第6話 告白

「線形動物以外でいうと、ミジンコにも興味があって、一時期はずっとミジンコの観察をしていました。シルヴィア嬢、ミジンコの話はいかがですか?」


 天使のようにお美しい「失恋伯爵」オリビエ様は、はにかむような笑みを浮かべてミジンコの話をしてくださいました。伯爵はご自分で仰るとおり、大変ミジンコに詳しく、素晴らしいお話が聞けました。

 ミジンコのことがすごく好きになりました。


  公爵令嬢の晩餐会の日に(シルヴィアの日記より)


 * * *


「『ミジンコのことがすごく好きになりました』というお手紙をどうもありがとう。ついつい『そこをもう少し詳しく』と思ってしまって、会いにきてしまったわ」


 公爵家の晩餐会の夜のお礼にと、シルヴィアはイライザへ手紙を出した。

 晩餐会はともかく、王宮で過ごした時間が素晴らしかったこと。特に、ミジンコ。

 自分の日記に書いたのと同じ内容を切々と書き綴ったところ、イライザからは「直に会って話したい」と返事があった。

 しかも、外に出るのを躊躇するシルヴィアを気遣って、子爵邸まで足を運んでくれるとのこと。


 シルヴィアはめったに無い客人に喜び、普段は自分ひとりで刺繍や読書をするのに使っている談話室を気合を入れて掃除した。

 さらには、茶会用に数種類の焼き菓子も作り、万が一予定が長引いたときのためにと晩餐に関しても献立を考え抜いた。


 引きこもり生活の間、最初は邸内で働く者たちに控えめに質問をしたり手を出したりしていたのだが、やがて積極的に働くようになっていたのだ。特に料理に関しては、かなり上達した。


(先日、王宮で食べたお菓子すごく美味しかった……。あのお菓子や料理をいつも食べ慣れているイライザ様には、私の作るお菓子では物足りないかもしれないけど。味は悪くないと思う!)


 そう自分に言い聞かせ、すべての準備を整えて、イライザの来訪を玄関ホールで待ちわびていた。

 到着と同時に、自分でもはしたないとは思いつつも、真っ先に飛び出して出迎える。


「お待ちしていました、イライザ様……!」


 ドアを開けた先に立っていたのは、首を傾けて見上げなければいけない、長身の青年。

 縁の厚い眼鏡をかけて顔を隠してはいるが、隠しきれない美貌や長い赤毛には見覚えがある。


「オリビエ様!?」


 悲鳴を上げてシルヴィアが後ずさると、オリビエは眼鏡の奥で大変申し訳無さそうに目を瞑った。


「俺でごめんなさい」


 沈痛な面持ちで、とてつもなく辛そうに謝罪してくる。

 その背後から、ひょこっとイライザが顔を出して言ったのだ。


「『ミジンコのことがすごく好きになりました』というお手紙をどうもありがとう。ついつい『そこをもう少し詳しく』と思ってしまって、会いにきてしまったわ。せっかくだから、『ミジンコ先生』も一緒よ。あと、アレクも。馬車で通りを走っていたら、ちょうど二人が連れ立っているのを見かけて、声をかけたの。急だったから、知らせを出すのが間に合わなくて。ごめんなさい」

「そうでしたか」


 オリビエは、爵位はあるものの学生。アレクシスもその学友で、次期王位継承者でもない第二王子という身分。護衛はついているかもしれないが、二人で街歩きしていても不思議ではない。

 そこを通りかかったイライザが馬車に拾って……。

 招待状を出している公的な茶会ならいざ知らず、今日は気楽な集まり。シルヴィアとしても、イライザを不躾と怒るつもりはない。


(びっくりしすぎて、伯爵を謝らせてしまいました)


 大変申し訳無さそうにしている顔を見て、シルヴィアは多大な後悔に襲われた。


「驚き過ぎてすみません。『嬉しい誤算』です、歓迎します。せっかくお越し頂いたんです、どうぞお茶を飲んでいってください。あまり来客のない家なので、至らぬ点もあるかと思いますが」

「突然来たのはこちらなので、気にしないでください。あの、あなたが出迎えてくれるとは思わなくて。距離が。この間より近い。離れます」


 宣言するなり、オリビエは後退しようとする。

 それを見て、とっさにシルヴィアは声を張り上げた。


「大丈夫です!! いまこの距離で、普通……みたいなので。普通、ですよね? その、私のこと全然好きじゃないですよね?」


 眼鏡のせいで、前回会ったときとは少し印象の違うオリビエを見上げて、シルヴィアは確認した。

 軽く目を瞠って見下ろしてきたオリビエは、考えをまとめるようにゆっくりと話す。


「あなたが言う意味では、大丈夫だと、自分では思っています。でも、好きじゃないというのは、嫌いという意味とは違います。あなたのことを、人として、好ましいとは感じています。もし、そう言われるのが苦痛なら言いません。好ましいというのは、『敵意や害意がない』という意味で考えてください」


 慎重に選ばれた言葉に、シルヴィアはほっと息を吐き出した。


(聞いたのは私だけど、「好きじゃないです」と答えられたら、やっぱり少し傷ついたと思う。でもこういう答え方なら……)


 初めて見たときの彼は「失恋伯爵」で、容赦なく苛烈な物言いをするひとに見えた。

 だがそれは、彼の一面でしかないに違いない。

 話してみればわかる。

 おそらく彼は、きちんと他人を気遣うことができるひと。ひとの痛みを知り、我がことのように胸を痛めることができるひと。

 その顔を、普段は隠している。


 ――人から好きになられるのって、マジでキツイんだよ……!!


(あれは魂の叫びでした……)


 結婚と言わなくても、家柄や立場を考えれば婚約くらいしていても不思議はないのにも関わらず、オリビエは女性を一切寄せ付けないでいるらしい。

 その強い決意が何に由来するのかシルヴィアには知る由もないが、おかげで彼はシルヴィアの身にまとわりつく呪いにも耐性がありそうなのだ。

 その証のように、シルヴィアを前にしてもまったく異常な態度を示すことがない。


「ご案内します」


 メイドの一人が、頃合いをみて声をかけてくる。

 シルヴィアが男性の使用人を苦手としていることもあり、出迎えに出ていたのは数名のメイドたち。来客に青年二人が増えたことに色めきたっている気配はあったものの、騒ぎたてることはなく「こちらです」と先に立つ。

 イライザとオリビエが歩き出し、シルヴィアとアレクシスがあとに続く形になった。


「申し訳ないね。叔母上はときどき、突拍子もないことをする」


 アレクシスが、穏やかに声をかけてきた。

 いえいえ、とシルヴィアは笑顔で応じる。

 呪いが効かないといえば、アレクシスもまた先日王宮で会ったときからして、平然としていた。イライザは「アレクは鈍いから」と笑っていたが。


(外に出てひとと会わなければ、わからないことでした。世の中には「呪い」が効かないひともいる。法則性はまだわかりませんが)


 この二人の男性のおかげで、シルヴィアにも明るい見通しが少しだけ出てきた。


「先日は王宮で楽しい時間をありがとうございました。またこの顔ぶれでお会いできたらと思っていたので、嬉しいです。殿下も伯爵も、私の忌々しい呪いは効かないみたいですし」

「呪い?」


 アレクシスに聞き返されて、シルヴィアは口を滑らせてしまったことに気づき、「呪い、のような。ひとから好かれるのが、困るので」となんとか言い添えた。

 ただでさえ「魔性の女」と呼ばれているのに、この上「解けない呪いがかかっている」などと不吉の上掛けをしても良いことなど何もない。

 曖昧に微笑みかけると、アレクシスは軽く首を傾げた。


「こういう『失恋伯爵』のようなことは本来言いたくないんですが。あなたが悪いわけではなく私自身の問題として、あなたに惹かれることはないと思います。私にはすでに深く愛している女性がいますので」


 静かな話しぶりであったが、その声音は真剣そのもの。

 シルヴィアが息を止めて見上げると、アレクシスはすっと視線を前方に投げかけた。

 促されてシルヴィアもそちらを見る。オリビエと微笑みながら話しているイライザの横顔。


(もしかして、私いま、とても重要な告白を聞いてしまっていますか!?)

 

 アレクシスもまた、オリビエ同様結婚も婚約もしていない。

 これがその理由なのかとドキドキとする胸を手でおさえたシルヴィアであったが、いまひとつ重大な事実に気付いてしまう。


(深く愛している女性がいると、私を好きになることはない……? つまり、呪いが効かない男性はすでに心に決めた方がいる?)


 視線を前に向けると、オリビエは節度ある距離を保ってイライザと話しながら、優しく微笑みかけていた。信頼に裏打ちされた、親愛の表情に見える。

 愛を囁くなら、もっと甘いまなざしになるに違いない。

 それをシルヴィアは見ることはないのだろう。


 彼の愛を捧げられる女性は、この世のどこかにすでに存在しているのだろうから。


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