第14話

 その瞳、黒瑪瑙ブラックオニキスの如く。

 かつて初めてまみえたとき、宝玉のように澄んだ瞳をした少年だと、イライザは子ども心に思った。

 その印象のままに、アレクシスはいまや豊かな黒髪に黒瞳の、見目麗しい青年へと成長を遂げた。


 二十二歳。未婚。婚約者なし。

 王位は兄王子が継ぐものと、いたって自由な暮らしぶり。寄宿学校を経て大学へ進学。社交の場にはそれなりに顔を出しているものの、政治よりも学問の世界、もしくは実業家として生きていくつもりらしいともっぱらの噂。

 女性には優しいが、特定の相手の名前が人の口に上ることもない。


 ――よほどうまく後腐れない相手と付き合っているのか、それとも誰とも深い仲にはならないのか。


(火のないところに煙を立てようと言わんばかりに……。他人の色恋沙汰など、放っておけないものかしら)


 時折耳に届く憶測話に、イライザはひそかに苛立ちを覚えている。

 血の繋がらない、年上の甥であるアレクシスの女性関係など、イライザの知るところではない。二人の間で話題にしたこともないのだ、恋など。

 もっともイライザがその件に触れないのは、単に話すような目新しいことが自分に何も無いせいでもあった。

 そもそも、イライザは自分がモテないことをひしひしと感じている。


 イライザが王家に迎えられた事情が事情だけに「下手にイライザを粗末に扱えば、国王の逆鱗に触れる」として知られているのだ。

 たとえば、家に迎え入れて嫁姑問題を始めとした人間関係のトラブルがあったら。

 あるいは、夫になった相手が旧来の貴族の遊び感覚で浮気に耽り、イライザをないがしろになどしたら。

 かつて幼いイライザを食い物にした後見人たちが、王自らによって厳しく処されたことからも明らかなように。どんな断罪があることか、わかったものではない。


 であるならば、「王妹」などという肩書に惑わされることなく、手を出さぬが賢明である。

 大方の貴族たちはその考えのもと、イライザを腫れ物として扱っている節がある。

 イライザ本人としても、その対応に異を唱えるつもりもない。

 結局のところ、持て余される存在なのは昔も今も変わらないのだ。クローゼットの中に押し込まれ、絶食させられていないだけ、扱いには天と地の開きはあるが。

 このまま今の幸運に感謝し、多くを望まず細々と生きていこう。

 そう心を決めていたイライザに、ある日よもやの求婚者が現れた。



 * * *



 そのひとは王宮勤めの文官のひとりだった。

 名はハルダード。異国の血の流れるのがひと目でわかる容貌。褐色の肌に、彫りの深い顔立ちをしており、睫毛の長さが男性らしい精悍さに華を添えていた。


「私ごときが恐れ多いかと思いましたが、王妹殿下は近々王宮を出られるとの噂を耳にしました。お一人で暮らされるといっても、当然ひとを雇い入れるでしょうが、女主人の家と周囲に知られているとあっては誰につけこまれるとも知れません。その点、当家は現在私の父が商会経営で手広く事業を展開しており、人の出入りがにぎやかな分、屋敷の警備にも力を入れております。私もいずれ王宮での職を辞して事業を引き継ぐ所存ですので、もし殿下が王室と距離を置く為に自立されるというのなら、その点でもうってつけではないかと。ぜひ生涯に渡る伴侶として、お考え頂けないでしょうか」


 胸に手をあて、愛想の良い笑みを浮かべて、およそ非の打ち所のない求婚を、白昼堂々王宮の中庭にて。

 イライザは「とても素敵な提案です。考えさせてください」と完璧な淑女の対応を持って、返事を先送りにした。

 ハルダードは鷹揚に頷き「もちろん、急ぎません。良い返事をお待ちしています」と抜かり無く釘をさしてきた。

 念の為イライザはハルダードの上官に確認を入れた。すでに話は上官のさらに上、国王まで通っているという返答があり、それが思いつきやいきあたりばったりの求婚ではないことが知れた。


 なお、目撃者は多数。

 噂はまたたく間に王宮中を駆け巡った。

 どのくらい目覚ましい速さであったのか。

 その日の夜には、イライザの保護者を自認している節のあるアレクシスが、イライザに面会を申し入れてくるほどであった。部屋まで押しかけてきたのを従僕に止められていたが、ドアの向こうで「できればいますぐ、無理でもなるべく早く」と訴えかける声が響いていた。

 イライザは寝支度を終えていたこともあり、「明日の午後に、お茶会を」とひとまずドア越しに伝えた。

 わかった、と答えた声には動揺が滲んでいて、イライザもつられて激しく動揺した。


(独り者同士でここまできて、まさか私に先を越されるだなんてアレクは思ってもいなかったでしょう。でも良い機会かもしれないわ。アレクはモテるのに、私の保護者気取りで、甥と叔母というより父親と娘みたいだったもの。これを機に少し距離を置くべきなのだわ。それがアレクのためにもなるはず)


 ふわふわの金髪に、闇雲にブラシをあてながら、イライザは自分自身にそう言い聞かせる。私も甥離れしなきゃ、と。

 思い出すのは出会ってからこれまでの、アレクシスの様々な言動。ともに過ごした時間。お茶会で一緒にお菓子をつまみ、夜会に連れ立ってでかけ、お忍びで城下のカフェにつれていってもらった。どこに行く時も、アレクシスのエスコートは完璧だった。

 頭の中がアレクシスでいっぱいで、他のことが全然考えられなくて、思いの膨大さに窒息しかける。

 クローゼットの中に折りたたまれてしまい込まれていたイライザを見つけたその日から、アレクシスはどんな時もイライザの味方だった。

 数え切れないほどの彼の笑みを思い浮かべて、イライザはこのときようやく、今まで向き合うのを避けてきた現実を直視することに決める。


 すなわち、アレクシスが今に至るまで結婚も婚約も出来ていない原因は、自分にあるのではないかと。

 独身ながらすでに連れ子がいるような振る舞い、うまく縁談がまとまらないのもなんら不思議ではない。むしろ当然。

 自覚してしまえば、もはや自分の存在はアレクシスにとってお荷物以外の何物でもない。可及的速やかに、身を引かねば。

 その行き着く先はひとつの結論。


 この縁談、悩んでいる場合ではない。受けねば、と。

 アレクシスを自分から解放しなければならない、その一心で。


 * * *




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