第8話 伯爵の本気
――私のこと好きにならないで頂けますか。
初対面のとき、シルヴィアはオリビエに対してそう言った。
(よくわかると思った。他ならぬ俺自身がそうで、周囲にも同じことを言ってきた。だけど、いざひとから言われると、抵抗もあった。「ひとから好かれるのが嫌だ(困る)」と他人から明言されると、足元がぐらつく感覚がある)
それはおそらく「ひととひとは、わかりあえない」と敢えて口にするようなもの。
オリビエとて「話し合えばわかる」とか「ひととひとは必ずわかりあえる」などと、信じてはいない。
生きていく中で、諦める瞬間がくるのだ。「わかりあえない人間もいる」そのように。
だけどこの世界には、人間の「善」を信じたいという強いエネルギーが働いていて、「わかりあうことを諦める」というのを良しとしない向きもある。
もしそれが正しいのだとしても、敢えてそうと口にして誰かに聞かせてしまえば、傷つく者もいる。
(「知りたくない、目を背けていたい現実だから」というよりも……。「そこで思考停止したくない」という思いがあるから。完全にわかりあえなくても、話し合いを止めたくないとか。「わかりあえないとすでに諦めた人間がいる事実が怖い」とか。世界には希望や光があると信じたい人間に、不安を与える言葉なんだ。もっと強く言えば「嫌悪感」を。「ひとから好かれるのが嫌だ」という言葉も、同じく)
彼女から「自分を好きにならないで欲しい」と、突き放されたときに。
わかると思いながらも、胸に痛みを感じた。
(結局、俺自身にも、この世界が良いものだと信じたい気持ちはあるから……。他人とわかり合いたいし、愛し合いたいと。自分が誰かを好きになることを否定されたくないし、自分自身に認めたい、許したいと。その気持は、どうしたって消せない)
「『呪い』?」
オリビエは、シルヴィアに対して確認した。
覚悟を決めたように、シルヴィアは決然とした表情で頷いた。
「私の母の祖国では、いわゆる古代の魔導士と同種の能力だとは思いますが、呪術師と呼ばれるひとびとがいます。その呪術はかなり有効性があって……。私は、母の身にかかっていた呪いを引き継いでしまったようなんです。それは、近づいた男性を惑わす類のものです。今の不自然なモテは、私自身がひとから好かれているのではなく、呪いの影響で、男性が一時的に私に惹かれていると錯覚してしまうだけなんです。私はそのせいで、男性に対して強い苦手意識が出来てしまいました。貴族の娘として生まれたのだから、結婚も選り好みはできないと頭ではわかっていたんですが、父は自分のこともあったので、私に結婚を無理強いすることはなく。私も高望みしてしまいました。私自身を見てくださる方と出会いたい、と」
唇に儚い笑みを浮かべて、告げる。
(綺麗な瞳。綺麗な表情。彼女の思いが溢れている)
「あなたが言っていることは、わかるように思います。ひととひとが結ばれるとき、そこには互いへの愛があってほしいと願うことを、俺は高望みとは思いません。『好き』は本当に難しいです。『相手を自分の好きなようにしたい』という気持ちがどうしても含まれる。その罪悪感。一方で、『相手に幸せになってほしい』という思いも、綺麗事ではなく真実としてそこにあると、俺は信じています」
視線がぶつかる。
焦がれるまなざしに感じるのは、自分の思い込みがそう見せるだけなのだろうか?
シルヴィアは笑みを深めて、瞳をまぶしそうに細めた。
「オリビエ様に愛を囁かれる方は、本当に幸せだと思います。今、どんな困難があったとしても、お相手の方と、いつか結ばれると良いですね。私、応援しています」
最終的に、きゅっと拳を握りしめて、力強く応援されてしまった。
言われたオリビエといえば、気の利いた返事をする場面だとは了解しつつも、心当たりがなさすぎて、うまく反応ができない。
結果的に、疑問のままに聞き返してしまった。
「俺の愛する相手? えーと? 誰の話をしています??」
「どなたかは存じ上げませんが、いらっしゃいますよね?」
「どこに?」
「どことは」
きょとんと聞き返されて(あれ、俺がおかしいのか?)と思いかけたが、知らないものは知らない。
「二十一歳にもなって、堂々と言うのもなんですが、いないです。いたことがないです。愛を囁く相手。ですが、シルヴィアさんは確信を持って言っているので、あてでもあるのかと……。あ、そうか、ミジンコですか? 確かにミジンコ愛はずいぶん語りましたね。そのせいかな」
目を大きく見開いたまま動きを止めていたシルヴィアは、かくかくと不自然な動作でアレクシスに顔を向けた。
「殿下? 私、『呪い』が効かない条件は『すでに心に空きのない方』だと信じていたんですけど……! オリビエ様の心はミジンコのものですか!? 隙間なくミジンコに埋められているということですか?」
尋ねられたアレクシスは「あー、なるほどなるほど」とのんびりと呟いていた。イライザが、アレクシスに視線を流す。
「アレク、あなたシルヴィアに何を言ったの?」
「『誤解を招くこと』です。そうか、あの流れだとそうなるか。迂闊でした」
まったく悪びれた様子もなく非を認めるアレクシスを、イライザは胡乱な様子で見つめた。
オリビエは「どちらかというと、今はミジンコよりも線形動物で胸がいっぱいです」と口走っていたが、誰の注目をひくこともなく終わった。
「これまで、たとえば私の父ですとか、呪いの影響を受けない男性はたしかにいました。それで、てっきり……。すでに愛している相手がいる方は、呪が効かないのだと、確信してしまいまして」
「シルヴィアのモテが『呪い』とは私も知らなかったけれど。どちらにせよアレクに効かないのは、アレクが鈍いだけよ」
イライザがやや呆れた様子で言い、その横でアレクシスが「鈍いのは誰ですかね」とうそぶいていたが、これもまたその場の注目をひくことなく終わった。
シルヴィアは事態を飲み込めないように、オリビエを見つめてくる。
「それでは、オリビエ様に私の『呪い』が効かないのはどうしてですか? オリビエ様は私のことは全然好きじゃないですよね?」
(すごく答えにくい質問をされている)
オリビエは膝の上で指を組み合わせて、呼吸を整えた。
聞かれたことを誤魔化したくはないが、シルヴィアを脅かしたいとも思わない。
(これまでは、彼女が「なぜ人から好かれたくないか」がわからなかった。今は……。少なくとも、彼女自身は「愛」を信じていることがわかった。「呪い」に負けない相手と愛を育みたいと考えていることも。『もしそんな相手がこの世にいるのなら』それは俺自身も、考えたことがある。ずっと考えてきた)
「その質問、実は今日二回目だと思うのですが」
オリビエが慎重に言葉を選びながら言うと、シルヴィアは息を飲んで胸に手をあて「そうでした!!」と言った。気付いていなかったらしい。
目を逸らさぬまま、オリビエは話を続けた。
「俺があなたを好ましい人間だと感じていることと、敵意や害意はないことはお伝えしました。あなたの問いかけが、その先のことを話し合いたいとの意味ならば、少し時間を頂きたいと思います。今のところ、あなたの呪いは俺には効かないようにみえます。ですが……『俺の呪い』が、あなたに効かないという確信はいまだ得られていません。そこを確認しなければ、俺からはこれ以上のことは言えません」
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