第7話 子爵邸の茶会にて

「アップルパイ美味しい……! すごく美味しい!! 林檎が美味しいし、パイもさっくさく」


 目の前で、用意していた焼き菓子を勢いよく食べる「失恋伯爵」オリビエを、シルヴィアはぼんやりと見つめてしまった。

 食べる。

 蜂蜜とドライフルーツのケーキ、レモンタルト、ジンジャークッキー、ショートブレッド。

 ミントとレモングラスのハーブティーを力強く褒め称え、どの菓子も美味しそうに食べる。褒める。


「来て良かった。何食べても美味しい。本当に美味しくて、毎日食べたい」

「お腹すいていたんですか」

「研究したり本を読んだりしていると、食べそびれちゃって。お腹はいつもすいてる」


 オリビエは気恥ずかしそうに笑ってから、お茶の湯気でレンズのくもった眼鏡を外し、ジャケットの内ポケットに無造作に入れた。


 子爵邸の、日当たりの良い談話室にて。

 草花の彫刻がされた漆喰天井の下、テーブルに山と積まれた焼き菓子を確実に減らしながら、茶会は和やかに進んでいた。

 普段シルヴィアがひとりで使っている部屋で、壁紙は淡い青。窓には赤い花柄の厚いカーテン。同じ生地のソファがいくつか置かれている。今の時期は使われていない暖炉には、青色で幾何学模様の描かれたタイルがはめこまれていて、マントルピースの上には陶器や燭台が品よく並べられていた。調度品はマホガニー製のチェストなど、温かみのある印象のもので統一されている。

 こじんまりとはしているものの、居心地良く整えられた空間。


 二人掛けソファの端に座ってお茶を飲んでいたアレクシスは、オリビエをちらりと見て言った。


「毎日食べたいなら子爵邸ここに住めば良いんじゃないか」


 スコーンに手を伸ばしていたオリビエは「ああ!」と明るい顔で反応した。


「大学に近いから、良いかも。部屋が余っているなら住みたいな」

「伯爵が、この屋敷にですか!?」


 驚いて聞き返したシルヴィアに対し、オリビエは真正面から他意のない様子で微笑みかけてきた。


「伯爵扱いする必要はないよ。飢えた学生に軒先を貸す感覚で」

「飢え……」


 飢えるような方ではないですよね、と確認するためにイライザに目を向けると、強く頷かれた。


「早々と息子に爵位を譲ったお父上が事業に乗り出していて、かなり成功しているわ。今の伯爵家は、公爵家でもおいそれと手出しができないの。クリスティーヌがどんなに父親の権力を頼っても、オリビエをものに出来なかったのは、その辺の事情もあるのよ」


 その言葉を引き継ぐように、イライザとは距離を置いて同じソファに腰掛けていたアレクシスが続けた。

 

「オリビエは今でこそ研究が生物方面に移っていますが、もともとは経済を勉強していました。寄宿学校時代に王立経済学会と経済研究所のコンペティションで入賞実績があるし、論文も有用性が認められて実際に税制の改正のときに参考にされています。お父上の事業に関しても、オリビエあっての成功というのは疑いようのない事実。その男、ミジンコだけじゃないんです」


(頭が良くて優秀で、お金持ちで貴族で、この容姿……)


 シルヴィアは、一人用のソファに座ったオリビエをおそるおそる見る。

 その視線を受け止めて、微笑みを浮かべたままだったオリビエは、口の端を感じよく持ち上げた。


「子爵邸に住みたいは言い過ぎにしても、このお菓子は本当に美味しい。すごく優秀な料理人がいるんだね。うちにスカウトしたいくらい。そんなことしたら子爵家に恨まれそうだけど」


 シルヴィアは、無言のままにこりとだけ微笑み返した。


(私が作りましたとは、言い出しにくいですね……!)


 まだお腹がすいているのか、オリビエはいそいそとスコーンをちぎり、口に運ぶ。

 咀嚼して飲み込んでから「これも美味しい」と満足げに呟いた。


「この色合と味、なんだろう」

「それはにんじんです。すりおろしたにんじんと、にんじんの絞り汁と牛乳を生地に混ぜて焼いています。そこにご用意しているホワイトクローバーの蜂蜜とどうぞ。癖がなくて甘みが強いので合いますよ」 

「作り方にも詳しいんだ」


 何気ない調子で返されて、シルヴィアは口をつぐむ。

 身分の高い女性は、家事に手を出さないのが一般的。シルヴィアは家で暇にしていられる性分ではなかったので何かと覚えてしまったが、王族や伯爵といった地位ある人達からすると、決して褒められることではないはず。

 これ以上余計なことを言わないようにしよう、と決意した矢先。


「もしかして、シルヴィアが作ったの?」


 イライザに聞かれて、シルヴィアは笑みを浮かべたまま硬直した。

 その反応が答えになってしまったらしい。確信した様子で、イライザが言う。


「そうみたいよ、オリビエ。シルヴィアと一緒に暮らせば毎日でも好きなお菓子が食べられるわ」

「そうだな……、お店を出してくれたら毎日通うんだけど」


(いま、ほんの少し、話を逸らした)


 意識しないようにしようと自分に言い聞かせてはいたものの、「呪いの影響を受けない」オリビエにはすでに好きな相手がいるのだということが思い出される。胸がじくじくと痛んだ。


(これほどの方だから、当たり前なのでしょうけど……。なんらかの事情で明かせないお相手でしょうか。それで、すべての女性を拒絶しているとして。いま私が警戒されていないのは、ひとえに「自分のことを好きにならない」と安心している相手だから)


 淡く抱いている気持ちを、これ以上育てないようにしなければ。

 そうっとオリビエの横顔を見ると、ちょうど焼き菓子のひとつを手に取り、不思議そうな顔をして眺めていた。

 何かわからないのだろう、と合点したシルヴィアは控えめに説明をする。


「それは、母の国のものです。私の母は異国の出身でして、旅の途中の父と出会ってこの国まで嫁いできました。私が子どもの頃、変わったものをよく作ってくれました。そのとき食べたものを思い出しながら作ってみたんです。薄い生地の層にナッツ類を挟み込んで、焼いてから蜂蜜とローズウォーターのシロップを染み込ませています。結構甘いんですけど」

「お母様の出身は、アエルシュマですか」

「ご存知なんですか」


 さらりと言い当てられて、シルヴィアは目を瞠った。

 オリビエは考え込んだ様子で一口食べる。まなざしが、すうっと冷えて鋭いものに変わった。


「以前行ったことがあります。こういったものを幾つか食べましたが、確か作る人によってナッツやシロップの配合が随分違うと聞きました。これは、記憶が正しければ俺があのとき食べたものに味がよく似ています」

「……母は、もともとは王宮の厨房にいたそうですが」


 オリビエのまとう空気に緊張しつつ、シルヴィアは素直に打ち明ける。異国出身で、王宮勤めとはいっても、さほど身分が高くない女性であったこと。この国の貴族であるオリビエがどう受け止めるかはわからなかったが、シルヴィアは引け目だと考えたことはなかったので、隠すつもりもなかった。

 まだ何か考えている様子はあったものの、オリビエは居住まいを正してシルヴィアをまっすぐに見つめてきた。


「あなたや俺の親世代だと、何かと難しく考える方も多かったと思いますが、ご両親はきっと強い思いで結ばれていたんですね。あなたが現在婚約や結婚をされていないのも、その考え方の影響を受けていますか」


 まさか自分の身の上に話が及ぶと思っていなかったシルヴィアはわずかに動揺した。

 しかし、オリビエのまなざしの強さに、誤魔化すことをやめて頷いた。


「先日お会いしたときから、妙なことばかり申し上げていますが……。私は事情があって、男性に変なモテ方をします。その……、アエルシュマの内情をご存知なら、突拍子もない話だとは思わないで頂けるかもしれませんが」


 続く一言を口にするのは大きな覚悟を要したが、呼吸を整えて、シルヴィアは告げた。

 私には、呪いがかかっています、と。


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