりと背後を振り返って牽制の視線を向けた。
(このひとは、この期に及んでまだ、自分が注目を浴びていることに全然気づいていない。これ以上、こんな場に置いておけるはずがない)
まなざしだけで若い貴族たちを黙らせてから、寄り添って会場を後にする。
正面の大階段を下りて目当ての馬車に向かい、従者には軽く首を振るとアレクシス自らドアに手をかけた。
「どうぞ叔母上」
「ありがとう」
慇懃な呼びかけに、イライザは唇に上品な笑みを浮かべて応え、馬車に乗り込んだ。アレクシスも後に続く。さほど広さのない車内。並んで座れば肩がぶつかりそうで、アレクシスは体を縮こまらせた。くすっと、イライザが笑い声を上げる。
「今晩もまた、ご令嬢方々、あなたに熱い視線を注いでいたのは気づいているでしょう。そろそろ逃げ切れないのではなくて。いい加減、向き合ってみてはどうなの。結婚。せめて婚約。第二王子殿下」
「臣籍降下の決まった王族で、将来は学者志望とあっては、どこにも旨味がないのが私ですよ。せいぜい物珍しいものを見る目で見ているだけで、本命は皆、別にいるんです。私などより王妹殿下である叔母上の方が」
勢いで言いかけて、口をつぐむ。
夢見る少女の横顔は、まるで妖精。イライザは、間もなく十八歳となる。この国での成人年齢であり、婚約者が決まっていれば結婚に踏み切る頃合い。ところが、いまだ決まった相手がいない。
それだけに、どこに出ても注目の的。それは、自分の比ではないとアレクシスは確信していた。
自覚がないのは本人ばかり。「私こそ、嫁ぎ先などあるはずもないわ」などと言下に否定してくる。
「『王妹殿下』と呼ばれてはいても、王家と血縁関係に無いのは皆が知るところよ。早くに両親を亡くして、後見人も役目を果たさなかったから、陛下が引き取ってくださっただけ。その一件で父方の親戚関係は没落していて、外聞も悪いこと。十八歳になったら、王宮から下がらせて頂くわ。後見人に使い潰されなかった分の遺産は王室に管理して頂いているから、私一人生きていくだけならなんとでもなるはず」
イライザはそこで、話しすぎたとばかりに、そっと吐息する。その横顔を見つめていたアレクシスは、無言で顔を背けた。見すぎだ、と自覚したせいだ。そうして意識して見ないようにしなければ、永遠に見てしまう。
好きなのだ、どうしようもなく。
血の繋がりのない、年下の叔母のことが。
イライザの抱える事情は少々、込み入っている。早くに実の母を亡くし、その後父が再婚。相手が現王の妹姫だった。
しかし間もなく両親が事故で揃って急死。父方の伯母夫婦が後見人となったが、実態はひどいものだった。イライザの弱い立場につけこみ、管理すべき財産を専有し、本人のことはひどく虐げていたのだ。
葬儀を終えて落ち着いた頃合いを見図り、国王の名代として第二王子のアレクシスが尋ねていったその日、イライザは姿を見せなかった。着飾った伯母夫婦は、アレクシスを丁重に迎えて自分の娘を紹介してきた。その対応に不審なものを感じ、アレクシスは徹底的な家探しに踏み切った。
イライザを見つけたのは、使われていない部屋のクローゼットの中だった。
ひと目見て、まともな扱いを受けていないのは明白で、アレクシスは言葉を失った。
そのとき、まだたった七歳だったイライザは、無言になったアレクシスを気にかけて、かぼそい声で言ってきたのだ。泣かないで、と。微笑みを浮かべながら。
アレクシスは、後見人たちの弁明もはねのけ、イライザを王宮へと連れ帰った。
痩せ細り、弱りきったイライザを目にした国王は、激怒した。そして、イライザを王宮に迎え「妹」の身分を与えると宣言した。王位継承権こそないが、亡き妹が保有していた権利を譲り渡し、成人になるまで公私ともにすべての面においてその立場を保証する、と。
その日から、アレクシスとイライザは甥と叔母になった。ともに王宮住まいで、年齢的にもさほど離れていない。顔を合わせる機会も多く、会えば会話が弾む。
始めこそ、アレクシスは「自分が連れ帰った相手だから」という責任感で彼女と接しているつもりだった。
惹かれていると自覚したのはいつのことだったか。
くぐり抜けてきた辛い境遇をものともせず、イライザは春風のように穏やかにアレクシスを見つめ、微笑む。
その笑顔が他の相手、ことに男性に向けられていると無性に苛立つ。その理由に思い当たったときに、もはや認めざるを得なかった。
それは身を焦がすほどの、嫉妬。
自分は、この少女を誰にも渡したくないのだ、と。
その激しい思いが、かろうじてアレクシスの身の内にとどまり、周囲を焼き尽くすほど延焼することがないのは、ひとえに「叔母と甥」の一線を二人で守り続けているがゆえ。
その関係性が失われつつ新たなものへと変わる瞬間を、アレクシスは恐れながらも待ち望んでいる。
* * *
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